コミュニティデザインの源流 イギリス篇

コミュニティデザインの源流 イギリス篇

コミュニティデザインの源流 イギリス篇

  • 作者:山崎 亮
  • 発売日: 2016/04/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

ゴシック建築と組織マネジメント

 ラスキンは、古い建築にはつくられた当時の労働者がもっていた価値観などが随所に見られるため、建築がもつ言語を理解すれば過去を読み取ることができると考えていた。だからこそ、建築を単なる芸術作品として論じるのではなく、つくられた当時の職人や石工や画家たちの思考や感情を建築のなかから読み取ることのほうが意義深いとしていた。
 そして、読み取るべき対象としてラスキンが選んだのはゴシック建築だった。ゴシック建築という呼び方は日本語で説明しにくい。「荒々しい建築」という感じだろうか。(略)
ラスキンゴシック建築の細部に注目する。古いゴシック大聖堂の細部を見ていると、そこに張りついている動物の彫刻がどれも少しずつおかしな形をしているのがわかる。奇妙な形だし、生物学的に間違った格好をしているものが多い。しかしそれを笑ってはいけない、とラスキンはいう。それらは、職人一人ひとりが自由な発想で彫刻を楽しみながらつくりあげた証なのだという。ゴシック建築をつくっていた中世の職人たちは、試行錯誤を繰り返し、自由な発想でのびのびと彫刻をつくっていたわけだ。こうした働き方が認められていることと、それがたくさん集まると荒々しいけれども荘厳な印象をつくりだすことになっているという点にラスキンは注目した。
(略)
規範遵守的装飾。職人の技能が劣っていることを認めたうえで、親方の装飾を規範にしつつ自由に表現された装飾。(略)
ある規範は遵守しつつ、各自が自由に表現する裁量が認められていたと指摘している。
 その時代の精神をラスキンは以下のように表現している。「あなたのやれることをやりましょう。やれないことは正直にいってください。恥ずかしがってやれないのにやれるふりをするのはやめましょう」。こうして、やれることをもちよって組み合わせ、荒々しい全体を構築しようというのがゴシックの本質であるとしている。
 こうした視点はコミュニティデザインの現場でもとても大切になる。
(略)
 ゴシックは荒々しい。荒々しいからこそ、それをつくる人たちの自由が担保されている。自由な発想でつくりあげた建築だから価値が高いのである。ラスキンはいう。「建築は不完全でなければ真に高貴なものとはなりえない」。働く人を制御して完璧な建築をつくりだしたいのか、働く人の自由度を担保して不完全な建築をつくりだすか。ラスキンは後者のほうが高貴な建築だと述べている。
(略)
 すべての地域でおなじプロジェクトを遂行すれば完成度は上がるだろうし、成功する確率も高まるだろう。しかし、そうすると担当しているスタッフが工夫する余地がなくなるし、何よりも地域の住民が活動の楽しみを得られなくなる。
(略)
 ラスキンはもうひとつ、われわれの働き方にとって示唆的なことを述べている。(略)
どんな人間であっても、「より良い方向に向かっていこう」という意思を少しはもっている。少ないかもしれないが想像力をもっているものだし、感情ももっているし、思考力もあるはずだ。しかし、条件が整っていないから想像力や感情や思考力を発揮できていない人が多い。だからこそ、想像力や感情や思考力を引き出し、褒めてやらねばならない。
 ただし、そこにはリスクが伴う。彼らの良い点は単体で引き出されるのではなく、欠点とともに引き出されるからだ。だからこそ、彼らの欠点も含めて長所を引き出し、それを褒めなければならない。彼らの欠点によってプロジェクトが危機に瀕しようと、彼らの長所と短所を同時に引き出し、長所を組み合わせてプロジェクトを進めなければならない。
(略)
労働者を道具のように単純作業のために使うのか、それとも人間として思考するものとして働いてもらうのかを考えなければならない。
(略)
 ラスキンは以上のことをゴシック建築から読み取り、労働者の自由度を担保し、彼らの長所と短所を組み合わせながら全体のパフォーマンスを上げるマネジメントの重要性を指摘している。こうした組織マネジメントの背景には、ラスキンが理想としたギルドの働き方がある。
 中世のギルドに関する評価は分かれるところだろう。(略)
ラスキンはギルド内での親方と職人との関係性、徹底した品質管理、責任を持った徒弟制度や教育制度、自由な発想による協働や技術革新など、ギルドが持っていた良い面を引き継ぐべきだと考えていた。

ラスキン経済学

 ラスキンは、この本[『この最後の者にも』]のなかで古典的な経済学を批判した。なぜなら、古典的な経済学では人間を単に貪欲な機械と考えているからだ。(略)実際の人間はそれほど単純ではない。より多くの金を儲けようとする人間ばかりではなく、社会的な活動をする人もいるし、自分の得にならないことを続けている人もいる。こういう人たちの気持ちや熱意を古典的な経済学は捉えきれない。(略)
もし、人間が「富を求め続ける存在」だとすると、「人と人とがつながる」コミュニティデザインの目的は、つながった人たちがいかに金儲けをするか、ということだけになってしまう。われわれが信じたいのはそこではない。お金儲け以外の価値を見出し、生活しやすい地域をつくるために人々が動き出すことを期持しているのだ。その意味では、コミュニティデザインは古典的な経済学ではなくラスキン経済学を元にしているといえる。
(略)
固有価値を減じるような行為は、たとえ金儲けができるとしてもやるべきではない行為だということになる。(略)
 ラスキンは、産業革命後のイギリスに安くて陳腐な商品がたくさん出回ったことを嘆いていた。こうした商品はいずれも原料の固有価値を減じるような結果になっているというわけだ。つまり、やるべきではないものづくりをやってしまっていることになる。ラスキンは金や物をたくさん所有する「リッチ」という概念に代わって、精神的な価値や文化的な豊かさを生み出すような「ウェルス」を重視した経済学を発明しなければならない、と考えていたようだ。

産業革命と救貧政策

 政府は貧困者を救済する法律を何度も刷新している。(略)
政府が準備するワークハウスという施設に貧困者を収容し、強制的に働かせることにした。その処遇は、社会の最低辺で働いている労働者の生活よりも悪いものでなければならないと規定されていた。ワークハウスでの生活のほうがマシだという噂が広がってしまうと、最底辺で働いている人が働くのをやめて大量にワークハウスヘ集まってしまうことを懸念したのである。
 ところが、当時のイギリスにおいて最低辺の生活をしている人たちは、すでに人間的な暮らしが成り立っていなかった。そのため、ワークハウスでの暮らしは飢餓と厳しい労働にさらされ、生きてそこを出られる人はほとんどいなかった。仮に出られたとしても「あの人はワークハウスに入っていた人だ」というレッテルが貼られてしまうため、再就職の可能性は極めて低かったという。政府はワークハウスの存在が貧困の抑止力になると考え、暗に「ワークハウスで働くのが嫌なら自分の努力で生活しろ」と住人たちに伝えていたのだ。
 こうした政府の態度には反対の声もあがっていた。人道主義的な視点からの意見もあったが、ワークハウスを運営するお金がかかりすぎていたことに対する意見も多かった。実は、ワークハウスをつくって貧困者に労働させるよりも、救済金を配ったほうが安くつくというのだ。政府とすれば、その方法では安易に救済金を欲しがる人が増えてしまうので、お金がかかってもワークハウスシステムを維持しなければならないと考えたのだろう。

ロバート・オウエン

 オウエンは自分の仕事のことを工場の「経営」ではなく「統治」と呼んでいた。単に利益を上げるだけの経営ではなく、住民の生活全般を改善する統治に着手したいと考えていたからである。
 ニューラナークは山奥にあったため、そこで働く人だけでなく家族もともに工場近くに住んでいた。救貧院から紹介してもらった子どもたちにも工場で働いてもらっていたので、彼らの教育の場も必要だった。さらに、日用品を購入するための売店や食堂や教会も必要だった。つまり、ひとつの村のようなものだったので、人々の生活全般を改善することがオウエンに求められたのである。だからこそ、工場の管理ではなく、村の統治を心がけたわけだ。
[利益が出ない当初は]給料を上げずに生活の質を高めるために、労働者の生活にかかる経費を下げることにした。そうすれば可処分所得が上がることになるからだ。
 まずは食費。各家庭で食事をつくるのではなく、協同の炊事場や食堂をつくり、ここで一定人数の食事をまとめてつくる。そうすると食材や燃料の費用が安く済む。次に日用品。これもまた一定人数分をまとめて購入する代わりに、原価に近い価格で仕入れることに成功し、これを売店で安価に販売することにした。この種の工夫は、後に協同組合の仕組みとしてオウエン主義者たちに応用されることになる。
 次に、工場労働者たちの生産性を高め、利益を上げる必要がある。しかしオウエンは賞罰によって生産性を高めようとは思わなかった。そうではなく、労働者を取り巻く条件や教育を変え、彼らの意識を変えることを重視した。意識が変われば行動が変わり、その結果として生産性が上がるだろうと考えたのである。そのため、労働者に日報を提出させたり、日報に基づいて前日の作業の善し悪しを判断し、翌日には作業台の前にその評価を示す色を示す仕組みを導入したりした。これによって労働者の作業内容と材料や製品の在庫数を把握し、同時に労働者のやる気を引き出すことに成功したという。
(略)
 さらにオウエンは、子どもを対象とした「性格形成学院」を設立した。ニューラナークは山奥の工場だったため、安定的に労働者を確保するのが難しかった。もっとも確保しやすかったのが、すでに働いている労働者の子どもたちである。彼らが適齢期になったときに親と同じ工場で働くことが多かったため、彼らに適切な教育機会を提供することも統治にとって大切なことだった。

ニューハーモニー

 1824年、オウエンが53歳のときにリチャード・フラワーという不動産業者がニューラナークにやってきた。アメリカのハーモニーという街を買って理想のコミュニティを実現しないかという。これを聞いたオウエンは息子たちに相談し、すぐにアメリカに渡ってハーモニーの土地を買い取った。
 翌年、理想のコミュニティを実現する壮大な実験場として、オウエンはこの土地を「ニューハーモニー」と名づけて街開きを宣言した。そしてコミュニティの「統治者」として息子たちを残し、オウエン自身はアメリカやイギリスの各地を回って講演を続けた。このプロジェクトの賛同者を募ることと、住民を募集することが目的だった。
 オウエンがニューハーモニーに戻ったとき、そのコミュニティは壊滅状態だった。入居希望者が一気に押し寄せ、彼らを審査できないままにコミュニティでの生活がはじまっていたのである。住宅は常に不足しており、工場で労働する人は増えるものの教育係となるような職人が足りず、農場で作業する人も素人だらけで生産性が上がらなかった。住民を教育する役割を果たすはずの知識人たちは派閥争いを起こし、コミュニティを経営するための資金が底をついた。こうしてニューハーモニーの実験は失敗に終わり、オウエンは1827年アメリカを去ることになった。
 オウエンの理想社会は工場の労務管理から生まれている。労働者やその子どもたちの性格形成は環境が与える条件によって変化するのだから、協同組合、労働組合、教育の仕組みをつくり、よい環境を整えれば労働生産性は上がるはずだという考え方である。この考え方を一般社会に援用したのが『新社会観』であり、ニューハーモニーの実験だったといえよう。
 しかし、工場の統治とコミュニティの統治は違う。紡績工場の場合は糸を生産するという目的に則して統治すればいいが、自給自足を基本とするコミュニティでは生活を成立させるための多様な道具や料理を生産する職人が必要であり、多様な農業従事者の存在も重要になる。しかし、オウエンが想定したコミュニティの人口規模では、多様な職人や十分な農業従事者を揃えるのが難しかったといえる。
(略)
 ニューハーモニーの実験は失敗したとはいえ、かねてからオウエンが提案していた理想のコミュニティづくりは形を変えながら後世に伝わることとなる。例えば、分業を禁止して協業を推進している点はラスキンに引き継がれているし、共同炊事場や食堂、外縁の工場と農地や森林のグリーンベルトという配置はハワードの田園都市に影響を与えている。住宅や土地が公的なもので、住民は地代や家賃を払って生活すること、いずれは住民たちがコミュニティを自治することが理想であるという考え方もハワードの田園都市論につながるといえよう。
 ニューハーモニーの失敗で失意のうちにイギリスヘ戻ったオウエンを驚かせたのは、アメリカに渡る前に彼が主張していた理想社会のあり方に賛同するオウエン主義者が、次々と具体的な行動を起こしていたことである。オウエンがニューラナークで取り組んでいた消費者による協同組合方式は、人々が協力して安く生活必需品を手に入れるための方法だったのだが、この部分だけを取り出して一般社会で展開するオウエン主義者たちが増えていた。オウエン自身は、協同組合方式は理想的なコミュニティを統治するための手段に過ぎないと考えていたのだが、後に続くオウエン主義者たちはこの方式によって既存の都市における生活を充実したものに変えることができると考え始めていた。消費者が協力して生産者から安く商品を手に入れる力を持つことや、労働者が協力して資本家から優れた労働条件を勝ち取ることなど、オウエンが主張した「協同」が社会に広がりつつあったのである。
 オウエン主義者たちは、こうして協同した人々が生産者や資本家に支配されない自立した立場を獲得することができると考えたし、それができれば人々は救済されると考えた。これはオウエンが考えた順序と逆である。オウエンは教育によって自立した個人を増やし、自立した個人が協同することによって自立した立場が獲得できると考えていた。しかし、オウエンの順序によって進めた実験が失敗した以上、後を追うオウエン主義者が進めようとしている方向に新しい可能性があるのかもしれない。アメリカから戻ったオウエンはそう考えていたのだろう。徐々に協同組合運動に協力するようになる。

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