不機嫌な作詞家 阿久悠日記を読む

不機嫌な作詞家 阿久悠日記を読む

不機嫌な作詞家 阿久悠日記を読む

47歳、鬱。

10月下旬のあたたかさだと云う。妙に生あたたかく気持が悪い。そのせいではないが、精神状態がひどく悪い。居直ることと、割切ることと、対することをいつの間にか忘れてしまったようで、少々自己嫌悪にかられる。(84・12・12)

 あげく、年の押しつまった28日に病院で鬱症状を訴え、ドグマチールという薬を処方してもらっている。ヒットメーカーとして名声を確立し、小説『瀬戸内少年野球団』が映画化されて世の話題となった時期だ。(略)
 ときに阿久さんは47歳。

深読みされたペンネーム

阿久悠(悪友)、河久東(悪党)、阿久忍(悪人)の三つが候補となり、最終的に阿久悠を採用することにした。(略)
阿木燿子さんは、「阿久さんは水瓶座生まれでいらっしゃるのね。アクエリアスからペンネームを考えるなんて、素敵」と感心する。ともにピンク・レディーのヒット曲を作った都倉俊一氏は、「いや、あれは英語のアイ・ライク・ユーだよ」とこともなげにいう。作家の陳舜臣氏は「ほう、魯迅ですな」と深くうなずく。
(略)
[日記には]「ここより永遠に」という意味合いがあると、ペンネームに関する新たな解釈を書き加えている。

ザ・モップス朝まで待てない

 ――たぶん、ほかの誰かに断られたんで、ぼくにお鉢が回ってきたんじゃないかな。
 ザ・モップスの『朝まで待てない』について、阿久さんがぽつりと口にしたことがある。昭和42年、ビクターからふたりのディレクターが突然やってきて、あしたの朝までに詞がほしいという。そのまま赤坂の小さなホテルに拉致され、カンヅメになった。やけくそのような気分でつけたタイトルが『朝まで待てない』。阿久さんにとっては初のA面楽曲だったので、これをもって公式のデビュー曲となっている。(略)
[中ヒットとなったが、以降、ヒットにめぐまれず]
とあるレコードディレクターからは、「きみの詞は売れないよ、哀しくないもの」といわれた。阿久さん自身も、なるほどな、と思う。しかし、売るために「怨」と「自虐」をちりばめ、情に溺れる詞を書く気にはなれなかった。幸いなことに、放送作家として生活は成り立っている。誰か物好きが褒めてくれればそれでいい――そんな思いだった。

夏目雅子賀来千香子松下奈緒
[うーん、女性の好みが一貫してる]

 日記の随所で、阿久さんは気になる人物の名前をメモしている。

村上春樹を気にしてみよう。(81・1・12)(略)
片桐はいり――劇団ブリキの自発団(85・10・27)
賀来千香子――「唐津火模様殺人事件」に主演していたが、いいヒロインになると思う。(87・1・27)(略)
そして、亡くなる数か月前――。
注目 松下奈緒 ピアニスト(音大4年生) 女優
(07・3・17)

小泉今日子中森明菜に心弾まない阿久悠

 皮肉なことに、日記のなかで阿久さんが最初にテレビというメディアに対して眉をひそめたのは、みずからが企画し、山口百恵ピンク・レディーを世に送り出した『スター誕生!』が発端だった。(略)

武道館でのスター誕生500回記念番組に参加。少々いやになる。夢の残骸を仰々しく並べて何になるのか。その後のパーティも同様。(81・3・18)(略)
スター誕生決戦大会。さびしい結果。もはや業界のこの番組への期待感は無しと見た方がいい。(81・9・2)

(略)
 この年いっぱいで阿久さんは審査員を辞した。番組がはじまってからちょうど十年(略)しかし、阿久さんが審査員席にいた最後の年、『スター誕生!』の舞台からは小泉今日子中森明菜が巣立っている。
(略)

 小泉今日子中森明菜も、「スター誕生」の堂々たる合格者ではあるが、決して、卒業生とか生徒というようには見えなかった。
 彼女たちは、少女であっても、どこか独立していて、極端なことをいうと、他人の知恵を拒んでいるようにさえ見えたのである。
 これは、山口百恵に感じた自立意識とか、自我の主張とも違っている。
 山口百恵の登場の衝撃は、多分に結果から逆算されたところがあり、大人を超える成熱度と感性を持っていたといっても、その時点までは、まぎれもなく少女であった。花の中三トリオにもなり得た。
 しかし、小泉今日子中森明菜も、大人のプロに対して、どこかヒラヒラと拒絶の手を振っていたような気がする。彼女たちの個性というより、時代であったと思う。
    ――『夢を食った男たち』より

直木賞への未練

正月休みがつづいている感じで終日ゴロゴロ。多少の苛立ちもある。向田邦子青島幸男、そして今回つかこうへいにまでスイスイと先をこされると、ムッともする。今年こそ腹をきめてやらねばならないか。媚びず、ほしがらずは貫きたいとは思うが。来週から本格的仕事はじめということで計画をたてなおそう。(82・1・20)(略)
「鳥獣戯歌」600枚、年末〆切。これで絶対に直木賞をとる!(82・9・9)
年間三冠王を具体的な目的にしよう。[映画]「瀬戸内少年野球団」を興行的に成功させるとともに、映画賞をとる。小説もそろそろだし、レコード大賞六度目を狙いたい。(84・1・1)

[第99、101回と候補になるも落選]
直木賞への未練は阿久さんの胸に残った。(略)
[候補内定の時期]

何かいい便りでもないかとぼんやり期待しているが、別にそれと思えるものはない。
(92・6・9)
(略)
ライバルが直木賞とりし日の夜の梅
  こぼれ散るさましばし見ており
    ――なかにし礼氏受賞(2000・1・14日記欄外) 

大瀧詠一

[田家秀樹『みんなCM音楽を歌っていた』から]
大森 その時に「小林旭さんです」と言ったんですけど「やります」ともなんとも言いません、返事はすぐにくれなかったですよね。ただ、深い沈黙がありました。
大瀧 沈黙でした? 内心は、そっちで来たかという感じでね。(略)でも、85年になんで小林旭だったんだろう、AGFは。
大森 やっぱり「北帰行」ですよ。朗々と広がりのある歌というんで。ディレクターと演出家とプロデューサーが「小林旭さんで」と言った時に、これはもう大瀧さん以外、私はやらないと決めてましたからね。
大瀧 それが自信ありげな表情に出ているわけですよ。僕はその時点でこれは天命と受け取ったから、そこで沈黙があるわけですよ。考え始めているんですよ、どのラインにしようか。「さすらい」にしようか「北帰行」にしようか。それで沈黙になったんじゃないですか。(略)あれが夜中に出来た時はインターホーンで女房をたたき起こして「聴け!」って。一生で一回だけですよ、そういうことしたのは。あんなことそれまでに一回もなかった。
大森 でも、その時点で作詞家は決めていたでしょう。
大瀧 阿久悠さんで決めてました。(略)「松本隆で」という声もありましたね。でも、僕は「小林旭に松本は合わないと思うから」って阿久さんにしたんですよ。
(略)
 阿久さんは一種のジョークとして、よく、「ぼくと一番相性のいい作曲家は大瀧詠一さん」と口にしていた。なにしろ組んで作った作品は『熱き心に』ただ一曲。それがヒットし、21世紀まで歌い継がれるスタンダード・ソングになったのだから、打率十割、はずれなし――という理屈である。
 私自身が大瀧詠一さんに一度だけお目にかかったとき、阿久さんがこのように語っていると話したところ、大瀧さんはすこし困ったような表情になり、「ぼくもそう思ってます」と応えた。

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