マルクス思想の核心、時間稼ぎの資本主義

マルクス思想の核心 21世紀の社会理論のために (NHKブックス)

マルクス思想の核心 21世紀の社会理論のために (NHKブックス)

 

 『資本論』刊行されるも反響は薄かった

[書評も出ずエンゲルスに愚痴るマルクス]
本の分厚さ、学術的スタイル、扱っているテーマの大きさ、複雑さ、特に冒頭部分の記述の難しさなどが読者に尻込みをさせた可能性は大いにある。
 加えて無視できないのは、この作品がドイツ語で書かれていたという事実だ。この本は亡命地のロンドンで執筆され、資料としてイギリスの議会報告書や白書がふんだんに使われている。だから、実例として引かれているのも主に19世紀イギリスエ業社会の現実だ。また経済学の前提や方法から見れば、マルクスは(略)イギリス古典派経済学の批判者継承者ともみなしうる位置にいた。こうしたことを考えあわせると、イギリスではもっと読まれてもよいはずの著作だった。しかし、いかんせんドイツ語で『資本論』を読める層は限られている。しかも英訳版が出版されたのはそれから二十年後、マルクスの死後のことだった。もっとも、イギリスで広く読まれるには、いささかヘーゲル哲学風の晦渋な論理や言い回しが混入しすぎていたきらいはある。
 ならばドイツ語圈ではどうか。(略)労働運動の強力な理論的支柱となるドイツ語の著作は切に望まれていた。(略)
 [だが]マルクスが「理論」の精緻化を目指して大英博物館図書室で日々格闘していた二十年[の間に](略)
プロイセンの労働者組織は、もはや体制転覆を目論む秘密結社ではなかった。それどころか、ビスマルク体制を補完する野党勢力へと成長を遂げつつあった。(略)
[ビスマルクは労働者階級の懐柔を目論み]ラサールに接近し、ラサールもまたそれを普通選挙法実現の好機と捉え、一定の協力姿勢を見せた。(略)
保守主義ビスマルク社会主義者ラサール[を結びつけていたのは](略)「国家」を社会的調整機能の最高形式とみなす、ドイツに特徴的な政治哲学だった。
(略)
ドイツでは、イギリス経済学が取り組んできた市場法則の解明よりも、国や地域の特殊性や歴史的条件を重視する歴史学派が重きをなした。国家の役割は交易の形式的自由を保障することではなく、国情に見合った保護関税を課し、職能団体による賃金や労働時間の調整を促すことにある。(略)
資本論』はイギリスではいかにもドイツ哲学風に感じられたかもしれないが、ドイツではいかにもイギリス経済学風に感じられたことだろう。
(略)
[ラサールの死後も全ドイツ労働者同盟は]親ビスマルク路線を継承し、やがてこれが深刻な内部対立を生み出すことになる。そもそも労働運動の目標は、体制内での労働者の地位向上にあるのか、それとも体制そのものの変革にあるのか。
(略)
ドイツ労働運動はラサール派とアイゼナハ派に分裂する。これが『資本論』刊行直後の労働運動の現状だった。(略)
 もし民族共同体としての国家が資本主義に対する優位性を保ち得て、政治による経済の制御が可能であるとすれば、『資本論』の主張は根底から揺らぐだろう。そうなれば、労働運動の「実践」は、マルクスの「理論」など頼りにしなくても十分にやっていけるはずだ。労働運動の指導者たちが長年待ちこがれていたマルクスの大著は、パーティに遅れてやって来た客のように冷たくあしらわれるだろう。(略)
[そのため]実践面では、体制側の懐柔策が労働者に真の解放をもたらすことはないということを立証し、労働運動の内部分裂を阻止しなければならなかった。理論面では「経済に対する政治や文化の優位性」を説く見解を論破し、社会主義理論の内部分裂を食い止めなければならなかった。政治や文化を規定している物質的基礎から目をそらし、自由、平等、友愛といった近代ブルジョワジーの神話を称揚することは、マルクスエンゲルスから見れば、かつての空想的社会主義の焼き直しにすぎなかった。しかもそんな見解が、ベルリンで活躍するオイゲン・デューリングという一人の論客を通じて、社会主義運動の中にもじわりと支持者を広げていた。本格的な理論闘争が急がれた。
(略)
[普仏戦争ドイツ帝国樹立により締め付けをくらった両派は再統一、ゴータ綱領採択、選挙で得票を伸ばすも、危機感を抱いたビスマルクにより公式活動を禁じられ、迫害された活動家は国外脱出]
こうして現実政治は徐々に『資本論』の想定に沿って動き始めた。
 第二の理論面でも(略)
『反デューリング論』の成功によって党内でのデューリング人気は急速に衰えていく。しかし、エンゲルスの貢献は、もともと凡庸なデューリング理論の仮面を剥ぎ取ったことだけではなかった。『反デューリング論』の意義はむしろマルクスの資本主義分析を世界史の法則として体系的に解釈したところにあった。(略)資本主義的生産様式は生産力を飛躍的に拡大し、やがて自らが拠って立つ生産関係を廃棄せざるを得なくなる。この一般法則は国境を越え、文化や歴史の特殊性を押し流しながら歴史を貫徹していくだろう。(略)
このように予見したエンゲルスは、マルクスの資本主義分析と経済学批判を「史的唯物論」と「科学的社会主義」の体系へと練り上げた。
 これは、エンゲルスによるマルクスの歪曲だったのか。これについては意見が分かれるだろう。しかし、このエンゲルスの解釈が、その後のマルクス受容史に消し難い一つのフィルターをかけたことは疑い得ない。

資本主義が発達した西欧諸国で、

なぜ革命が失敗したのか。

西欧マルクス主義の出発点となったこの問いは、エンゲルス=カウツキーの科学的社会主義が直視してこなかった一つの事実に目を向けさせた。それは、発達した資本主義のもとでは、格差や貧困の拡大といった経済的ひずみだけでは、労働者が革命に目覚めることはないという事実だ。(略)
 ルカーチの『歴史と階級意識』はこうした考え方[経済破綻が労働者を革命に駆り立てる]に異論を唱えた。
(略)
 マルクスにとって資本とは「一つの事物ではなくて、諸事物によって媒介された人格相互の社会的関係である」とルカーチは主張した。ただしマルクスはその社会的関係が、資本主義のもとではあたかも物と物との関係のように現れてくることに気づいていた。それをルカーチは「物象化」という言葉で呼ぶ。だからマルクスは、人間関係を経済関係に還元したのではなく、むしろ逆に「経済的・社会的な生活の物象化した対象性の全体を、人間相互の関係の中に解消させた」のだとルカーチは論じた。
 したがって、もし第ニインターの公式教義のように、歴史発展が科学的に、いわば自然現象と同じような方法で記述できるとするならば、それはとりもなおさず、社会関係が物象化していることの証拠だ。それは、歴史が資本主義的生産過程に全面的に取り込まれていることの現れなのだ、とルカーチは言う。目指すべきは、こうした必然性に歴史や革命を委ねてしまうことではない。むしろ主体の実践を通じて、人間の主観性と歴史の客観性の間に相互媒介と弁証法的関係を回復することだ。こう主張することで、ルカーチは、『反デューリング論』のエンゲルスと『資本論』のマルクスとの間に理論的な一線を引いた最初のマルクス主義哲学者となった。
(略)
しかも、1930年代になってはじめて、二十代半ばのマルクスのパリ時代の手稿(『経済学・哲学草稿』)が出版されることになり、こうしたマルクス理解がけっして的はずれなものではなかったことが立証されるにいたった。

シュトレーク『時間稼ぎの資本主義』

戦後資本主義は遅くとも70年代初頭までには高度成長期を終え、生産的な資本投資によって完全雇用を達成することは難しくなっていた。(略)そこに石油危機が襲いかかってきた。(略)
[資本側と労働者側]両者を全面衝突させないためには、とりあえずどこからか、お金を調達してきて双方をなだめるしかない。しかし、いったいどこから?(略)そこで政府は現実には存在しない貨幣を作り出し、その貨幣でとりあえず時間稼ぎをする策に出たとシュトレークは言う。
(略)
 その第一弾は70年代に登場した。(略)各国は景気回復の名目で財政の手綱を緩め、生産性を上回る賃上げを容認するという手法で自国通貨のインフレを放置した。(略)
[インフレで実質賃金を抑え、その一方で労働者側に名目賃金の上昇を印象づける]
こうして70年代の危機は「インフレによる時間稼ぎ」、すなわち実質成長を名目成長で肩代わりすることによって先送りされた。(略)[しかし]このマジックも70年代末には賞味期限切れを迎え
(略)
第二弾は、1980年代初めのアメリカのインフレ抑止策から始まった。これが本格的な新自由主義のスタートとなる。レーガン政権は政策金利を一時は20%近くまで引き上げることで、インフレを劇的に終息させた。(略)当然ながら、今度はデフレ効果による景気後退と失業問題が表面化してくる。(略)
今回採用したのは国家による紙幣増刷という手段ではなく、民間の金融機関から国家が将来の税収を担保に前借りするという手段だった。簡単に言えば国債の発行だ。(略)
レーガン政権下の国家債務は、金融市場の自由化と手を取り合って進んだ。(略)ドル高政策によって金利をつり上げ、石油危機で膨れ上がった産油国のオイルダラーを米国金融セクターに呼び込む。銀行はこれを元手に迅速かつ頻繁に国債を購入する。国は借金をすることで、オイルダラーの溢れかえる金融セクターに、安定した金融資金の運用先を提供する。金融セクターは、国家の税収不足を補填すると同時に、自らも安定した利子収入を得ることができる。国はその借金のおかげで富裕層や企業の税金を安くできる。それと同時に、国が大きな債務を抱えることは、社会保障費を削減するための格好の口実となる。債務が積み上がったことによって、国は福祉カットや公共セクターの民営化に向かわざるを得なくなる。民営化は千載一遇の投資先を作り出すと同時に、私企業の潜在的ライバルを排除し、資本の収益性を高める。これが新自由主義の貨幣マジックだった。
[だがそれも、1990年代になり国債費の大きさへの懸念が高まり賞味期限が来る]
(略)
時間稼ぎの第三弾、すなわち国家債務の民間債務の付け替え(略)
所得の伸びが停滞する中で、労働者たちは購買意欲を満たすためにクレジットカードに頼るようになる。金融機関は顧客を広げるために審査基準を甘くし、個人の債務上限が急速に引き上げられた。こうして借金への障壁は低下し、個人債務が拡大していった。
 これは新自由主義的な政府にとって好都合な展開だった。国は自分で財源を探す必要はなく、単にローンの審査を緩和し、債務者が自分でリスクを背負うように制度整備をすればよかった。低所得者でも筒単に持ち家が手に入るサブプライム・ローンは、こうして拡大していった。(略)
 これによって国は、低所得者公営住宅を提供する義務から逃れ、個人に無理な借金をさせることで税を節約した。
(略)
現在、銀行危機、国家債務危機、マクロ経済危機の三種類の危機をなんとか表面化させないために、貨幣による時間稼ぎの第四弾が進行中だとシュトレークは述べている。今回、せっせと時間を買い続けていいるのは各国の中央銀行だ。
(略)
[ギリシャのデフォルト危機管理で主役を演じたのはアメリカ住宅バブル時代にゴールドマン・サックス副会長だったドラギECB総裁と国債顧問をやっていたイタリア首相マリオ・モンティ。]
これを偶然の一致と見るほどナイーブな人は少ないだろう。(略)
[伊・西に供給された50兆円は]逼迫していたドル資金の確保や国債購入に充てられた。なんのことはない、危機に陥った銀行がECBから低利の長期資金を借り、その資金で危機国の短期国債を買って利鞘を稼いだ計算になる。
 常識的にはモラルハザードと呼ばざるを得ないこの措置で南欧諸国の国債利回りは低下し、債務危機は一時的に鎮静化した。
(略)
 中央銀行による時間稼ぎは、今のところ、時間を稼ぐという目的は果たしているように見える。ただしその資金源が最終的には国民の税金であることに変わりはない。買われた時間を利用して問題の根本解決に取り組まない限り、いずれは中央銀行が自ら抱えた不良債権のためにその通貨圈の貨幣価値を下落させることになる。そのとき、次なる時間を買う能力を持っているのは誰か。その時間稼ぎはいったいどのように行われるのか。
(略)
 資本主義をそれなりに飼いならしてきた戦後の民主主義は、こうして今や資本主義によって飼いならされている。(略)
この四段階の時間稼ぎは、民主主義が資本主義の支配に屈していくステップでもあった。
(略)
[シュトレークは]ハーバーマスに代表される70年代のフランクフルト学派から大きな影響を受けている。しかし、フランクフルト学派の危機管理は、後期資本主義の危機を経済危機としてではなく、何よりも民主主義的な正当性の危機として捉えていた。現代の支配権力はもはや自由な公共圈での討議と合意形成に根拠を持つものではない。それは政党や労働組合ロビイストなどによる団体協調主義的な妥協の産物にすぎないと彼らは論じた。そこで暗黙の前提とされていたのは、資本主義自体の矛盾や不均衡は、今やテクノクラートによるシステム操作やケインズ主義的な国家介入によって制御可能になったという想定だった。だからハーバーマスは資本主義経済自体の分析から距離をとり、むしろ道徳、法、民主主義の基礎づけ理論へと向かった。当時の危機理論のこうした楽観的な想定は、戦後の民主主義的資本主義の自己理解をあまりにも受け入れすぎた結果だとシュトレークは批判する。それによってフランクフルト学派の危機理論は資本主義の制御問題を過小評価し、1970年代末から始まった資本主義の新自由主義的転換の本質を捉えそこなったというのが、シュトレークの主張だ。

次回に続く。

時間かせぎの資本主義――いつまで危機を先送りできるか

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