マルクス思想の核心・その2 人権批判

前回の続き。

マルクス思想の核心 21世紀の社会理論のために (NHKブックス)

マルクス思想の核心 21世紀の社会理論のために (NHKブックス)

 

ロックのブルジョワジー擁護

注意深く読んでみると、ジョン・ロックの議論にはじつに巧みにブルジョワジーの擁護論が隠されていることが分かる。
(略)
 ロックは、ホッブズとは対照的に、自然状態を人々の平和な共存状態とみなした。ではなぜ自然状態で人々は平和に共存できるのか。なぜ人々は他者と争うことなく生きていけるのか。それは、食糧や生活必需品を自分で調達できたからに違いない。では何か、必要物資の自己調達を可能にしたのか。それは人間の労働以外にはありえない。(略)
そこには[自給自足という]アメリカ植民地のイメージが重ねられていた。(略)
ロックはその自然状態の中に「労働による生産物の私有」というブルジョワ的観念をさりげなくもぐり込ませた。
(略)
 誰もが同等の所有権を持つはずのドングリが、なぜ私の私有物になるのか。何がドングリに「私有物」としての性格を刻印するのか。それは、ほかならぬ「私の労働」だとロックは言う。労働によって共有物は私有物と化す。しかもそれは、社会の約束や合意による法的な決定ではない。なぜといって、自然状態には国も法律もまだ存在していないからだ。強いて言えば、それは神の定めた自然法による決定だ。こうしてロックは労働による所有権を、国家設立に先立つ自然法によって与えられたものとして正当化した。
 これはじつに重要なポイントだ。なぜならこの論法によって、労働による所有権が国家の上位概念となったからだ。後に分かることだが、ロックの国家はむしろ、この所有権の保護を命じられた見張り番として呼び出される。(略)
 ただし、とロックはさらに議論を進める。では私がせっせと働き、そのドングリを採りつくして全部自分の所有物にしてしまってもよいだろうか。いや、それは駄目だ、とロックは言う。それはなぜか。そんな大量のドングリは私一人では食べきれ[ず、腐らせてしまうから]。(略)他の人が同じように労働を通じて食糧にできたはずのドングリを、私は欲をかいて無駄に腐らせてしまった。それは神の配慮に逆らって他人のものを奪ったのと同じことだと、ロックは言う。
(略)
 では、ドングリを自分が食べきれるより多く採ることは許されないのか。いや、そんなことはない、とロックはまた考える。ここからロックの卓抜な議論の第二弾が始まる。(略)
「交換」という方法を使えばよい。(略)
一週間で腐ってしまう李を一年間は十分食用として保つところの胡桃と交換したとすれば、これもまた人に害を及ぼすものではないのである。彼は共同の資源を浪費しなかった。(略)またもし彼がその胡桃を、色彩が気に入って一片の金属と交換し、あるいは自分の羊を貝殻と、あるいは羊毛をキラキラ光る小石またはダイヤモンドと交換し、それを一生自分のものとして保存するとすれば、彼は決して他人の権利を侵したことにならない。彼はこれらの永続性のあるものを、その欲するだけ蓄積して差支えなかった。自分の正当な所有権の限界を超えたかどうかは、その財産の大きさのいかんにあるのではなく、何かが無用にそこで滅失したか否かにあるからだ。
「このようにして、貨幣の使用が始まった」とロックはこの文章に続けている。こんな論法でロックは貨幣経済を、国家以前の自然法的発展の中にすべり込ませた。
(略)
もし神が人間のために準備した土地に誰も労働を投入せず、ドングリやスモモが地面に落ちて腐っているとしよう。そんな状態を放置しておくことは、ロックの理論からすれば神の配慮に対する忘恩行為だ。ネイティブ・アメリカンが「無駄に」遊ばせている土地[などには入植して労働による所有権を確立すべきだ](略)
土地を自然状態に放置する人は、その土地に対する所有権を実質的に放棄しているのであり、そうであれば取り上げられても文句は言えないだろう。この考え方には、先住民や貴族の土地所有に果敢に挑戦する、ブルジョワジーの利害が透けて見える。

政治的解放が人間的解放になりえない理由

もしユダヤ人が国家公民としての実を備えたいならば、まずは自分たちをその偏狭な宗教から解放しなければならない、とバウアーは主張した。(略)
[これにマルクスはどう反論したか]
 まずマルクスは、こうした議論は、ある国家が宗教とどのような関係を保っているかによって変わってくると指摘する。マルクスはそこで三つの段階をあげている。
 第一は、国家がまだ名実ともに宗教から自立していない段階だ。この段階での国家はいまだに宗教の力を借りることでしか自らの正当性を証明できない。そこにはロックの言う意味での市民的政府や政治的国家はまだ存在していない。この段階にある国家として、マルクスは当時のドイツ諸国をあげている。その段階にある国家は、宗教問題に関する限り、神学者として振る舞うほかない、とマルクスを言う。そこでは、ユダヤ人問題は単なる「神学問題」でしかなく、キリスト教ユダヤ教の争いごとにすぎない。
(略)
第二段階は、形式上は立憲国家として宗教的中立性を持つ政治権力が存在しているが、現実には宗教権力が圧倒的に多数派の宗教として社会を支配しているような国だ。マルクスはその例としてフランスをあげている。そこでは国家に対するユダヤ人の関係も中途半端な形をとり、見かけのうえでは宗教的・神学的な対立として現れてくる。
 そして第三段階が、名実ともに政教分離を基礎とする政治的国家が成立している国だ。マルクスはその例として北アメリカの自由諸州をあげている。ここではじめてユダヤ人問題は神学的問題から世俗的問題に転じるとマルクスは言う。
(略)
 では、とマルクスは問いかける。このアメリカ合衆国で、人々は宗教的であることをやめただろうか。笞えははっきり「否」だ。
(略)
ではその関係をどのように理解すべきか。マルクスは別の例をあげてこれを説明している。たとえば選挙権、被選挙権を認めるのに納税額を条件とするという規定を廃止したとしよう。これは財産の多寡は政治的には意味を持たない差異であること、すなわち「非政治的な区別」にすぎないことを、国家が宣言したことを意味する。しかし、だからといって財産の多寡がなくなったわけではなく、財産の多寡を廃止する意図がほんのわずかでも国家にあるわけでもない。
 これは二十世紀の婦人参政権でも同じことだろう。男女の区別が政治的に無意味なカテゴリーと化すということは、男女の区別自体が消滅することを意味してはいない。単に国家が、性別の違いを非政治的な区別だと宣言しているにすぎない。(略)
しかしこれは、事実として存在する男女の区別や差別を廃棄することとはまったく別次元の問題だ。いわばこれが、マルクスの思い描いた政治的解放のイメージだった。
 国家が、出生や身分や教育や職業を非政治的な区別だと宣言する場合(略)すべては国民主権への平等な参加者だと公言する場合(略)国家はたしかに、自分なりの仕方で、出生や身分や教育や職業の区別を廃棄していると言えるだろう。にもかかわらず国家は、私有財産や教育や職業に、それらなりの仕方で、つまり私有財産として、教育として、職業として効力を持たせ続け、それぞれ固有の本質を発揮させているのである。国家は、事実として存在する区別を廃棄することとはまったく無縁であり、むしろ国家は、そういう前提のもとにのみ存続し、自らを政治的国家として実感し、こういう諸要素と対立することによって自分の普遍性を発揮しているのである。(「ユダヤ人問題に寄せて」)
(略)
バウアーは国家公民としてのユダヤ人と私人としてのユダヤ人が分離している以上、ユダヤ人の政治的解放は不可能だと主張した。マルクスの視点から見れば、事実はまったく逆だった。
(略)
バウアーの議論は、いまだにドイツの神学論争の派生物にすぎず、市民国家論としての資格を欠いていた。政治的国家は宗教による正当化を必要としなくなる過程で、むしろ宗教の自由を非政治的な私的自由として解放していく。これが北アメリカ自由州で観察されていた事実だった。
(略)
マルクスはもちろんこの歴史段階に満足していたわけではない。(略)
ユダヤ教から絶縁しなくても、政治的には解放されうる。この知らせが一つの朗報であることは間違いない。しかしそれは同時に、政治的解放そのものはまだ人間的解放ではないという暫定通知でもある。(略)
 政治的解放が人間的解放になりえない理由は、政治的解放というカテゴリー自身の内にある。これはきわめて鋭い指摘だ。(略)その過程でふたたび浮かび上がってきたのが、市民革命に謳われていた人権という概念だった。

マルクスの人権批判

:人権が所有権の別名にすぎなくなれば……

[マルクスは1793年の憲法を読み返す]
第六条、「自由とは、他人の権利を侵害しないかぎり、なにをしてもいい、という人間の権利である」。あるいは1791年の人権宣言によれば、「自由とは、他人を侵害しないことはなにをしてもいい、ところにある」。
マルクスはこれをいみじくも、「人間と人間との結びつきよりも、むしろ人間と人間との隔離に基礎を置いている」自由と呼んでいる。「人権とは、限定された、自分に局限された個人の権利のことなのである」(略)
第十六条、「所有権は、公民の一人一人が、その財産、収入、労働および勤勉の成果を、自分の欲するように享受もしくは処分する権利である」。(略)
私たちが先に見てきたあのロックの思想がここにもまごうことなく潜んでいる。こうしてマルクスは、市民革命の高らかな理想の陰に隠れている人間観を批判する。
 いわゆる人権は、どれをとっても、エゴイスティックな人間、市民社会の成員としての人間、つまり自分自身へと引きこもった個人、自分自身の私的な利益と恣意とに引きこもって、共同体からは隔離された個人、そういう人間を越え出るものではない。いわゆる人権の中では、人間は類的存在と捉えられるどころではない。そこではむしろ、類的生活そのものである社会は、個々人にとっては、ある外的枠として、本来の自律性の制限として現れている。
 人権がブルジョワの所有権の別名にすぎなくなれば、政治的共同存在はいわゆる人権保持のためのたんなる「手段」に引き下げられてしまう。政治的解放というかけ声の裏には、政治共同体についての道具的理解が潜んでいる。これがマルクスの批判だった。(略)
 こうしてマルクス市民社会における政治的解放の正体を明らかにする。政治的解放とはとりもなおさず、「利己的な欲求主体としてのブルジョワ」と「抽象的な道徳主体としてのシトワイヤン」との媒介不可能な二極分離の表現だった。市民社会における自由とは畢竟、営業の自由であり、財産形成の自由であり、ブルジョワがシトワイヤンの拘束から逃れていくための自由だった。それがロックの自由主義に隠されていた市民社会の実像にほかならない。これに対して、マルクスが要求したのは、この分裂そのものを克服する人間的解放、すなわち抽象化した公民をふたたび具体的経験のうちに取り戻し、個人としての人間が他者との相互行為の中で類的存在となりうるような解放だった。
(略)
 来るべき社会の構想については、マルクスは生涯を通じてそれほど多くを語らなかった。しかし、一つだけ確かなことは、その構想が財の平等分配や生産手段の公有化といった経済的カテゴリーでも、あるいはまた所有権や自由権の形式的保全といった政治的カテゴリーでも捉えられていなかったことだ。コミュニズムという言葉が共産主義と訳されたことはマルクスにとってはおそらく不本意だったろう。それは個人と共同体が相互に矛盾することなく、一方の解放が他方の解放の条件となりうるようなコミューン主義、共同体主義と訳されるべき概念だった。

子育てが商品生産と類比される世界

はたして人間の生命は商品なのか。子育ては未来の商品価値を高めるための投資なのか。人間の労働力を商品化することが当たり前になった経済社会が、はたして人間本来のあり方、マルクスの言葉を借りれば「類的存在」に照らして望ましいのか。このごく当たり前の問いを、私たちはすでに久しく忘れ去っている。
 マルクスが賃金労働を批判するのは、それが結果として所得格差を生み出すからではない。むしろそれが、この類的存在の実現を不可能にするからだった。

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