圏外編集者 都築響一

こっちの本
置屋状態の大手出版社・既存メディアへの怒りが激烈。

圏外編集者

圏外編集者

はじめに

[出版不況というが]
 出版というメディアは終わっているのだろうか。僕はそうは思わない。終わっているのは出版業界だ。(略)
がんばればがんばるほど業界から遠ざかってしまった僕のように(略)、むしろ自分が人生を賭けてもいいと思える本を作ることが、そのまま出版業界から弾き出されていくことにほかならない2015年の日本の現実を、「マスコミ志望の就活」とかに大切な人生の一時期を浪費している学生たちに知ってほしいだけだ。給料もらって上司の悪口言いながら経費で飲んでる現役編集者たちに、出口を見せてあげたいだけだ。

「編集」は基本的に孤独な作業

[90年代初頭世界最大見本市フランクフルト・ブックフェア、その年のテーマは「地下出版物」]
「地下出版物」にも上下関係があって、展示場のいちばんいい場所は反体制の政治的な雑誌や、発禁の現代文学とかが占めているなかで、いちばん隅っこの柱の陰に、ほかと明らかに雰囲気がちがう汚い革ジャンの太ったロシア人が自作本を並べて、ヒマそうにしてた。(略)
いかにも手作りふうの1冊がおもしろそうで「これいくら?」と聞いたら、「限定5部だから売れない」とか言う。(略)
 当時のロシアは印刷機やパソコンどころか、コピー機すら1枚ごとに上司に許可を取らないと自由に使えない、という状況だったらしいので、簡単に自費出版なんてとんでもないわけ。で、そいつは手動のタイプライターに紙を挟んで、それにカーボン紙を挟んで、また紙を……という具合に紙とカーボン紙を重ねていって、原稿を打つと。指に力を込めて打てば、5部まではなんとかいけるんだ、とか平然と説明されて、僕はなんと言っていいのかわからなくなった。
(略)
能力や財力は持っていない。でも、意欲だけはだれよりもある。この強い意志が、タイプを叩く力になって『モスクワ・ローリングストーンズ・ファンクラブ会報』は世に生まれた。当時、オシャレなデザイナーたちは「Macのレイアウトソフトは文字組みがどうの」とか「やっぱり活版が」とか、ごちゃごちゃ言ってたけれど、モスクワから汚い雑誌を背負ってドイツまで来たそいつに出会ってから、その手の贅沢な戯言は口が裂けても言わないように、こころに決めた。
 ひとりで自費出版本やZINEを作って、ブックフェアやコミケで売ってる人間にも、モスクワの革ジャン兄ちゃんみたいに、他人とコミュニケーションを取るのが苦手なタイプがいるはずだ。いままでいろんな人間を取材してきたけれど、経験から言って、ほんとうにすごい本を作ってるのは地味で無口で、ひとりでコツコツ作業するのが好き、というひとばかりだった。口で説明するんじゃなくて、なにかを作ってみんなに見せるのが、彼らのコミュニケーションなのだった。「編集」は基本的に孤独な作業だ。(略)[多人数で作っても]最終的な判断はひとりの編集長が下すはず。だからこそ雑誌の個性が生まれてくる。逆に、そういう「編集長の顔」が見えない雑誌は、おもしろくない。
 だからいま、地方でよく見かけるでしょう、ひらがなタイトルのほっこり雑誌。ああいうのって、がんばってるなとは思うけど、意外におもしろいのが少ない。「昔ながらの町のパン屋さん」とか「アートでエコなカフェ」みたいな記事ばっかりで(笑)。たぶん、みんなで相談しながら作っているからだ、仲良しクラブみたいな感じで。
 ひとりということは、相談するひとがいないということ。だからブレようがない。どうしても作りたいという思いの前に、「仲間」は助けにもなるけど、時として障害にもなりうる。(略)

専門家より自分の感覚

[80年代前半NYに取材に行っていると]
どんどんシーンがおもしろくなってくる。それまでは単に「グラフィティ=落書き=違法行為」扱いだったのが、キースもバスキアも、ちょうど鋭い画廊がピックアップし始めた時期だった。
 それで彼らを取材する。で、東京に帰ってきて記事にするのに、いろいろ参考資料を探そうとしても、『美術手帖』や『芸術新潮』、どこを見てもそんな情報は載ってない。
 そうなると最初は、自分がハズしたかと思うわけ。専門家がぜんぜん取り上げてないから。でも、そういうことがあまりにもたびたび起こるうちに、ハタと気がついた。専門家たちは、実際に行ってないから知らないだけだって。知識はあっても行勣力がないから、その分野で起こりつつある新しい流れを知りえない。(略)
で、そうやってだんだん、専門家の言うことじゃなくて、自分の目と感覚のほうを信用するようになっていった。10年間の雑誌時代で、僕にとってはそれがいちばんのトレーニングだった。

新しいものへの嗅覚

 ほんとに新しいものに遭遇したときって、いきなり「最高!」とか思えなかったりする。もちろん名前も聞いたことないし、見たこともないし、いいとか悪いとか、判断ができない。でも、出会った瞬間にこころがざわつく。
 それを「いい」と言い切るのには、もちろん不安もいっぱいある。知らないのは自分だけなのかもしれないし、まったくハズしてるだけかもしれない。
 いまだにほとんどの記事はそういう不安を抱えながら作っているけれど(ほんとに!)、不安を乗り越えるためにできること、そのひとつに「カネを出す」ことがある。
 たとえばまったく無名な画家を特集したいと思うときに、そのひとの絵を自腹で買おうか考えたら「金を出してもいいほど好きなのか、ちょっとよさそうだから取材してみようって程度なのか」、瞬時に判断できる。(略)それが自分の嗅覚を育てる上で、いちばん手っ取り早い方法かもしれない。
(略)
 美術でも文学でも音楽でも、他人の評価ではなくて、自分でドアを開けてみないと、経験は積み上げられない。そうやって成功と失敗を繰り返しているうちに、いつのまにか、自分が「いい」と思ったものは、だれがなんと言おうと、いいと言い切れる日がやってくる。
(略)
 1980年代初期というのは、アートで言えばニューペインティングだったけれど、建築やインテリアデザインの世界では「ハイテック」というスタイルが爆発的に出てきた。それまで建築のエレメントとは見なされていなかった工業製品を大胆に使ったり、剥き出しの構造に美を見出したり。建築の世界で不動の概念だった「モダニズム」というものに対する、パンキッシュな反抗精神も秘めていて、ニューペインティングに近いスピリットを感じたし、すごく興奮した。
(略)
日本の建築雑誌は立派だけど、どこを見てもそんなのは載ってなくて、コルビュジエだのライトだのって大御所建築家と、超高級家具しか出ていない。そんな家に住んでるひとなんて、ひとりも知り合いにいないのに。
 それで「居住空間学」を始めてみたら、ちゃんと現地に行って取材してるのに「てきとうに写真買って誌面作ってんじゃねえよ」とか、おっさん評論家に怒られたり。そういう侮しさは忘れないし、それがいまでも仕事の原動力になってる。「いまに見てろ!」って……もうすぐ60歳だけど。

読者層を想定するな

 その編集長から教わったことはいろいろあるけど、いちばん身についたのは、「読者層を想定するな、マ−ケットリサーチは絶対にするな」だった。知らないだれかのためでなく、自分のリアルを追求しろ、と。そういう教えが、僕の編集者人生のスタートだったのかもしれない。
 たとえば女性誌を作るとする。「この雑誌の対象は25〜30歳の独身女性で、収入はこれくらいで……」とか、読者層を想定する。その瞬間に、その雑誌って終わるよね。だって自分は25〜30歳の独身女性じゃないから。
(略)
ポーチとかの「特別付録」の包袋紙みたいなファッション誌や、男性編集者が勝手に妄想する女性向けセックス特集なんて、だれが読みたい? しかもそういうリサーチって、出版社自身じゃなくて、たいてい大手の広告代理店とかが出してくるものだし。
 若い編集者と飲む機会もたまにあるけれど、「企画が通らない」とか「編集長がダメ」とか「営業が口出す」とか文句言うのは、だいたい大手出版社のやつ(笑)。高給取りにかぎって、文句が多いから。弱小出版社のエロ雑誌や実話誌の編集者は、ぜったい文句言わない、ほんとに。「給料安いし大変だけど、好きでやってるんですから」って。

若手編集者の加齢臭

いまだに「石の上にも三年」とか言う上司や先輩がいる。それは「石の上に三年いちゃった」やつが言うセリフだ。(略)転職なんてどんどんすればいい。合わないと思ったら、辞めちゃえばいい。そういう直感って、意外と正確だから。
 こういう仕事だと、むしろ3年同じところで我慢していたら、感覚が失われてしまう危険だってある。たとえばオヤジ系週刊誌って、どのページも加齢臭すごいでしょ。でも実際に編集部で誌面を作っているのは、若手の編集者が多かったりする。(略)不思議に思って、知り合いの編集者に聞いたことがあった。そしたら2〜3年編集部にいるうちに、どんどん文章も年取っちゃうんだって。
 それはすごく怖いと思った。(略)
 自分が思ってもいない、信じてもいない誌面を作らされているうちに、いつのまにか自分が「思っても信じてもなかったこと」そのものになっている。「ちょい悪おやじ」とか「プロ彼女」とかに

『ArT RANDOM』とMac導入

アウトサイダー・アート」は、このジャンルとしては日本で出版された最初の一冊だったと思う。ヘンリー・ダーガーの作品も、これが日本では初めて紹介された機会だった。
 102冊もあるから、1冊ずつの思い出はとても語り尽くせないけれど、印象に残っている出来事のひとつは、このとき初めて Macを導入したこと。それまではちゃちいワープロしか使ってなかったから。
(略)
 当時はまだデータ入稿ではなく写植の時代で、そうすると英語の写植というのが、お金も時間も非常にかかる。著者は世界中に散らばっているから、校正のやり取りも大変だし。
 それで発売されたばかりのパソコンを導入すれば、日本語と英語をシームレスに使えるかと思って[50万円で購入]
(略)
[HDDなんてなく]フロッピーを何十枚もがちゃがちゃ抜き差ししながらの作業。プリンターだって、ちょっとあとに出た最初のレーザープリンターはもちろんモノクロだけで、A4までしか出力できなくて、それでも100万円ぐらいした。
(略)
そこでまたいろいろ言うやつがいるわけ。「パーソナルコンピュータは、ただ便利だからという理由で使うものではありません、新たなツールが新たな思考を生むのです」なんて。カチンと来たね〜(笑)。
 そういうこと言うひとは、たいてい大学の先生だったり、企業の研究者だったりする。ちゃんとお給料と研究室もらって、それでそういうことを言う。でもこっちは、なんとか少しでも写植代を減らして、安くいい本ができるようにという、もっともっと切実な理由で、身銭を切って導入してるわけ。崖っぶちまでの近さが、ぜんぜんちがうから。
 それって大学で「美術は死んだか」とか悠長に議論してる御大作家や評論家先生と、まるで一緒でしょ。ごちゃごちゃ言ってるあいだに、1枚でも多く絵を描けって。あのあたりでもう、自分のアカデミズム嫌いが決定的になったのだった。

TOKYO STYLE (ちくま文庫)

TOKYO STYLE (ちくま文庫)

『TOKYO STYLE』

[あちこち企画を持ち込んだが相手にされず]「そんな狭い部屋ばっかり、どうするの?意地悪すぎじゃない」(略)
[一旦諦めかけたが]
ついに我慢できなくなって、ヨドバシカメラに駆け込んだ。「素人でも使える大型カメラのセットください」って、買ってしまった。経験ゼロなのに。
 とりあえず、友達のカメラマンにフィルムの入れ方だけ教わって、クルマを持っていなかったので、中古スクーターの足元にカメラバッグを置いて、三脚を背中に背負って、走り始めた。通常のインテリア撮影で使う大型の照明機材は高価で手が出なかったし、だいいち原チャリの足元にも置けなかったから、ランプをひとつだけ買って、カメラバッグに押し込んで。
 当時はまだフィルムの時代だったから、最近のデジカメのように高感度でもきれいに撮れる、なんてわけにはいかない。ストロボもないから、暗いままで撮る。ということは、露出時間が30秒とか1分とかになる。(略)
「部屋の主が写ってないのが、逆に想像力をかきたてる」とか評してくれたひとがけっこういたけれど(略)実は写せなかっただけ(笑)。1分間じっとしてて、なんて言えないでしょ。

ROADSIDE JAPAN―珍日本紀行 東日本編 (ちくま文庫)

ROADSIDE JAPAN―珍日本紀行 東日本編 (ちくま文庫)

『ROADSIDE JAPAN』

[原付きで地方は無理なので]マツダのなんとかいうセダンを12万円で売ってもらった。(略)カーステレオはついてたものの(カセットだけ)、スピーカーのコーンが破れていて、それでジミ・ヘンドリツクスとかかけると、いい感じだった!(略)
長距離のときは高速のサービスエリアで仮眠して。(略)
自分ひとりで旅に出て、ひとりで運転もして、写真も撮って、文章も書くなら、なんとかなる。そういう純粋に経済的な理由で、写真も文章もひとりでやったのだし、それからもずっと、僕の仕事はだいたいそんなようになっている。
 「やっぱりぜんぶ自分でやるのはコダワリですか?」と、よく聞かれるけれど、それはまったくちがう。きちんとトレーニングしたわけではないから、いまだに写真は「撮れてるかな?」と心配だし(特にフィルム時代はそうだった)、本心を言えば出張の段取りや写真撮影はだれかに任せて、自分はインタビューや、次に行く場所のリサーチに専念したい。(略)
よく今まで、居眠り運転で死ななかったと思う、ほんとに。

「死刑囚の俳句」

とにかくどんなひとがこういう句集を作っているのか知りたくて、出版社を訪ねてみた。
 そこは東京の神田ではなくて、滋賀県の琵琶湖のほとりにあるまったくふつうの住宅で、温厚そうな中年の男女ふたりが営んでいる出版社だった。それでいろいろエピソードや苦労話を聞かせてもらううちに、まず唖然としたのが「俳壇からは圧倒的に批判のほうが多かったんです」と言われたとき。
 死刑囚の俳句はおもに、死刑廃止市民運動に取り組んでいる団体を通じて世に出るので、活動家たちからは「また俳句屋が来たぞ」なんてからかわれて、それで本になったら俳壇から「ひとつひとつの句に、作者の境遇など短い説明を入れたのがよくない」「俳句を読みつけていない人にもわかりやすいように、3行に分かち書きしたのもよくない(ほんとうは1行で書くべき)」「ルビを振ったのもよくない」などなど、「ずいぶんお叱りを受けちゃいました」って苦笑いしてた。くだらない、ほんとうに。

ヒップホップの詩人たち

ヒップホップの詩人たち

『ヒップホップの詩人たち』

[地方でも音楽活動ができるという話のあと]
 誤解されないように言っておくと、それはなにも「いま地方が盛り上がってるから」とかでは、まったくない。
(略)
シャッター商店街と郊外化。若者に仕事は見つからないし、賃金は低価安定だし、文化的なプロジェクトなんてなにもない。
 セックスとクルマしかなくて、でもどこを運転してもイオンタウン洋服の青山東京靴流通センターとパチンコ屋とファミレスがあるだけ。そういう、東京とは比べものにならない閉塞感でがんじがらめになっているからこそ、「ひどすぎて笑える」くらいのやりきれなさだからこそ、こころを撃つなにかが生まれてくる。ほんとうにすごいものは、ぬるま湯からは生まれないから。「マイルドヤンキー」とか騒いでるマスコミは、その絶望感がまったくわかっていない。

『妄想芸術劇場』
右リンク先で画像プレビューできます→BCCKS / ブックス - 都築響一著『妄想芸術劇場001 ぴんから体操』

エロ雑誌にもやっぱり上下関係があって、売れっ子のモデルやAV女優をきれいに撮影したグラビア雑誌が頂点だとすると、読者の投稿だけで成り立っている『ニャン2』のような露出投稿雑誌は、エロ雑誌界の最底辺だ。エロというより、グロと言いたいページのほうが多いくらいだし。ド変態だし。
 ただ、そんな最底辺の露出投稿雑誌にあっても、写真を投稿できるひとたちは、やっぱり恵まれた部類でもある。とんでもないことをさせて、写真に撮らせてくれる相手がいるのだから。そういう相手すらいない、写真を撮ることさえできない人間でもなにかを発信できる場所、それが「投稿イラスト」コーナーだ。
(略)
 脳内は妄想でパンパンに膨らんでるけれど、自分には縛らせたり、調教させてくれる相手がいない。カネで買うこともできない、それどころか女性に声をかけることすら苦手。そういう男たちが自分の妄想を絵にしては、送ってくる。なかには毎月何枚も。なかには創刊以来20年以上、欠かさずに。
(略)
 なかにはほんとうにアートとして素晴らしいと思える作品もあった。特に狂気の度合いが突き抜けているというか、とんでもなくパワフルな絵を描く「ぴんから体操」という投稿ネームの投稿者には、あまりにも感銘を受けたので、なんとか本人にお願いして、デザイナーの松本弦人さんが主宰する「BCCKS」という自費出版システムを使って、僕が自分で『妄想芸術劇場・ぴんから体操』という作品集を作ったりもした。
(略)
 そういう投稿イラスト職人って、いったいどんな人間なのか、当然知りたくなる。[だが30人に声をかけ、実際に会えたのは3人](略)
「どう使ってもらってもかまわないけど、会いに来るのだけはやめてくれ」というひとが大半だった。いったいどういうことなんだろうって、すごくびっくりした。
 彼らにとっては、妄想を具現化した絵があって、それだけが外の世界との接点なのかもしれない。それ以外に接点を持ちたくないのかもしれない。接点を持とうとしても持てない、精神的や肉体的な障害があるのかもしれない。
 投稿の封筒裏に書いてあるから、投稿者の住所はわかってる。そこに東京の港区や渋谷区なんて地名はなくて、すべて地方、すべて郊外だったのも印象的だった。

「スキマ」狙いではない

「どうやってネタを探すんですか」と、「どうやったらそういうようにスキマ狙いできるんですか」というのが、インタビューを受けるときの二大質問かもしれない(笑)。
 ここで声を大にして言いたいのは、『TOKYO STYLE』のときからスナックの取材にいたるまでずっと、僕が取材してきたのは「スキマ」じゃなくて「大多数」だから。有名建築家がデザインした豪邸に住んでるひとより、狭い賃貸マンションに住んでるひとのほうがずっと多いはず。
(略)
 みんながやってることを、どうしてメディアは取り上げられないのか。それが僕には長いこと疑問だった。もし、みんなにはできない、ひと握りのひとたちにしかできないことしか取り上げられないのなら、みんながやっていること、みんなが行っているところは価値がないのか。劣っているのか。前にも言ったけれど、そうやって羨望や欲求不満を煽っていくシステムや誌面作りにほとほと嫌気が差したから、みんなと一緒の場所にいようとしているだけ。だからもう既存のメディアから、ほとんど仕事が来ないわけだけど(笑)。
 みんながやってることを記事にするとは、どういうことかというと、「取材が楽」ということでもある。皮肉ではなく、ほんとうに。探さないと見つからない、というものではなく、どこにでもあるもの。スナックだってラブホテルだってワンルームマンションだって、そこらへんにいくらでもあるものばかりだから。

「アマチュアにできない量」

 技術の進歩とは、技術を学ぶ時間を短縮することで、表現のハードルをぐっと下げてくれることを意味する。
[経験値よりセンスと行動力だけの勝負に](略)
 いつでもそうだがテクノロジーは、持たざる者にとっては力になるし、持つ者にとっては脅威になる。(略)
 ただ、「描ける」と「描く」がちがうように、その先が大変なのは、いまも昔も変わらない。だから表現っておもしろいのだろう。ひとにできないものを生み出す困難さはいつでも一緒、でもスタートラインに立つのは昔よりずっと簡単になった。これはものすごく大きいことだと思う。
(略)
 そういう時代にあっても、「プロはアマチュアのできないことをやらなきゃならない」のだけれど、僕は自分が編集の、写真のプロとしてどう「アマチュアにできないこと」をできるのか、正直言ってわからない。自信もない。いまできるのは「アマチュアにできないこと」ではなくて、「アマチュアにできない量」しかない。ほんとうに、それだけだ。

だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ

だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ

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