死刑に直面する人たち・その2

前回の続き。

ドキュメント 死刑に直面する人たち――肉声から見た実態

ドキュメント 死刑に直面する人たち――肉声から見た実態

 

弟を殺した死刑囚からの手紙

[弟を殺した]長谷川敏彦元死刑囚から、原田さんのもとに何度も手紙が送られてきた。その数は百数十通に達していた。最初は読まずに捨てていた原田さんだが、あるとき、ふと好奇心がわいて読んだのをきっかけに目を通し始め、返事も書くようになった。(略)
[面会したのは]憎しみや怒りが薄れたわけではなく、むしろ持って行き場のない憎しみや怒りを直接ぶつけたい気持ちが強かった。しかし面会に来てくれたことを素直に喜ぶ長谷川元死刑囚の表情に、肩の力が抜けたという。
 「(略)手紙には、いつも謝罪の言葉が書かれていましたが、やっぱり顔を合わせながら謝罪を受けるというのが一番いいと思いました。長谷川君からは何百通も手紙をもらいましたが、それでも20分の面会にはかないません。表情や話し方、仕草などからいろいろなことを感じ取れるのです。
 長谷川君を許したわけではありません。情が移ったからと許せるほど簡単な話ではないのです。ただ、彼が本当に謝罪の気持ちをもっているということは感じられました。私自身も、直接謝罪の言葉を聞くことで、誰のどんな慰めよりも癒されていくように思ったのです。長い間、孤独のなかで苦しみ続けてきた僕の気持ちを真正面から受け止めてくれる存在は長谷川君だけだと感じたのです」
 面会で長谷川元死刑囚は「これで死ねます」と言った。キリスト教徒となり、真人間にしようと尽力する弁護人や幼なじみに支えられ、贖罪以外考えていないのがわかった。原田さんは、迷いながらも翌月に長谷川元死刑囚の減刑嘆願書を書いた。その直後に、最高裁で長谷川元死刑囚の刑が確定した。[2001年死刑執行](略)
「死刑になって弟が生き返るわけでもありません。長谷川君がしたことへの怒りもなくなることはありません。「被害者感情」とは、そんな単純なものではないのです」
(略)
[「審議型意識調査」セッションで賛成派から批判を浴びる]
 「原田さんの場合は特異な例。そういう感情を持つ人がいることが信じられない」
 「(加害者や弁護士に)丸め込まれているか、弟と何か関係が悪かったのか。いずれにせよ、ちょっと理解の出来ない人だ」
 「(長谷川元死刑因に対して)君付けをしたり、(執行後の)葬式に出るなんて信じられない」
(略)
[原田は自身のブログで]
 「街頭で死刑反対の発言していると「被害者感情を考えたことがあるのか!」と言って来る人がいる。被害者には、犯人の死刑を願うような生き方しか許されないのだろうか。「肉親を殺した相手をなぜ君付けで呼ぶのか?」と聞かれたこともある。(略)「被害者の思い」を勝手に推し量って「だから重罰化に賛成です」と同情されるより、「個々の被害者はどう思っているのか」と耳を傾けてくれる方が、私は嬉しい」

片山隼君の父

[片山隼君事件は]検察が処分結果や公判期日を知らせる「通知制度」を始めるなど、犯罪被害者への対応を見直していく大きな契機となった。(略)
 被害者支援の道を拓くことになった隼君の父親の片山徒有さんは、デザイン事務所を経営しながら「被害者と司法を考える会」代表などを務め、被害者の支援活動に取り組んでいる。刑務所を訪れて受刑者との交流も重ねる片山さんは、厳罰化を求める世論や死刑制度に対して疑問を抱いている。
 「被害者遺族の感情とは激烈なものです。家族を殺されて喜ぶ人なんて、誰もいません。なんでこんなことになったんだろうと怒り狂うのは当然です。裁判まではそういった感情が高ぶるし、検察官もそうした感情をうまく利用している面があります。でも、死刑を考えてみると、判決から執行までには時間があり、被害者遺族の感情も変化するはずです。当初の被害者感情をベースにして、一人の人間を殺してしまっていいのでしょうか」
 言葉を選ぶような話しぶりは常に冷静で、決して感情的にはならない。
(略)
 「被害者遺族もやがて普通の生活に戻っていきます。感情的な言葉をぶつけるだけの極端なイメージを持たれるのが一番つらい。失った命がかえらないのは、厳然とした事実です。さらなる被害者を出さないためにはどうしたらいいかを考えるしかないのです」
 「被害者支援の基本は、相手に寄り添って、話を聞くことです。言葉を受け止めることが必要で、相手の感情を増幅してはいけません。不安をあおられれば怒りは倍増します。被害者が事件直後からきちんと支援されれば、社会や加害者への怒りの感情は薄まっていくのではないでしょうか」
 死刑制度について、片山さんは反対の意見だ。
 「被害者も、被害を出してしまった人も、それぞれにいろんな生い立ちがあります。被害に遭うために生きてきたのではないし、犯罪者になるために生きてきたのでもありません。事件が起きて命がなくなったら、別の命もなくなる社会でいいのでしょうか。犯罪者を社会から抹殺するよりも、更生を信じたいのです」(略)
[刑務官にも暴力を振るい]刑務官が誰も近づこうとしない「要注意人物」[との面会。]
受刑者は、相手が悪いので制裁を加えたら死んでしまっただけで、自分に非はないと言い放った。反省するそぶりはまったくなく、突き刺すような鋭い視線を向けてくる。(略)[時間をかけて話を聞いていくと]
受刑者は片山さんを見つめながら「キョウセイシャカイって、なんだかわかりますか」と聞いてきた。急な問いかけに、片山さんは「矯正社会」だと思って答えていると、受刑者は遮るように「違う、違う」と言いながら「共に生きる、共生社会。いろんな人が共に生きる社会ってあるんでしょうか」と、言葉を続けた。「あると思う」と片山さんが応じると、受刑者は表情を和らげ、落ち着いた様子で受け答えをするようになった。
 「弱い者いじめをしたから制裁をした。それは正義ではないか」。そう話す受刑者に、片山さんは「どんな人でも必要とされていない人はいない。死んだことで悲しむ人が必ずいる」と諭した。しばらく黙っていた受刑者は、殺害した相手は天涯孤独だと思っていたが、裁判の傍聴席に娘が座っていたことを知り、動揺したことを口にした。「謝りたい」。受刑者の顔には、自責の念に押しつぶされそうな表情が浮かんでいた。片山さんに「自分に足りないところを補っていきましょう」と促され、受刑者は犯した罪を顧みるようになり、通信教育で勉強も始めた。「保護室」に行くことはなくなり、面会を重ねるうちに、集団生活の中でのリーダー的存在にもなっていったという。
 片山さんは、受刑者たちに自分の経験を話すとき、加害者への怒りは口にしない。犯罪によって、加害者を含めてどれだけ多くの人が不幸になるかを伝えている。刑務所の中で反省を深める機会を得たのだから、同じ過ちを繰り返さないようにしてほしいと切に願っている。
 「罪を犯した人も立ち直り、困難を乗り越えていくことはできます。一度失敗したらおしまいではない。本当に事件と向き合い、繰り返さないと誓った人には、社会の応援が必要です」
 だが、こうした姿勢には、一時所属していたあすの会などから強い批判が浴びせられた。とりわけ、死刑制度に対する考え方には大きな隔たりがあった。
 「隼の事件は死刑対象事件ではないのですが、死刑制度について「新たな命を奪うことは被害者を増やすことになる。死刑は国家による殺人ではないか」と発言しました。それに対して「被害者なのに死刑に反対するとは何ごとか」「お前は被害者ではない」と猛烈な非難を受けました。(略)
「被害者は厳罰を望んでいる」と周囲が決めつけるのは、被害者家族にとって大きな負担になるのです」

終身刑化」する無期懲役

[無期懲役で模範囚なら15年で出てくるという俗説があるが]
これは無期懲役の現状とは異なる。法務省の統計によると、2013年に仮釈放された無期懲役囚は8人で、この8人の平均収容期間は31年2ヶ月にのぼる。04から13年の期間で見てみると、仮釈放された無期懲役囚は49人。この10年間で、仮釈放された無期懲役囚の平均収容期間は25年10ヶ月から31年2ヶ月と長期化しているのがわかる。[しかもこの数字に収容されたままの無期懲役囚の収容期間は入っていない。50年以上の収容も珍しくない]
(略)
[15年という俗説は、刑法に10年経過で仮釈放の「有資格者」となると書かれているから。実際1990年代後半までは平均収容期間は20年程度だった]
 だが、仮釈放となった無期懲役囚の平均収容期間が2013年には30年以上となっているように、実際の運用は年々厳しくなっている。2004から13年の間に死亡した無期懲役囚は146人。仮釈放された人の三倍の無期懲役囚が獄死していることになり、実質的に「終身刑化」しているとの指摘があるのも当然だろう。
(略)
[2004年の犯罪被害者等基本法成立で希望する被害者が仮釈放に意見できるようになり]仮釈放のキップは、より「入手困難」になっているのが現状だ。(略)
2010年に仮釈放が「不許可」となった70歳代の無期懲役囚は、収容期間が実に60年10ヶ月に達していた。
(略)
 終身刑の導入を議論する際には、こうした「無期懲役終身刑化」が大きなネックになっている。(略)
 与党の関係者も「無期懲役が厳しくなって、仮釈放がほとんどなくなっているのなら、あえて終身刑を議論する意味はないのではないか」と否定的な見解だ。

薬物死刑への疑問

[米国での]死刑廃止の動きは、こうした死刑の制度的欠陥への批判のほか、人道的観点から電気椅子による執行方法が廃止の傾向にある代わりに、主流となっている薬物注射への疑問もある。薬物による死刑執行は通常、麻酔剤の後に筋弛緩剤が投与され、呼吸が止まるという過程をたどる。ところが、主な調達先である欧州の複数の製薬会社が2012年ごろを境に、使途が処刑の場合の販売を拒否するようになった。このため、現在は米国内やほかの国から調達した薬物に頼っている。だが、こうした薬物の品質は信頼できないなどとして死刑執行が延期されるケースが相次ぎ、14年7月にアリゾナ州で執行された薬物注射による死刑が、薬物投入から死亡まで二時間近くかかり「非人道的だ」との批判が噴出した。

『元死刑執行官だけが知る監獄の叫び』

藤田公彦

(著書に『元死刑執行官だけが知る監獄の叫び』など)

(略)天井から床までの高さは約三メートルぐらいです。人間を一気にどんと落とすわけで、延髄や脊髄が切れてしまうのです。だから、痛みも何も感じません。瞬時に意識を失って死ぬわけで、首を締めて死ぬのではないのです。
 首など体が30センチくらい伸びるので、そのためにロープの長さを調整します。死刑囚の身長と体重を測って、体が伸びる分も加味して長さを準備しておきます。事前に死刑囚の体重分の砂袋を落として、何度も実験するんですよ。
 死刑囚の首にかけるのは、直径が三センチほどの太いロープです。天井で固定して、垂れ下がっているんです。ロープだけでしたら首に激しい損傷を与えてしまうほどの、大きな衝撃がかかります。ですから、首のあたる部分には鹿の皮が張ってあります。この部分が死刑囚の首に食い込むので、人間の脂で黒ずむのです。この脂のしみ込みを見たときには、震えがありましたね。それぐらい強烈に印象に残っています。
 大事なのは、首にロープをかけるときに結び目を横にもってくることです。すると、落下と同時に自然と立会人に向かって頭を下げているような恰好になります。手足を縛るのもバタつかないようにするためです。死刑執行時の姿から遺体となったときの姿までを、できるだけ美しいものにしようという配慮をしているのです。
 一番つらいのは、地下に落ちた死刑囚を受け止める役です。落ちた反動で上に飛び上がったり、時計の振り子みたいになってしまうんですよ。非常に見苦しいでしょう。残虐なイメージがあるじゃないですか。そうならないように、死刑囚の体をしっかりと受け止めてあげるんです。これはタイミングが難しくて、そのためにベテランがやるのです。私が死刑執行役の言い渡しを受けたときに、先輩の刑務官が受け止め役を任されたのです。でも、その人が懇願したのです。「私はもう十何人も受け止め役をやってきた。もうしたくない。もうすぐ孫もできるし、勘弁してほしい」と言うのです。その苦しそうな表情とともに、よく覚えています。
 絶命するまでには、10〜12分ぐらいかかります。医師が診て脈を測って判断します。死亡を確認した後、遺体をおろして、棺桶に入れます。花も添えてやります。地下室を出たところに霊柩車が入ってきて、仮安置所に運ぶのです。そこまでが私の仕事でした。
 死刑は必要な刑罰だと思います。(略)
冤罪の問題と死刑をなくすことは別の問題なのです。仮釈放のない終身刑を設けるという話もありますが、受刑者の希望を全部奪って、刑務所の房に30年も40年も置いておくことは残虐ではないですか。一気に殺すのは残虐だけども、じわじわ何年も死ぬまで待つというのは残虐じゃないと言えるのですか?夢も希望も与えない刑罰は疑問です。
 私が死刑執行について話をしだしたのは退職してからです。それまで一回も、家族にも話すことはありませんでした。死に対する尊厳というものが、無意識のうちにあったのかもしれません。それは、同じく死刑執行のボタンを押した刑務官全員が心に抱いていたものだと思います。