音楽とことば 曽我部恵一、小西康陽

フリッパーズ・ギターから『若者たち』へ

渋谷系ブームみたいなものはもう下火だったと思う。フリッパーズ・ギターはとっくにいないし(略)
渋谷系に入れないんだったら、どういう方向に進んでいこうか……って。それでいろいろ考えたあげく、「今、あえて四畳半フォークみたいなことをやったら面白いんじゃないか」ってところに行き着いた。当時は「ですます調」で歌詞を書いてる人なんて、誰もいなかったから。(略)
俺はフリッパーズ・ギターが凄く好きだったんだけど、当時は、彼らをそのまま真似してるようなバンドばっかりだったから。だったら俺たちは真逆を行ったほうが面白いんじゃないかって、頭で考えてそうしたようなところがあった(略)
フリッパーズ・ギターを聴くと、いつも俺は救われた気持ちになってたんだよ。ディズニーランドに遊びに来たような感じっていうか、凄くキラキラしていて、かわいい女のコもたくさんいてっていう。要は、彼らの作る音楽って、俺みたいな田舎出身の若者に、凄く夢を見させてくれたと思うんだよね。でも、いざ曲を作り始めると、自分の中に、フリッパーズ的な要素がまったくないっていうことに気づかされてしまうわけ。で、そういう悶々とした気持ちを引きずったまま、大学の夏休みに香川の実家に帰って、和室でギターを弾いてるときにできたのが、『若者たち』に入ってる、「いつも誰かに」っていう曲で。(略)
才能もないし、お洒落でもない自分自身に対する鬱屈とした気持ちが、そのまま出てると思う。でも、この曲ができたことによって、そのあと一気に曲が書けるようになったんだよ。(略)そういう自分のことを、包み隠さずに歌えばいいじゃんってことに気づくキッカケになったんだよね。
(略)
そんな世界観で満たされた作品にわざわざお金を払ってもらうっていうのは、どうなんだろうって思ってた。(略)実際のところ、あんまり売れなかったしね。だから、次の『東京』は、もうちょっといろんな人と世界を共有できるようなものにしたいなって思ったし。

自分なりの文法を無くしたい

[「いつも誰かに」以降で新たな作風が確立されたのはいつ?]
 二回目は……無いね(笑)。日々、暗中模索してる感じ。っていうか、ここ最近は、むしろ自分なりの文法みたいなものは極力無くしてしまいたいと思ってるくらい。たとえば小学生が書いた作文みたいな感じで全然いいし、今は、「ごはんがおいしかったです」みたいなことをできるだけちゃんと歌いたいと思ってる。その瞬間に感じたことを、いかにガーンと歌えるかどうかが凄く重要。「あなたのことが好きです」って歌うときに、不必要な装飾があると、本当に伝えたいコアな部分がボヤけちゃうような気がして。だから、今の自分は、文学的な要素とか引用なんかは、まったく必要ないと思っていて。(略)[曽我部恵一節みたいなものも]できれば無くしていきたい。日記とか書いてても、ついつい、うまい文章を書こうとしちゃったりするでしょ? それといっしょで、今は歌を通じて、混じりっけなしの報告をみんなにしていきたいなと思ってるんだけど、やっぱり難しいんだよね。ただ単に、「今日、こんなことがありました」みたいなことを曲に乗せて歌ったところで、なんのダイナミズムもないから。そこに言葉のマジックを入れていかないといけないんだけど、それって決してうまい結末を用意するとか、そういうことではないんだよね。だから日々、研究。

「そこに自然にあるもの」

俺は、「そこに自然にあるもの」にこそグワーって引き込まれるな。……ほら、めっちゃメイクして、胸に凄い谷間作ってる女のコとか見ると、「ちょっと、そういうんじゃないんだけど……」って感じで、逆にソソられないじゃん。谷間に自意識が見え隠れするとダメなんだよ(笑)。でも、何気なく谷間が見えた瞬間って、もの凄くグーッと見ちゃうでしょ。歌詞を書く場合もそれといっしょで、いかに自分なりの谷間をさりげなく見せるかっていうことが大事だと思うんだよね。(略)
曽我部恵一という名前で活動するからには、架空の物語じゃなくて、自分自身のことを、堂々と大きな声で歌いたいんだよね。これは実際の経験から言うんだけど、絵空事を歌うときと、自分の心の中にある普遍的なことを歌うときって、ライヴでも、歌ったときの開放感が全然違うの。要するに、絵空事って全然気持ちよく歌えないから、心なしか声も出ないような気がするし、そうこうしているうちに、歌わなくなっちゃうんだよ。………たとえば、誰か自分でない歌手に歌詞を提供するとか、そういうときはまた違う筋肉が働くんだけど。

音楽になる言葉

音楽になる言葉っていうのは、簡単に言うと、「耳だけで聴きとれる言葉」だと思うのね。(略)
歌詞カードを目で追わないと理解できない言葉というのは、意識的に、ぜんぶ避けるようにしてるかな。(略)
漢字の熟語なんかを頻繁に使い始めると、濃いようでいて、実はあまり伝わらないものになりがちというか。あと、英語とかね。

長いこと僕は、いい芸術を作るために必要なのは、ほかの人が作った芸術をなるべくたくさんインプットすることだと思ってたんだけど、もうそのやりかたは古いと思うし、そういうのでなんとかなった時代というのは、終わったと思う。

曲が書けるようになったきっかけ

僕は15歳ぐらいの頃に作詞作曲をしようと決めて、楽器を始めたり、レコードをたくさん聴いたりしてきたわけなんだけど、そこから25歳までの10年間、まったく曲ができなかったのね。(略)[25歳で]デモテープを作るようになったとき、突然できるようになったんですよ。それまでは、知識だったり、好きなコード進行だったりを蓄積しているだけだったんだけど。(略)
最初からカタマリで生まれる感じ。その感覚を掴んだっていうのかな。そのときは、まるで自分の中のコップの水があふれるように、いくらでも歌詞やメロディやアレンジが浮かんでしかたがない、みたいな状態になって、詞も曲もアレンジも、その全部が、もう切り離せないものとして降りてくるようになった。だからそれは、歌詞一ラインでもメロディ一小節ぶんでもなくて、好きな曲一曲が、いきなりドンと降ってくる感じ。それまでバラバラだったものが、脈絡を得たというか、いきなり脳味噌のシナプスが繋がったというか。(略)
「あ、なんかできた……」みたいな感じ。そこからはもう、曲作りにはまったく苦労しなくなったかな。もちろん最初の頃は、いいコードを探し当てるのに時間がかかったり、言葉にしてもピッタリくるものができない個所は空白のままになってたりということがあったんだけど、すぐにそういうこともなくなって。もう、お風呂で髪洗ってるときに一番はできちゃって、スタジオに出かける準備をしながら二番も書けちゃう、みたいな感じ。
(略)
すっごい時間をかけて緻密なアルバムを作ってる人とかに、ああいうのってどうやって作るんですか?って訊いてみたいもん。僕なんかさ、ホント降りてきたものを録音するだけの作業だし、あっ、できるな……って直感から、もう一秒ぐらいのタイムラグで頭の中に音楽が鳴ってるからさ、そうじゃない人というのにとても興味がある。

ピチカートとソロのちがい

[スティングの曲を女性歌手が歌っているのを聴いた時に]違和感を感じた理由っていうのはハッキリしてて、僕自身が、自分で自分の歌詞を歌うということは、いったい自分がなんなのかということを、最初に決めてかからなくちゃいけないってことに気づいているからでもあるんだよね。
 だから、たとえば僕が、ゆうこりんの「オンナのコオトコのコ」をステージで歌ったとするよね。それはもちろん、作者だからっていう逃げの中で歌うわけなんだけど(笑)、それをもし、本心からの真面目な気持ちで歌ってるんだって思われたらさ、それはどうなんだろうっていうのはあるじゃん。だから、たぶん僕のアルバムは、やっぱり自分自身のことを書いた歌だけになると思うし、この歳になった男が歌う歌っていうのは、一人称で、リアリティーもあって……っていうほうが、しっくりくるわけでしょ。でも、それって凄く難しいことなんだよな……。
――自分以外の声に、自分を歌ってもらうということに、あまりにも慣れ過ぎてしまったと。

職業作家の音楽を愛聴してきたが

ただ、僕はね、職業作家の人たちの仕事のしかたというのも、実はよくわからないとことがあるんですよ。(略)
そういう人たち[橋本淳、筒美京平]と、僕というのは、たぶん全然違うことをやっていると思う。というのも、あそこまでの量産体制に入ってしまうと、どこまでがその作家の作品と言えるのか、曖昧なところがあると思うのね。
(略)
たとえばこれは自分の経験だけど、「慎吾ママのおはロック」ってさ、あれは確かに僕の書いた歌詞なんだけど、それと同時に、あの企画に、書かされた歌詞でもあるわけ。ある日、フジテレビに拉致されるように連れていかれて、打ち合わせっていうので二〜三人かと思ったら、会議室に、ディレクターとかプロデューサーとか放送作家とかが20人ぐらいいて、みんながみんな注文を出してくる。で、それだけ多くの意見をいっぺんに貰うと、記憶から抜けてしまうキーワードもあるかと思ってメモを書いておいたわけなんだけど、まさにあの歌詞は、そのメモをただ繋げただけなのね(笑)。そしたらさ、後日、「僕たちが言いたいことを凄く盛り込んでくれてありがとうございます!」とか感謝されて(笑)。(略)
 ほかの現場というのは、多少は大喜利的な要素があるにせよ、もう少し自分を出せる幅というか、余白があるものなんだけど、そのときはただの書記だからね(笑)。20人に言われると、もう曲の尺は終わってるという(笑)。あの曲に関しては、タイトルの「おはロック」ですら、自分がつけたものじゃないもん。隣で打ち込みをやってくれていた福富(幸宏)くんが、「あー、じゃあ、〈おはロック〉ですね」って言ったのを、ソレ採用!みたいな(笑)。僕は「の」だけなんだよ(笑)。だからね、職業作家っていうのは、わりとそういうことに応えられたり、楽しみを見い出せる人じゃないと難しいと思う。

言葉の可能性

 東京混声合唱団。そういう団体が昔からあるんだけど、そういう人たちのレコードって、自分たちのレパートリーを、その時代時代の作曲家たちに発注していて、その作曲家たちは作曲家たちで、その時代の詩人の詞を選んで曲をつけたりするのね。それがもう、凄く面白いの。聴くと、へぇ、こんな生煮えな言葉が音楽になってんだあ、みたいな驚きがあるのね。だって、「愛さえあれば何もいらないと言ったのは お前だったか 俺だったか」という歌詞を合唱してるんだよ(笑)。それを聴いたとき、まだまだ言葉には無限の可能性があるんだなあって思った。それを曲として、ポップスとして世に出す勇気があるかどうかという話もあるんだけど、それに比べたら、僕の「よだれ」なんて全然新しくないっていうか。

「美しい星」

「美しい星に住む 美しい人々 いつかぼくを思い出して」っていう、そこだけを歌うために、どうでもいい前の部分を作ったというような感じの曲。(略)
別れた奥さんと子供(略)たちが、もう、まったく違う世界にいってしまうことになって、それでもいつか僕のことを思い出すこともあるのかなって思ったとき、突然にできたという曲。