うたのしくみ 細馬宏通 松本隆のハイハット

うたのしくみ

うたのしくみ

「アレクサンダーズ・ラグタイム・バンド」

19世紀から1910年代にかけて、音楽はレコードよりもむしろ「シート・ミュージック」と呼ばれる譜面によって流行(略)
石版印刷の色鮮やかなデザインの表紙がつけられて、なかなか目で見て楽しいもの
(略)
 シート・ミュージック業界に欠かせぬ存在が「プラガー」でした。プラガー、というのは、そもそもは客のふりをした宣伝屋のことでした。ヴォードヴィル劇場に行って、あたかも客であるかのように歌のコーラスの部分で拍手を送ったり、ときには歌手を追ってコーラスを繰り返させたり客に唱和させたり。いわばサクラ係です。アーヴィング・バーリンは若い頃、こうした「プラガー」をやって日銭を稼いでいました。
 やがてシートミュージック売り場が繁盛するようになると、プラガーの意味が変わってきました。売り場自体が宣伝の場となり、1900年代後半には、店で譜面をピアノで弾いて聞かせたり、声を張り上げて歌う実演家としてのプラガーが活躍するようになりました。譜面を手にとった人は、プラガーに演奏してもらってその場で試聴する。これなら初見で譜面を読めない人でも、どんな曲かわかります。
 商売熱心なプラガーになると、いくつもの店を渡り歩き、ときには通りや駅やサルーンで歌い、シートミュージッ
クを売り込みました。(略)
[ガーシュインもプラガーから作曲家に]
 1900年代末、ニューヨークのユニオン・スクエア近く、音楽出版社が何軒も立ち並ぶ通りを歩くと、そこからは譜面を演奏するピアノの音がにぎやかに聞こえるようになりました。店に入ると狭い場所にピアノが何台も置かれて、プラガーたちが待ち構えている。モンロー・ローゼンフィールドという記者は、1909年、通りに響き渡るピアノがあまりにうるさいので「ティン・パン・アレイ」と皮肉って記事に書きました。以後、これら流行曲を量産する音楽出版業界は「ティン・パン・アレイ」と呼ばれるようになります。
(略)
[バーリンは]譜面が読めず、ピアノの方も一本指で、黒鍵のみを適当に弾くだけでした。
 幸い、ルームメイトのマックス・ウィンスロウは若き有能な作曲家で、歌唱指導もできればピアノも弾けて、曲のアレンジや売り込みにも長けていました。(略)1911年、23才のバーリンが作った「アレクサンダーズ・ラグタイム・バンド」を譜面に仕立て上げ、75人のプラガーに曲を叩き込み、店に来る客に聞かせ続けました。これがシート・ミュージック史上空前の大ヒットとなり、夏までに50万部、年の終わりには100万部が売れ、次の年にはさらに100万部、イギリスやヨーロッパにも流行は広がりました。これをきっかけにバーリンは次々と流行曲を作っていくことになります。
(略)
 アレクサンダーという名前は、「クーン・ソング」という、黒人をカリカチュア化した当時の歌でしばしば用いられたものです。黒人にアレクサンダーという古代帝国を思わせるおおげさな名前がつくのがおかしくて、その名前は客の笑いを誘いました。(略)この曲も、アフリカ系アメリカ人の軽快なラグタイムのリズムを借りておきながら、そこにアレサンダーというおおげさな名前を割り当てることでおかしみを出したというわけです。
(略)
 この「スワニー河をラグタイムで聞きたいなら」というところで、伴奏はそれまでの跳躍するラグタイムから一転して、四分音符となり、歌詞もスピードをずんと落として、フォスターの「故郷の人々(スワニー河)」のメロディを一瞬なぞります。この、古き良き時代の川の流れを感じさせたところで、曲は再び倍速で跳躍、そのことで、フォスターの調べをラグタイムに一変させる。年配の客にも目配せをしながら、若者の世界へとすいと身を転じる、その変わり身の速さ。ここにも、プラガー出身のバーリンらしさがよく出ています。そして、ことばと音楽とが自然なタイミングでひょいと変わるところに、作詞作曲を一人で行う作家の特徴が現れている。
 それだけではない、くるくる曲調が変わるこの曲を軽々と演奏することで、バンドは、その演奏力をも宣伝することになります。

ハイハット松本隆

 すなわち、ハイハットとライド、二種類のシンバルの差は、単に音色の差ではない。二種類のシンバルを右手が往復するとき、ドラマーは、交差によってコンパクトに閉じられた体、上下左右に開かれた体という、二種類の構えを往復することになる。
 ドラムを叩くということは、そのような立体的な変化に身を委ねるということでもあるのだ。
(略)
この頃からドラマーは椅子に座って、ダンスホール、あるいはミシシッピー河を上り下りするリバーボートや「ショーボート」で景気のよいジャズを演奏するようになった。
 この時期を代表するドラマー、ウォーレン・ベイビー・ドッズの談話は、ニューオーリンズジャズの軍楽隊調のビートがリバーボートの上でいかに変化していったかを示していて興味深い。
当時、ニューオーリンズでは、エキゾチックな要素を加えるのに、ウッドブロックの音色が好まれていた。が、ベイビー・ドッズはリバーボートで演奏するうちに、ウッドブロックよりもリムショットのほうが「おだやかで柔らかい」ことに気づいたという。さらに彼はボートの上で、トリプレットをはじめスティックでシンバルを叩くさまざまな音色を工夫し、単なるリズム伴奏だけではなく、ブレイクやソロを演奏に取り入れた。
 おそらくリバーボートで好まれた音楽は、船に身を任せながら、なおこの身が船によって動き続けている、そんな高揚を感じさせる音楽だったろう。自分の体が行進するのではなく、船が勣く。その船の上で、船の前進を我が身の前進と感じさせる音楽。航海中に発せられる船の活動、ロープが船体を叩く音、鉄柱に金具が擦れ合う音、ことことと木と木が触れあう音は、演奏へと取り入れられ、音楽は人間の行進を船体の行進へと変換しただろう。ウッドブロックの甲高い音よりも柔らかく時を刻むリムショットが好まれ、ただのクラッシュだけでなくスティックのトリプレットによってシンバルが揺らされたのは、それが船の上だったからに違いない。
 リムショットやシンバルのビートが、いまなお聞く者に航行の響き、旅の響きを想起させるのは、単なる偶然ではあるまい。
(略)
 ハイハットの登場は1920年代後半と考えられている。その原型は、「ロウ・ソック」と呼ばれる二枚の合わせシンバルだ。ロウ・ソックはシンバルとペダルを連動させたもので、床近くにシンバルを置きそれを足踏みによって鳴らす楽器だった。
 当時のジャズのビートは、バスドラムを拍の頭で強く踏むスタイルだった。多くのドラマーは右利きで、彼らにとっては拍の頭を右足で踏むのが自然だったのだろう。その結果、ロウ・ソックのほうは、残る左足で踏まれることになった。
 このロウ・ソックを胸あたりまで高く掲げて、スティックで鳴らせる形にしたのがハイハットだ。左側にハイハットが配置されるようになったのは、おそらくこうした経緯によるものだろう。
 ハイハットは、ロウ・ソックと同じく、足踏みシンバルの機能を持っており、踏むだけでシンバルを閉じる音を発し、ビートを刻むことができる。
 しかし、それをスティックで叩くということは、まったく新しい響きをもたらした。その響きとは、二枚のシンバルの間にとらえられる空気によって生まれるニュアンスだった。
(略)
さらに強く踏み込めば、二枚はしっかり合わさり、コツコツと硬い音を響かせて、そこに空気が含まれていることすら感じさせなくなる。逆に、弱く浅く踏むなら、二枚のあいだにわずかな隙間があく。微かに揺れる上側は、下側に触れては離れ、さかさかと息をもらす。さらに力を抜けば、二枚は離れて荒々しく鳴る。
 ハイハットを叩くということは、そんな風に、左足によって息を漏らすことなのだ。
(略)
バディ・リッチはまるでニューオーリンズ・ジャズの記憶を現在に重ねるようにハイハットに左手を添え、シンバル一枚の音色を幾度も試した者だけが知っている手癖でハイハットに変化を与えていく。押さえ、緩め、ときに上下のシンバルをずらし、コアにエッジにとスティックを移動させ、ふくらみにとらえられた空気をわずかな隙間から吐き出させていく。もはやハイハットは楽器というよりは器官、ドラムの歴史がたどってきた空気を吸っては吐き出し軋み続ける機関車だ。
(略)
[「夏なんです」の松本隆のドラムは]
 リハーサルテイクや『ライヴ!!』版では、高みにあるライドは「ぎんぎんぎらぎらの太陽なんです」で叩かれている。松本さんの体は開かれて陽の光を浴び、あたかもその光によって曲が駆動するかのようにライドの余韻が響く。そして、日傘をぐるぐるさせるとき、松本さんの体は閉じ、ハイハットは大きく開け閉めされて息づく。夏の太陽が運行していき、そのぎんぎんぎらぎらの光をさえぎる日傘のかげで退屈がうずくまって呼吸をしている、というドラミングなのだ。これらの録音では、高い太陽とライド、その下の日傘とハイハット、と、いうふうに、ドラムセットの高さは歌詞の高さに重なる立体性を帯びている。
 ところが「風街ろまん」版では、この関係はまったく反転している。ぎんぎんぎらぎらの太陽のもとで、松本さんは逆に体を閉じ、ハイハットの閉じた音で硬い光を投げている。そして「日傘ぐるぐる」になると、どういうわけか松本さんの体は開き、手が高いライドに伸びるのである。
(略)
ライドの響きにつれて、日傘はソーラーエンジンで駆動する外輪船のように回転する。あたかも歌詞カードに描かれた花のように、傘の下の退屈がこの曲の運行を司り始める。ライドのまるさは太陽のまるさに重なり、日傘のまるさにも重なる。
(略)
さて、いよいよ「風をあつめて」だ。(略)
松本さんは伽藍としたドラム「セット」の前で手を交差させ、体を閉じている。
 ハイハットの音からすると、左足のつま先にはさはどの力はこめられていない。二枚のシンバルの間にはわずかに空気を漏らす隙間が残されていて、スティックで叩かれるたびに、薄い空気を8ビートで吐き出している。
 そこに汚点(しみ)が現われる。汚点はいたるところに現われて、直線の世界はにわかに広がりを得る。ここでハイハットは一息、大きく口を開いて空気をつかまえる。クラッシュが鳴り、靄ごしに遠いライドの音が一発、また一発と響く。するとどういうわけか、路次は航行の記憶をたぐり寄せるように湿り気を帯び、眼前には路面ならぬ露面電車が現われる。
 埋め立てられた都市=東京をひたひたと水が浸していく。スネアのフィルインが何かに駆られたように、歩を詰めて急ぎ始める。
 そして、風をあつめて、ということばが声になったとたん、松本さんの息づかいは明らかに変わる。ハイハットオープンを使ったフィルインは、たった二息だけれど、とても大きく響くので、巨大な生きものが波間から呼吸のために姿を現わしたのかと思うほどだ。その金属の肺でとらえられ、閉じこめられた空気は、風をあつめて、風をあつめてと唱えられるごとにスティックで確かめられ、大きく肺をふるわせる。
(略)
そしていよいよ、ことばが空へと視点を移すとき、シンバルは低いハイハットからドラムの頂点へと移り、松本さんの体は立体的に開く。左手はスネアを叩きながら、右手はライドシンバルに届き、ときおりエッジからコアへと近づいては、硬いアタックを響かせる。(略)
金属が涼やかに鳴っている。ドラマーの体は、背のびした路次になっている。