前回の続き。
- 作者:ブルース カミングス
- メディア: 単行本
日本人強制収容
[イサム・ノグチは]自ら進んでコロラド州ポストンの収容所で6ヶ月を過ごした(略)「真珠湾は決して消えないショックだった。一瞬にして自分はもう彫刻家というだけの存在ではいられなくなった。自分はアメリカ人というだけではなく、2世だった」。名前ではなく通し番号で呼ばれるような1万7000人が詰め込まれた収容所に、志願して入るという珍しくも勇敢で叡智溢れる行動は、「非現実的な忘れられない感情」から生じたものだった。この感情がもとで「完全に一員になれない」という気持ちを、前半生の40年間、ノグチは抱き続けた。
(略)
1942年初頭、アイダホ州知事のチェイス・クラークは、日本人はすべて日本に送還し、そのあとで「列島を沈めろ」と促した――「日本人はネズミのような暮らしをし、ネズミのように繁殖し、ネズミのように行動する。あいつらはここには要らない」。
(略)
日本人の強制収容は歴史上まったく前例のない措置で、大量のインディアンの強制移住の延長にあるものでもなかった。1929年の大恐慌で数百万の失業者がでたときに、アメリカの権力者はメキシコ人の追放も考案した。1929年から1935年まで、連邦から地方に至るあらゆるレベルで公的機関が、50万人から100万人ほどのメキシコ人を追い払ったが、そのうち不法移民は10万人ほどにすぎなかった。
(略)
不名誉なエスニック集団の強制移住は、まるでスターリンがやったことにも値するようなことだが、戦争が始まって労働力不足が深刻になると、あっというまに方針が逆転した。安いメキシコ人の労働者を大急ぎでアメリカに入れるため、「ブラセロ・プログラム」が発動され、戦争中に20万人が国境を越えた。アメリカ政府が彼らの交通費を支給していた。
沖縄は日本の中の「韓国」
沖縄は、日本のなかの「韓国」として機能している。海外に永続的に展開している唯一の海兵隊の遠征軍の拠点である(第3海兵遠征軍)。日本の新しい基地建設は朝鮮戦争と共に幕を開けたが、韓国と違って日米のエリートはほとんどの米軍基地(約75%)をこの小さな島に押し込めることができたし、日本人の大半の目からそらすこともちょうど可能だった
(略)
職業軍人は保守的で共和党に投票するという点では(略)基地の一部はスモールタウンのアメリカかもしれない。(略)公民権運動、ヴェトナム戦争、セックス、ドラック、ロックンロールがまるで存在していなかったかのようだ。2003年、アフガニスタンで亡くなった兵隊の葬儀では「詩篇23」に続きジョン・ウェインの映画『グリーン・ベレー』で使用された曲『グリーン・ベレーのバラード』が流された。こうした感覚は妙な慣習に支えられている。それはそこかしこにある、病理的ですらあるジェイン・フォンダ嫌悪にも見られる。フォンダの写真は軍の施設の小便器にも貼りつけられている(ここを狙え)。共通の儀式として、アメリカ海軍士官学校では下級生が消灯時に「グッドナイト・ジェイン・フォンダ!」と叫ぶと全員が「グッドナイト・ビッチ!」と返答する。
(略)
夕食後に部屋に戻って、米軍放送のテレビのスイッチを入れた。ドン・ラムズフェルドがイラク戦争は敗戦ではない、我々は苦境には陥っていないと語っていた。ニュース、スポーツ、それから基地外のアクティビティを紹介する 「コマーシャル」ブレイクである。サドウを学びましょう、スシの食べ方を学びましょう、日本語を勉強しましょうという、現地人と仲良くやっていく方法の有り難いアドバイスである。ご立派なことではあるが、まったく同じものを韓国でも目にし、その上で、数十年間なんの顕著な結果も生まれない現実も見た。大槌を握る男が大きな女性の彫刻を一撃で破壊するという、性的虐待や攻撃を戒める強烈な映像が流れた。ほかのクリップでは「アメリカの人種の坩堝」を賞賛しているらしい『キスして、私はポーランド系です』というものが流れていた。
◆結論――永遠の群島◆
ヨーゼフ・シュンペーターにとって、帝国主義は先祖帰りであった。元々は膨張主義者の口実として求められた戦略や政策だったが、目的を見失ってからも長いあいだ継続する運動の機械となった。帝国主義は「際限ない強制的な膨張に向く、国家の一部に見られる目的なき性質」である。新聞では毎日のようにほとんどお笑いとしか言えないような議論が書かれている。アメリカ軍はイラクから明日にも撤退すべきだとか、来年がよいとか、5年後がよいとか――失笑を禁じ得ない。なぜなら、1945年以降の歴史は本質的にアメリカ軍が完全に撤退することはないことを明確に教えてくれるからだ
(略)
この帝国は軍事的な特徴を帯びざるを得なかった。なによりまず1950年には問題は軍事的に定義された(略)。第2に、アメリカはおよそ帝国の文官らしき存在を抱えていなかった。1950年代以前は、外交の世界はアイヴィーリーグと品のよい伝統の縮図であり、ほとんどアメリカ人の目の届かない場で、さほど忙しい仕事もないままで淡々と行われていたものだった。ジョージ・ケナンのような傑出した人物も輩出したが、国内には強力な地盤を育てられなかった。マッカーシーの中国担当外交官叩きが、アメリカの東アジア外交の専門性を1世紀ものあいだ、台なしにさせたのは、よく知られるところだ。ニクソンによるアルジャー・ヒスヘの攻撃は、さらに悪い結果を生んだかもしれない。ピンストライプのスーツを着込んだ連中は、誰もが疑念の対象となり、アメリカ国内に生息する外国人のような存在と見られるようになったし、国務省の権限も致命的に弱まった。そして1960年代、マクジョージ・バンディ、ウォルト・ロストー、ヘンリー・キッシンジャー、ズビグニュー・ブレジンスキーなどのなどのアカデミック・スペシャリストが登場する。彼ら催眠術師は、国際問題に関するオカルト・サイエンスを大統領に吹き込んだ。彼らは国務省には敵対的に接し、本音では同省を無視しつつも責任だけはそこに割り振った。かくして国務省の影響はかつてなく薄められた。国務省は明確な利権基盤のない、ただの外交当局だと思われがちだが、世界中の700以上の軍事施設はしぶとく長いあいだ生き残る。彼らは永遠の辞令を自律的に抱えている。外国の米軍基地の仕事ぶりを予想することはできるし、Kストリートのロビイスト集団のように、根絶もできるかのように見える。40年近く前、上院外交委員会はシュンペーターを要約してこう記した――「一旦アメリカの海外基地が根を張れば、自律的な生を歩み始める。元来の任務は時代遅れとなっても、新たな任務がつくり出される。施設を維持する意図はもちろんのこと、多くの場合は実際には拡大するためである」。米軍の威力がいかなる潜在的なライバルのそれよりも大きく、自国領土内の大陸からいかなる敵を撃つこともできるようになったからと、あちらこちらに広がる群島の必要性を問うたところで、その問いは要点を外している。すでに基地は存在しているのだ。であればこそ、末永く生き残り続けるのだ。