統治新論・その2 大竹弘二・國分功一郎

前回のつづき。

統治新論 民主主義のマネジメント (atプラス叢書)

統治新論 民主主義のマネジメント (atプラス叢書)

 

マックス・ヴェーバー

大竹 ただヴェーバーに関していうと、晩年の彼が議会主義に否定的になったとまではいえないと思います。彼が死んだのは、正式なヴァイマル共和国議会としての最初の選挙がようやくおこなわれた1920年6月です。たしかにすでにさまざまな政治的混乱は見られましたが、彼はまだ本当に深刻な議会の機能不全に直面するには至っていません。ヴェーバーは結局、第一次世界大戦以前のドイツの自由主義者の問題意識に忠実だったと思います。つまり、皇帝とその官僚機構に対して、議会制民主主義をどのように有効に機能させるかということです。人民投票的大統領制という晩年の構想を引き合いに出して、ヴェーバーは議会制を軽視したかのように解釈するのは、シュミットなどヴァイマル期の思想家たちの議会不信をヴェーバーに事後的に投影しているだけだと思います。

ベンヤミン

大竹 (略)1921年初頭に出版された『独裁』をベンヤミンが読んでいたかどうかは定かでありませんが、同年に発表された彼の論考「暴力批判論」には、シュミットの例外状態論につながる議論が見られます。ベンヤミンは「法維持的暴力」/「法措定的暴力」という二つの暴力を区別しつつも、この区別が廃棄されてしまうような暴力形態を考えています。その例として挙げられるのが警察です。警察は法を維持するための装置でありながら、あらゆるケースに介入することで法の適用領域を無際限に広げ、事実上、新たに自分自身で法を措定し直しているのだと。法を運用しているはずの権力が、いつの間にか自分で法をつくり出していくわけです。その限りで、警察は権力のもっとも退廃した形態だとベンヤミンはいっています。
 ジョルジュ・アガンベンは、1922年に出版されたシュミットの『政治神学』を、ベンヤミンの「暴力批判論」に対する応答であると解釈しています。これが事実かどうかはともかくとして、『政治神学』ではじめて打ち出される「主権」の理論が、例外状態論が直面した困難の解決であることはたしかです。つまり、法の適用が法規範から無際限に逸脱していってしまう危険をどう防ぐか。シュミットの解決策は、「例外状態」においてはたしかに法規範は超えられ、無視されるかもしれないが、それは「主権」という、より高次の規範の名においておこなわれる、というものです。主権が法を超えて直接統治する状態が「例外状態」であるというわけです。法執行権力、つまり行政権力は、たとえ法の束縛から解き放たれたとしても、主権者の直接の管轄下でコントロールされます。こうして『政治神学』とともに、主権者が例外状態を統治するというシュミットの理論の一般的なイメージが確定することになります。

シュミット

大竹 「憲法制定権力」は主権のことですから、30年代にはあまりいわなくなりますね。国民であれ君主であれ、憲法制定権力が法を超越的に措定するという発想から、内在的に自然的に法秩序が生まれてくるという考えに30年代はうつります。俗に「決断主義」から「具体的秩序思想」への移行といわれる変化ですが。
(略)
結果として現状追認になってしまった。決断主義であれば少なくとも主体的な選択がありますが、それ自体として内容不明確な「具体的秩序」は、ヴァイマル時代にはヴァイマル共和国、ナチス時代にはナチス体制といったように、すでにあらかじめ存在している秩序を指す以上の概念ではなくなってしまう。だから結局のところシュミットは、そのつどの政治体制に順応し、既存の秩序を事後的に肯定しているにすぎないというのが、たとえばカール・レーヴィットによる批判です。

憲法改正の限界

大竹 ナチスの「合法的革命」の問題がここでも出てきますね。手続きが形式上合法なら、どんな法改正をしてもいいのか。さらにいえば、民主主義的な手続きによって民主主義そのものを転覆させることは許されるのか。ヴァイマル期のシュミットは、仮に憲法に書かれている改正手続きにしたがっていたとしても、憲法には決して変えてはいけない核心部分があると主張しました。そうでないと、憲法が自分で自分を破壊することを認めることになり、法的安定性が究極的に保てなくなってしまうからです。いわゆる「憲法改正の限界」です。この学説は現在の日本の憲法学でも広く受け入れられていますね。安倍首相が憲法改正手続きを定めた憲法96条そのものの改正に意欲を示したとき、その反対論としてもしばしば援用されました。
(略)
 こうした考えは、特に戦後の西ドイツの「基本法」――事実上の「憲法」に相当するものですが――にはっきりと反映されています。そこでは、憲法改正にあたっては人権保護や社会国家・連邦国家といった国の基本原則は変えてはならないと明示されています。それは「自由で民主的な基本秩序」とも表現されています。
(略)
ナチスの権力奪取を防げなかったヴァイマル憲法への反省にもとづくものです。基本法の起草者たちへのシュミットの理論的な影響も多少あったといわれています。
(略)
いずれにせよ、戦後西ドイツの体制が「闘う民主主義」などと呼ばれたのは、民主主義を否定する勢力には、民主主義的な権利や民主的な手続きに参加する機会を与えないという意思をはっきりさせたからです。たとえば、過激な政党を活動禁止にできることが基本法に定められているのは有名ですが、最近話題になっているものでいえば、1960年にいち早く民衆扇動罪というヘイトスピーチ規制が刑法典130条に設けられたのもその一例です。無制限な自由、無制限な民主主義にはどこかで歯止めをかけないと、自由や民主主義そのものが破壊されるという考えからです。
 ただ問題なのは、何をもって憲法改正の限界とするか、守られるべき憲法の根幹とはなんなのかが、依然としてあいまいさをとどめているという点です。
(略)
何が「自由で民主的な基本秩序」への脅威を意味するのかについては、さまざまな解釈の余地が残ります。実際、ドイツ赤軍によるテロが相次いだ70年代には、左派勢力を過剰に警戒するあまり、これがかなり拡大解釈されました。ときのブラント政権が、憲法に敵対する人物の公務員任用を拒否する「過激派条例」という悪名高い条例を出したのですが、その運用がかなり恣意的だった。たとえば、ベトナム反戦デモに少し参加しただけで「自由で民主的な基本秩序」に反すると見なされ、学校の先生になれなかった事例などです。こうした極端な措置が憲法秩序を防衛するという名目でおこなわれたわけです。

「押しつけ憲法」のトラウマ

大竹 たとえば、改憲派のなかには、自主憲法さえ制定すれば日本が一人前の主権国家になれると考えているようなひとがいます。とにかく一度日本国民自身の手で憲法が制定されれば、それで「押しつけ憲法」のトラウマは克服され、アメリカの属国という汚名から逃れられる、と。
 ただ、こうした考えは、憲法制定というはじまりの時点にあまりに強い負荷を負わせていると思います。憲法の内実は具体的な運用のなかでかたちづくられるものです。ですから、憲法が真にその国の国民自身のものになるかどうかは、それが実際にどのように解釈・運用されるかにも左右されます。一回の制定手続きだけでその憲法の性格が決まるわけではありません。(略)
[70年近く運用されてきた]この憲法が日本国民の独立主権を体現するものになっているかどうかは、この運用の歴史を見て判断しなければならない。改憲・護憲いずれの立場をとるにせよ、議論の出発点はそこからです。

文字のうえできちんと憲法改正することにあまりに抵抗しすぎると、文字がそれを運用する精神のほうに飲み込まれかねない。つまり、法の解釈が現状追認的なかたちで恣意的に拡大していく危険があるわけです。
 たとえばナチス期のシュミットは、精神の戦いということを力説しています。彼によると、これまでドイツはイギリスやフランスといった西欧自由主義諸国の影響のもとでドイツ固有の法秩序を見失ってきた。これを取り戻すにはどうすればいいか。たしかにドイツは外国由来の法律概念を数多く受け入れている。しかしそれらをドイツ的な精神によって解釈することで、ドイツ民族固有の意味をもった概念に変えることができるはずだ。こう考えたわけです。まさに法の文字ではなく、その精神のレベルで、外国と戦うということです。
 しかし、この場合のドイツ的もしくはナチス的精神なるものがなんなのかよくわからない。結局のところ、法概念を自分の好きなように換骨奪胎して勝手に解釈することを認めているだけのように思えます。そう考えると、法を運用する精神という目に見えない原理を変にもち上げないほうがいいこともたしかです。やはり文字のレベルでの実践も必要でしょう。

シュミットの同質主義的な民主主義

大竹 (略)シュミットにとっては、ある人民がひとつの同質的な集団として存在していることが民主主義の条件です。民主主義は個人の自由や権利に立脚するというより、集団的アイデンティティに立脚するというのが彼の考えです。個人の自由や権利を守るのは、民主主義の役割ではなく、むしろ民主主義とは相反する自由主義の役割とされます。自由主義と民主主義との違いは、個人の「自由」を重視するか、共同体メンバーの「平等」を重視するかという観点からとらえられるのが一般的ですが、シュミットは民主主義的な平等というものは同質的な人間集団においてのみ可能だと考えるわけです。
(略)
民主主義というのは、あるひとびとがみずからの政治的意思を集団として自己決定することだ、と。シュミットのこのような定義の背景のひとつとして、おそらく第一次世界大戦後にさかんに主張されるようになった民族自決の問題があるでしょうね。戦後に、オーストリアハンガリーオスマン=トルコなどの帝国が解体したことで、とりわけ東ヨーロッパ地域に新しい国民国家が誕生する。シュミットはこうした同時代の国際状況を目の当たりにしていました。実際、シュミットは20年代から国際法国際連盟についての論文も数多く執筆していますが、そこでは民主主義と民族自決がほとんど同じ概念として扱われています。
(略)
たしかにシュミットの同質主義的な民主主義はいまでは批判も多いです。人民の同質性というとき、彼自身は必ずしも血でつながった民族や人種を念頭においていたわけではありませんでしたが、ナチス期になると結果的に、生物学主義や人種理論に近いところに行ってしまった。このように、同質性という概念がなんらかの民族や人種に実体化される危険があるのは事実です。
 しかし、人民の同質性ということをもっと脱色して、シュミットに好意的なかたちで理解すれば、政治の目的は個人の普遍的な権利を守るだけでなく、あるひとびとが自分たちに固有な生活のあり方をみずから決定し、実現することだというコミュニタリアン的な思想をいいあらわしたものとみなすこともできます。実際ハーバーマスは、シュミットの民主主義論は現在のコミュニタリアンに重なると指摘しています。もっとも彼はこの二つをまとめて批判するためにこういっているのですが。いずれにせよ、シュミットが定式化した自由主義と民主主義の対立は、「リベラル」と「コミュニタリアン」の対立としていい換えることもできるでしょう。

ハーバーマス、市民的不服従の正統性

大竹 (略)ハーバーマスは80年代前半に市民的不服従の正統性について論じているのですが、その背景としては環境運動や女性運動といった「新しい社会運動」の盛り上がりがあります。
(略)
 彼によると、たとえ非合法な行為であったとしても、国家を民主主義的に正統化していくという観点から見れば、なんらかの寄与をすることがありうる。もちろん、非暴力的な行為に限りますよ。たとえそのときは非合法な行為であっても、あとから見れば正しい行為だったとひとびとに認められて、国家の法秩序のなかに新たな権利として書き込まれる可能性もある。もちろん、認められない可能性もありますが。ともかくも、立憲国家を進歩させるきっかけとして市民的不服従をとらえようというわけです。
(略)
「討議倫理」を作動させるそのつどのきっかけといっていいでしょう。
(略)
[市民的不服従は]
民主主義と立憲主義が触れ合う境界地点といっていいかもしれません。
(略)
単なる法律を超えたところにある正義へのセンシビリティをもって、みずからの責任でそれに忠実であろうとする。少なくとも民主主義の出発点がそこにあります。それはたしかに立憲主義と齟齬をきたすこともありますが、立憲主義の進歩に寄与することもあるわけです。もしバスの白人優先席に座った黒人女性ローザ・パークスが人種分離法にしたがって素直に優先席をゆずっていたら、アメリカの公民権法は成立していなかったかもしれない。
(略)
異議申立ての行動を立憲主義の発展にどうつなげていくか、そこが問われているのだと思います。