統治新論、シュミット 大竹弘二・國分功一郎

『統治新論――民主主義のマネジメント』
大竹弘二・國分功一郎対談

統治新論 民主主義のマネジメント (atプラス叢書)

統治新論 民主主義のマネジメント (atプラス叢書)

 

シュミット、例外状態論

大竹 シュミットは一般的には国家主権の理論家だととらえられています。しかし、1920年代のシュミットはたしかにそうですが、30年代以降は主権理論を放棄し、むしろ、行政理論について考えるようになっていく。その歴史的な背景としては、29年の世界大恐慌があります。経済危機に対処するためには、融通がきかない法律に縛られていては後手後手に回ってしまう。状況に応じて柔軟性があるかたちで統治をするにはどうすればよいのか、と。それで行政国家論に行きつきました。特にナチス期になると、もはや議会での立法はどうでもよく、いわゆる総統の下す命令や措置がすべての法律と同等の価値をもつと考えるようになる。法治国家の原理をほとんど放棄してしまい、実質的に例外状態を永続化してしまうロジックになります。
(略)
20年代までのシュミットは、例外状態において政府が下す措置は、たしかに法は超えるが、主権を超えるわけではないといったかたちで正当化しました。30年代になると、今度は主権概念に代わって、「具体的秩序」や「ノモス」といった概念のもとで例外状態をコントロールしようとします。行政の活動が恣意的なものにならないための努力はしているわけですが、いかんせん彼のいう「具体的秩序」は全然「具体的」じゃない。行政措置に対する規範的な縛りはないも同然となって、恣意的な執行活動がどんどん広がることになる。
 ナチス政権は独裁政権といわれますが、ひとりの独裁者がすべてを決めていたというイメージは少し違います。政治学者フランツ・ノイマンの有名なナチズム研究書『ビヒモス』でも指摘されていますが、法律を超えて、そのつどの予測できない措置・命令が拡大していくという点にナチス体制の特徴があります。むろんノイマンは、同じフランクフルト学派のフリードリヒ・ポロックやマックス・ホルクハイマーとは違って、ナチズムを「国家資本主義」、つまり国家が経済を全面的にコントロールする体制とまでは解釈していませんが、執行権力の活動のいびつな肥大化を問題にしている。その意味ではナチス全体主義支配は、極端なところまで行きついた一種の行政国家として定義できるのだと思います。
(略)
行政の活動はつねにそうした危険をはらんでいます。さらに、先ほどもいったように、「公開性の根源」ではシュミットの例外状態論をさらに突きすすめ、執行権が法を超えるという事態のラディカルな帰結として新自由主義的な流れを考えています。統治活動が民間企業に外部委託されるようになると、行政国家ですらなくなってしまう。そのときには、単に行政権力が肥大化するというだけにとどまらず、統治が国家の決定する法令ルールから完全に切り離されてしまうんじゃないかと。少なくとも、国家の行為であれば、不完全なものであれルールはあるわけです。国民がそれを決めて、チェックできる仕組みはある程度整っている。しかし、民営化されてしまうと、その活動をチェックすることすらもむずかしくなる。accountability(説明責任)という概念はありますが、いまだ単なる道徳的な要請にとどまっているように思えます。

大竹 (略)ドゥルーズが『哲学の教科書』のなかでモーリス・オーリウという法学者の考えを引用して、法ではなく制度のほうが重要だということをいっている。法が制度をつくるのではなくて、制度が法をつくるということですね。オーリウは制度を重視して法を考えた法学者なんですが、実はシュミットがこのひとにすごく依拠している。さっき触れたシュミットの「具体的秩序」思想のベースになっているのが、オーリウの制度論なんですね。一般的な法律ではなく、具体的な制度にもとづく統治でなければならないと。ヴァイマル共和国時代の後半からそういう「制度的保障」という考えを出してくるんですが、当初はまだよかった。しかしナチス期になると、その具体的な制度が具体性のまったくない「ノモス」のような概念に横滑りしてしまう。おおよそドイツ民族の(あるいは後年になるとヨーロッパの)文化的共同体を示唆していることはわかるのですが、しかし抽象的な概念にとどまっています。統治はそのノモスにさえ依拠していれば、法律を超えてもさしつかえないという話になり、法律の恒常的な侵害を正当化するロジックになってしまう。だから、シュミットのような抽象的なかたちではなく、制度というものをもっと本当の意味で具体的に設計していく必要がある。

マイネッケ

[大竹がマイネッケについて書いた文章を紹介して]
國分  マイネッケによれば、政治家はしばしば法を犠牲にしてでも国家を救うという挙に出なければならない。国家理性論とは、そうした法に対する侵犯行為をなんとか規範化しようとする試みであった。そうすると国家理性論には、統治のためには法を犯してもよいが、しかしその行為も実はある種の高次の法にしたがっているという奇妙な論理、パラドクスが見い出せることになる。
(略)
マイネッケによれば、近代国家は結局このパラドクスをうまく解決できなくて挫折した。別のいい方をすると、力と法のパラドクスの折り合いをつけることができなかった。そこでマイネッケは次のように指摘します。第一次大戦のような破局は「必要があれば法を犯して行動してもよい」と命ずる国家理性がもたらした「近代的な肥大症」の悪しき結果である、と。
(略)
 とはいえ、マイネッケが最終的に出した結論というのは、政治的行為者は法と力のあいだで引き裂かれつつも、その矛盾を自覚的に引き受けねばならないという「お馴染み」のものだった。

「国家」と「国民」

大竹 90年代当時の思想界の言説では、しばしば「国家」と「国民」が混同されて、近代国家はもっぱら「国民」というイデオロギーの産物としてのみとらえられていたように思います。ひとびとを同質化している「国民」理念の虚構性さえ批判すれば、やがて国家権力もなくなっていくはずだと。そうしたイデオロギー批判の重要性を否定するわけではありませんが、その際にはしばしば、国家が物理的・制度的につくり上げられた統治機構であるという事実が見逃されてしまったのではないでしょうか。

法の制定と運用

大竹 (略)[法の制定に劣らず、]あるいは、法の制定以上に法の運用のほうが重要だといっていいかもしれません。なぜなら、結局のところ、ある法がどういう性格の法であるかは、書かれている条文そのものではなく、その条文がどういうふうに運用されていくかによって決まるわけですから。極端にいえば、日々の運用のなかで、法はたえず新たに制定され続けているとさえいうことができます。
 法についてのこうした考え方には、長い哲学的伝統があります。たとえば、16世紀のフランスの思想家ミシェル・ド・モンテーニュは高等法院で法官をつとめた人物ですが、その彼も「法律の解釈には法律の起草と同じくらい広く自由の余地がある」と嘆いています。いくら細かく法律をつくったとしても、人間たちの行為の無限の多様さは決して網羅できないので、実際の判決においては、裁判官が自由に法律を解釈することが避けられないというわけです。
(略)
ヴァルター・ベンヤミンは「暴力批判論」で、「法を措定する」行為は「法を維持する」行為としばしば区別できないほど絡みあっていると指摘していますし、これとの関連でジャック・デリダもまた、「適用可能性のない法というものはない」と述べています。
 要するに、「法」と「力」というものは単純に対立しているわけではありません。力が法をつくったり踏みにじったりする、あるいは法が力を抑えるというよりも、法そのもののなかに法を踏み超えていくような力の可能性が内在しているということです。
(略)
[解釈執行]によってかえって法の本来の趣旨から逸脱することかありうるわけです。そして、法そのものはこれをどうすることもできない。

ブリューニング内閣の大統領緊急令濫用

大竹 (略)世界恐慌のさなかの30年にハインリヒ・ブリューニング内閣というのが成立しますが、これがまさにシュミットの行政国家論を地でいくようなことをするわけです。この内閣は少数与党内閣だったので、議会で簡単に法案を通すことができませんでした。そこでブリューニングが利用したのが、有名なヴァイマル憲法第48条の大統領緊急命令権です。議会で立法をおこなう代わりに、大統領の名で公布される行政命令を使って政治運営をすすめるわけです。こうして本来は単に法の適用をおこなっているはずの行政権力が、当の法律にとって代わるような役割を果たすことになります。こうした大統領緊急令の濫用が結局は法の支配を骨技きにしてしまい、ナチス政権への道を開いてしまうわけです。

緊急令濫用の一因は福祉国家へのシフト

大竹 [緊急令が濫用されたのは、小党乱立で議会が機能不全に陥っていたからだけではなく、福祉国家にシフトしたため]
ヴァイマル憲法は、生存権をはじめとして、労働・教育・住宅保有の権利などの社会権を大幅に認めた世界史上初の憲法で、保守派からは社会主義的とさえみなされた憲法です。これらの権利を政策のなかで実現していくためには、議会の立法だけではどうしても不十分です。国民生活の隅々にまで配慮することのできる行政介入がいやおうなくその役割を増していく。

福祉国家ナチス

大竹 ナチスは19世紀以降の社会福祉国家のパラダイムのもとで見る必要があるでしょう。特にドイツでは、現在の社会保障制度の基礎となっているオットー・フォン・ビスマルク社会福祉の伝統があります。そうした行政国家化の流れのうえに、ヴァイマル共和国もナチスもある。
(略)
 歴史家のデートレフ・ポイカートが指摘していることですが、ヴァイマル共和国時代に行政コストの増大によって、社会国家はすでに財政上の危機に陥っていたそうです。ヴァイマル憲法に労働や教育などのさまざまな国民の権利が盛り込まれたのはいいけれど、それを実現するためのお金の裏付けがなかった。社会保障のための財政資金はアメリカからの資本の借り入れによってなんとかまかなわれていたわけですが、世界大恐慌によって外資がドイツから引き揚げると、財政難はますます深刻化する。そうなると給付対象者の「選別」というものが必要になってきます。つまり、その者が給付にふさわしい「価値のある」あるいは「役に立つ」人間であるかどうか。社会政策が「社会防衛」としての性格を強めていくわけです。ナチス時代になると、そうした人間の「有用性」が明確に人種理論や生物学によって基礎づけられるようになる。ナチスは人種生物学にもとづく社会福祉国家といえます。
(略)
結婚したひとに無利子で融資し、出産した子どもの数に応じて返済金を減額する結婚貨付なんていう制度もありました。当然、女性の出産奨励というナチスの母性保護政策にそった制度です。これによって、それまで働いていた女性の多くが専業主婦として家庭に入り、彼女らの抜けた職場が男性失業者によって補われました。ナチス時代の失業率低下にはこうした数字のトリックもあります。専業主婦は失業者として換算されませんから。

次回につづく。