キャロル・キング、ニール・ヤング、ザッパ編

前回の続き。創作の秘訣インタビュー本。

INSPIRATION

INSPIRATION

 

クイーンズ・カレッジ在学中、同じ大学に通う若き日のポール・サイモンと出会い、キャロルがピアノとボーカルとドラムを担当して、ふたりで他人のデモを作る仕事を始めた。もうひとり、大学で知り合ったのがゲリー・ゴフィンだった。デートを重ねるようになったふたりにとって何よりも楽しかったのは、一緒にピアノの前に座る時間だった。「映画に行くよりもね」とキャロルは言う。こうしてふたりは曲を書くようになった。キャロルが主にメロディー、ゲリーが歌詞という分担で、150ほどの“ひどい曲”(ゲリーに言わせると)を書いたが、ついに「ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロウ」が初のヒットとなる。
(略)
[ゲリーと離婚後、68年LAへ]
 スタジオの裏方からレコーディング・アーティストヘの転向。それは自然な流れのようにも思えたが、彼女にとって人前に立つことは、とんでもなく恐ろしいことに思えたのだ。そんな恐怖が少しずつ取り除かれたのは、ジェイムス・テイラーのおかげだろう。「ちょうど『つづれおり』の頃にジェイムスに出会い、彼がいとも簡単そうに演奏するのを見たの。誘われて、ステージでピアノを弾いたわ。ある時『君の曲を1曲弾いてごらんよ』と言われ、確か彼が大好きだった「アップ・オン・ザ・ルーフ」だったと思うわ、これを演奏したの。お客さんはみんなジェイムスを愛していたし、曲も聴き馴染みのある曲だったから、失敗するわけがない、そんな恵まれた状況だったのよ。もしかすると私の演奏はひどかったのかもしれないけど、それでもみんなすごく喜んでくれたわ」

全くインスピレーションが湧かない時は、別の事をして、水路が開くのを待つか

もうひとつ私が使う手は、好きな人の曲を聴いたり、弾くこと。そうすると、塞がれていた水路が開くことがあるわ。でも、それにそっくりな曲が書けてしまう危険もあるので、注意しないと(笑)。

「家に戻す」

 先が予測できないことが好きなのよ。例えば、アルバム『シティ・ストリーツ』を聴いたレコード会社の担当者から「どの曲も違う構成をしていて、ああこれか、と思える構成の曲が1曲もない」と言われたわ。いわゆるAABAとかABABという通常の曲構成はひとつもないの。必ずどこかで左に道を逸れてしまう(笑)。それが私の目指すものなのよ。
 簡単に予測できることはやりたくない。予測できる展開も有効でないとは言わないけれど。例えばAABAと展開するのかな、と思える曲のBのセクションで少し寄り道をさせてからAに戻ったり、AABCと展開した後に、もう一度Aに戻ってみるとか、そういうことに私はチャレンジや楽しさを覚える。曲を書く上でひとつだけ意識していること、それは「家に戻す」というコンセプトなの。つまり、曲には必ず始まりと真ん中と終わりがあるわけだけど、私は、真ん中ではどこへでも行きたい所に行かせてあげる。でも、終わる時は必ず、リスナーにとって聴き馴染みのある、見覚えのある場所に戻ることで、帰ってきたという安心感を与えたいの。最後には家に戻してあげるのよ。その家がどういう意味であるにせよ。

作詞

ゲリー・ゴフィンと曲を書いていた時はどうしても引っ込み思案だったわ。ゲリ一・ゴフィンみたいな作詞家と書いているのに、なぜ自分の歌詞を書こうなんてことを思う必要がある?って。(略)
[離婚後]しばらくの間、ふたりで曲を書くことができなくなったの。ほんのしばらくの間だったけど。その時よ、もう一度(作詞を)やってみようと思ったのは。でも、自分の詞にはあまり満足してなかった。それが突然、確か『つづれおり』の直前だったわ、ピタッと歌詞と曲がはまったの。(略)
 詞を書く、ということについてゲリーから教えられたことを、いつも心に留めていたわ。何よりも大切なのは、わざとらしくならないようにすること(笑)。それと中間韻を使って言葉で遊ぶ、ということ。(略)
 私の詞のほうが……無邪気、とでも言うのか……たくさんの痛みの中から生まれたものではないの。彼の詞は、彼自身の、もしくは登場人物の痛みを映し出していて、昔から腹の底からの感情に触れる詞だった。(略)
 ゲリーは書いた詞を私に聴かせてくれる時、旋律をつけて歌うことがよくあった。そういう時は、彼の旋律をそのまま生かして、より音楽的なものにするのが私の仕事だった。と言うのも、彼は肚のしっかりしたシンガーだけど、メロディー・シンガーではないの。彼の歌を聴いて、何よりも伝わってくるのは魂の部分。だから「ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロウ」も、彼以上に歌える人は本当はいないの。でも、彼の歌のままではシンガーが歌っている歌のようには聞こえないので、そう聞こえるように、聴きやすくするために、私が旋律をつけたの。

[フリーウェイで]おんぼろキャデラックの後部座席に陣取って、アコースティック・ギターを弾きながら、次の曲を書いている。「それだけが俺のルールなんだ」と彼は言う。「どこにいても、どういう状況でも、曲のアイディアが閃いたなら、曲を書くことにしている。すぐその場でね」

最初のバンドはJades、二番目が63年結成のSquires、一年後初めて作曲。その頃のルームメイトだったリック・マシューズという15歳の黒人シンガーこそ、後に「スーパー・フリーク」をヒットさせるリック・ジェイムス。米海軍から脱走しカナダに潜伏中だった。ニューヨークに出たニールはブルース・パーマーとMynah Birdsを結成、リック・ジェイムスが合流。

Super Freak

Super Freak

  • provided courtesy of iTunes

マイナー・バーズはモータウンと契約してアルバムを録音した。しかし間もなく脱走の容疑でジェイムスが逮捕されてしまったため、アルバムは発売されぬままになってしまった。(略)
ニールとブルースはロスに向かった。フリーウェイの真ん中で渋滞に捕まっていた時、ふたりはニューヨーク時代からの友人、スティーヴン・スティルスとリッチ一・フューレイと偶然、出くわした。一緒にバンドをやろうということになった4人は、ドラマーのデューイ・マーティンを加え、The Herdと名乗った。しかし、ニールがどこかで見た“バッファローから名前を取った蒸気ローラーの名前”のほうが自分たちの音楽に合っている、ということで名前が変更された。バッファロースプリングフィールド

I Got You (In My Soul)

I Got You (In My Soul)

  • The Mynah Birds
  • ポップ
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

The Mynah Birds-featuring Neil Young and Rick James

 彼と話をしたのは、カリフォルニア州レンドウッドにある彼の牧場内のスタジオで、クレイジー・ホースとのリハーサルが行なわれている最中だった。そこはまさに音楽の王国。ニールはスタジオの音を、ステレオで王国中に流すことで有名だ。左チャンネルは納屋にある巨大スピーカーに、右チャンネルは家のスピーカーに直結しており、それらがすべて同時にスタジアム級の大音量で流される。そしてニールは牧場内の湖にボートを浮かべ、音を聴き、「納屋(の音)を上げろ!家をもっと上げろ!」と気に入ったミックスになるまで大声で叫ぶのだという。

作曲

●曲ができかけている時というのは、そのまま、その時に終わらせようとするのですか?それとも後でまた戻って終わらせるのですか?
たいていは、自分が考え始めるまでは続ける。考え始めたな、と思った瞬間、そこでやめるよ。
●それはどういうことですか?
次に俺は何をするんだろうということを意識して考え始めたら、ということだよ。そうなったらやめる。どこからともなくアイディアが浮かんだら、また始める。でもそのアイディアが止まったら、俺も書くのをやめる。無理強いはしない。そこにないものはないんであって、それはどうすることもできないんだ。
(略)
曲のアイディアというか、頭の中に繰り返し聞こえるメロディーと言葉があることに気づく。その時こそ、曲を書くべき時なんだ。
(略)
●近頃のソングライターは、メロディーはそれ程重要ではない、いずれメロディーは忘れられてしまうと感じているようです。あなたはどう思いますか?
 何を言うんだよ。メロディーは何があってもメロディーなんであって、耳を捉えて離さないものだよ。メロディーは消えてなくなってしまう、と言われるようになった時こそ、メロディーは戻ってくるものだ。すっかり消えたはずだと誰もが確信した途端にね。そうなるまで戻ることはできないけど。メロディーのための場所はたくさん残っていると思うよ。

キー

●弾いていて好きなキーというのはありますか。
マイナーキーの曲は随分と書いたよ。Eマイナーとか、Aマイナーとか。
●Dメジャーの曲も多いのでは?
ああ。Dの音階が好きなんだ。3rdを使わないD。厳密にはメジャーでもない、マイナーでもない、どこかその中間だ。
●キーは曲を大きく左右しますか?別のキーに置き換えることは可能ですか?
たいてい、オリジナルのキーが一番いいね。

●個人的にお気に入りの曲というのは何ですか?

トロッグスの曲で昔から好きな曲があるんだ。「ワイルド・シング」じゃないよ。あれも名曲だけど。タイトルが思い出せないんだけど、バラードだ。

17歳で「アンド・ホエン・アイ・ダイ」を書いた時には、すでに「私はすっかり音楽の中にいた」と言い、ジョン・コルトレーンからマイルス・デイヴィスまで、ジャズの天才たちの作曲方法をどんどん吸収していた。

ソウル・ミュージックやロックンロールも聴いていたけど、よく聴いていたのは、そういった素晴らしいジャズの“知”の持ち主だった。既成から外れた斬新なコード構成やコード進行のほうが、私には自然に思えたの。

14、5歳くらいの時から、毎晩のように[ドゥワップを歌っていた]。街角で、冬の寒い時期だったら駅の構内で。いい具合にエコーがかかって、最適だったの。(略)
スペイン人の男の子のグループと歌ったりしていたの。呼ばれもしないのに(笑)。彼らは駅の階段の下のほう、私は上のほうに座って。

[今の時代]3種類のMIDIサウンドを一台のキーボードから鳴らし、ドラムサウンドと装飾を同時にプレイすることもできる。(略)
4歳になる子供をMIDIキーボードの前に座らせ、二つくらい音を弾かせ、ドラムマシンを組み合わせれば、グルーヴに乗ってそれなりに聞こえるものは作れてしまう。そこが注意せねばならない点だ。私はそう思う。(略)
プロダクションは凝っているし、すごく良くできていて、バックのサウンドも特別だ。何もかもが際立っていて、グルーヴ感もある。ところが、車を降りた後で曲を思い出そうとしても、周りのものを取り除いてしまった時、どれだけメロディーが心に残っているだろうか?すっかり副作用に誤魔化されてしまってたんだよ。車を運転しながらそういうレコートを聴いていると、誤魔化されてしまうことはある。

ソングライティングに関する決まりごとは?

音楽は音楽そのものにインスパイアされて生まれるということ。曲を書くことでしか、曲は書けない。席に着いても、気分が乗らないかもしれない、でも自分で自分の背中を押してやる。仕事と同じプロセスなんだ。もしくは、完全な即興。何かがそこへやってくる。もしくはドラムマシンをオンにする。もしくはキーボードの停止ボタンを押す。もしくはピアノから離れてみる。ただ座って、魔法のようなアイディアがが思い浮かぶのを待っていてもだめ、ということだよ。

●曲を書くのに好きなキーはありますか?

嫌いなキーはあるが、それ以外なら大丈夫だよ(笑)。BメジャーとC♭はまず使わない。E♭、F、G、Cは好きだ。Dはあまり好きでないが、書けないこともない。曲を書いていて行き詰った時には、キーを変えてみるといい。別のものが聞こえてきたり、別の所に手が動く。またしても、手、なんだ。だからキーボードでやるのは問題なんだ。手がどこへ行くか、どこに行きたいかになってしまうんだ。
●一番好きなコードというものはありますか?
単純な3音の和音では居心地が悪いんだ。例えばAストレート、Cメジャーのコードとか、Fメジャーとか。いつもそれ以上のものを探している。広げられるように。ただしDメジャーの場合だけは、3和音でうまくいくんだけどね(笑)。Dメジャーの世界では、混じり気のないコードがなぜかうまくいく。しかし、結局どんなコードを選んだとしても、すべてを決定するのは私の頭の中に聞こえてくることであり、メロディーが何を命じているかなんだ。コードにメジャー2ndを加えても、うまくいかないこともある。それはおそらく、メロディ一が混じり気のないコードや3和音のコードがいいと要求しているからなんだ。

サンディエゴに住んでいたフランク・ザッパ少年が、「Look」誌に取り上げられていたレコード店主、サム・グッディの記事を読んだのは、彼が13歳の時だった。グッディは「音楽的にどれ程不快なアルバムも売ってしまう天才」と紹介されていて、その「不快さ」を証明する窮極の一枚として上げられていたのがエドガー・ヴァレーズの『The Complete Works Of Edgar Varese,volume1』というアルバムだった。その中の1曲「イオニゼーション」はパーカッション・ナンバーで、記事を書いた記者に言わせれば「サイレンとかそういう騒音がただバンバン、ガランガランと打ち鳴らされているだけの曲」だということだった。これにすっかり心奪われたザッパ少年は、何が何でもこのアルバムを手に入れなければと思い立つ。

コンプリート・ワークス Volume.1

コンプリート・ワークス Volume.1

 

家に誰かが遊びにきた時には(略)ヴァレーズのアルバムを少し聴かせた後に、ライトニング・スリムの「My Starter Won't Start」とか「Have Your Way」あたりをかけ、ハウリング・ウルフをかける。(略)たいてい、そこで帰るのは女の子と無知な男どもだ。残った奴らは、とりあえず会話が成立する奴らだったよ。

My Starter Won't Start

My Starter Won't Start

  • ライトニン・スリム
  • ブルース
  • ¥150
  • provided courtesy of iTunes
Have Your Way

Have Your Way

  • ライトニン・スリム
  • ブルース
  • ¥150
  • provided courtesy of iTunes

曲を書くようになったのは、見た目が好きだったからなんだ。俺はガキの頃から芸術的な才能があって、音楽を(絵で)描いていた。みんなそうしているんだと思っていたんだ。
(略)
譜面は読めなかった。でも書くことはできたよ。見た目だけは、最高に素敵なものにできたんだ。
(略)
音楽の絵は昔から見えていたし、音譜記号の書き方も知っていた。何だか無知で非現実的だったように聞こえるかもしれないが、俺が紙に描いていた落書きのほうが、そこらへんの現代音楽のスコアよりはずっといい音をしていたと思うよ。
 実際、現代ヨーロッパ音楽の伝統に共通する音楽の考え方で「Eye Music」というのがあって(略)
それは演奏することはできないし、聴きたいとも思わないが、紙の上で眺めている分には最高の音楽のことなんだ。俺がこのコンセプトのことを知ったのは、俺の書いたものがミュージシャンによって演奏されるようになって、自分が思い描いていたような音にならないことに大ショックを受けた後の話だ。
(略)
俺の知っている一般音楽論はごく限られているよ。ああいうのは退屈だといつも感じてきたんでね。高校時代、ウォルター・ピストンの和声学の教則本を手に入れ、練習したことはあるが、こんなことを一生かけてやりたい奴がいるのがなぜか不思議だった。だって、ようやく最後まで練習したとしても、同じ教則過程を使って学んだ奴全員と同じような音を出すことになるわけだろ。そこで俺は(略)基本コンセプトだけを学ぶに留め、その先は放棄したんだ。
 そして、3度の音を省略したコードを使って、自分の音楽を書き始めた。コードの3度の音がないことで、メジャーかマイナーかという明確な和声枠に閉じ込められることがなくなる分、メロディーの許容範囲が広くなるように思えたんだ。基音と4度と5度、もしくは基音と2度と5度というように、主張するベース音に、宙ぶらりんで不安定なコードがいくつもあることで作り出される雰囲気や仄めかされる和声のほうが、俺の趣味からすると、より多くの可能性を秘めている。

採算ライン

俺のはたいてい5万程度だ。
[ミリオンは『シーク・ヤブーティ』のみ。理由はヨーロッパ全土で「ボビー・ブラウン」がヒットしたから](略)
内容次第で5万から30万の間、売れるんだ。(略)
俺は自分のスタジオですべて自分でやるので、5万のセールスでも利益を生めるんだ。他の連中はそうはいかないだろう。
(略)
[●フランク・ザッパほどの人が、市場を心配する必要なんてあるのか?]
大ありだ。忘れないでくれ、俺は資金調達を自らしなきゃならないんだ。空から金が降ってくるわけではないし、レコード会社からでもない。使える分の金しか、俺には使えないんだ。(略)
どれだけ奇異なことをしながらも、生活を成り立たせるか? そのコンセプトぎりぎりの所で、実験をしてきたんだと思う。俺はこれからも最大限の所まで持っていく。平気で自らの身を危険に晒すだろう。普通のレコード会社と普通のレコード契約をしていたら何世紀も前にクビを切られていたであろうアルバムを作っていくつもりだよ。

フィリップ・グラスのようなニューヨーク一派のコンポーザーをどう思いますか?

彼の音楽のことはよく知らないが、ニューヨークの反復音楽の一派というのは、アート・ギャラリーのBGMで使われる音楽、という感じだ。その一部となるには心地好い雰囲気なのかもしれないが、俺の趣味じゃない。俺にとっての“良い時間の過ごし方”ではないね。

次回に続く。
kingfish.hatenablog.com
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