- 「グッド・ヴァイブレーション」の
- ●あなたがいなくなっても曲は残ると思いますか?
- ヴァン・ダイク・パークス(89年&96年)
- 作詞
- ハリー・ニルソン(88年)
- ビートルズ、ジョン・レノン
- レナード・コーエン(92年)
- スザンヌ・ヴェガ(92年)
前回の続き。創作の秘訣インタビュー本。
- 作者: ポールゾロ,Paul Zollo,丸山京子
- 出版社/メーカー: アミューズブックス
- 発売日: 2000/12
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 6回
- この商品を含むブログ (2件) を見る
- ブライアン・ウィルソン(88年インタビュー)
まずはキーを決める。キーが決まったら、コード・パターンというのかな、メロディーを乗せることのできるコードのパターンを見つけようとする。コードのパターンが決まったら、一定のキーで、リズムに合わせて弾きながら、素晴らしい、痺れるようなメロディーを考え始める。
[好きなキーは?]
EとBだ。
あなたはコマーシャルでありながらアーティスティックですが
コマーシャル性とは大衆にアピールするということ。そう僕は思う。それは、突き詰めるべき前向きなプラスだ。向かうべき場所なんだ。クリエイティヴなことなんだ。
その空間で何をしてもいい。どこへ行ってもいいんだ。広く、果てしない、拡がり。60年代を見るがいいよ。なんて怖かったことか。音楽が怖いくらいにすごかった時代ということであれば、60年代だよ。 60年代はヘヴィだった。
●なぜそう思うのですか?
フィル・スペクターのせいさ。フィル・スペクターのレコードは間違いなく、最高のレコードだった。最高のプロダクションを誇るレコードだった。彼のプロダクション・スタイルはめちゃめちゃコピーされ、(大きな声で)レコーディング業界そのものを震撼させたんだ。業界全体がフィル・スペクターと一緒になって、揺れに揺れた。みんな興奮気味に言っていた。「ワオ!『ビー・マイ・ベイビー』を聴いたかよ?」って。あの曲は僕の頭のどこかにあった曲だ。聴いた覚えがある。どうやってあの男があのレコードを作ったのか、僕には永遠の謎だよ。カスタネットとか、ああいったサウンドを使って作った、あのレコードの数々……。どうやったらあんなことができるのか、僕には永遠にわかることはないだろう。
「グッド・ヴァイブレーション」の
アイディアは、みんなを怯えさせるレコードを作ろうというところから始まった。人を怖がらせるようなヘヴィなレコード。そうやっていくうちに、ものすごく夢中になってしまって、作れば作るほどもっと作りたいと思うようになっていってしまった。わかるか? つまり、自分たちがどこに向かっているか、正確な行き先がなかったんだ。わかるか? そうやってうまい具合に、これでもかってくらいに、でき上がったんだ。あれはとてもいいレコードだった。僕たちが作ったレコードの中で一番ヘヴィな、とまでは言わないが、ヘヴィなレコードの一枚だ。これから作るレコードを含めても。
●その、ヘヴィ、というのはどういう意味ですか?
聴く者を吸い込んでしまう、という意味でヘヴィなんだ。曲が聴き手を吸い込み、はらわたをつかみ、腹の底で曲を感じさせ、反応を起こさせる。フィル・スペクターのレコードがやったことはそれだ。僕らのレコードにもそういうのが何枚かある。そういうレコードは人を捕まえ、引き込む。捉えたら、引き込んで、はらわたをがっちりつかんでしまう。
●あなたがいなくなっても曲は残ると思いますか?
ああ、思うよ。「サーファー・ガール」は、人がどう信じようと信じまいと、僕が死んで、この世からいなくなっても、素敵な曲のままだと思う。
●あれがあなたのベストソングだと思うのですか?
そう思う。僕の心では、そう信じてる。僕らのテーマソングなんだ。一番良くできた「レコード」ではないかもしれないが、曲だけを取って、曲として考えてみると、ものすごくシンプルなんだ。ブリッジも、ものすごく軽やかだ。歌っているのは愛のストーリーだ。永遠の何か、と呼べる曲だ。
●ランディ・ニューマンは「ヘルプ・ミー・ロンダ」が一番好きだと言っていました。
「ヘルプ・ミー・ロンダ」が?驚きだ。あれがいいと、彼が言ってたのか?本当に?(とても信じられないといった顔つき)
●自分が書いた曲以外で、好きな曲はありますか?
何百万とあるよ。そうだな……クラシックス・フォーのあの曲、「スプーキー」は好きだな。品のあるレコードだとずっと思ってたんだ。歌詞もとてもいいね。
でも、誰にわかる? 何が良くて、何が悪いだなんて。大きな海の一滴に過ぎないのかもしれないよ……永遠という世界の中では。でも、僕らにはその一滴の時間しかないのだから、それをいいと思わなくては。
●「神のみぞ知る」は今もお好きですか?
レコードとしてではなく、曲としてでならね。「神のみぞ知る」はレコードとしてはベストではなかった。でも、曲として成功している。メロディーとコードが聞こえるからだ。素晴らしいビーチ・ボーイズのレコードとは言えなかった。いい曲であることには違いないが。
- アーティスト: ブライアン・ウィルソン&ヴァン・ダイク・パークス,ヴァン・ダイク・パークス,ジョージ・ガーシュウィン
- 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
- 発売日: 2016/04/06
- メディア: CD
- この商品を含むブログを見る
-
ヴァン・ダイク・パークス(89年&96年)
●メロディーは、ピアノを前にしていない時に、単独で浮かぶのですか?
もちろん。その後で、そのメロディーが実を結べるよう、ピアノの前に座って七転八倒する中間期を迎えるというわけだよ。時には何ヵ月も特定のキー、特定のテンポで反芻作業を繰り返すこともある。そして突然、すべてが変わってしまうこともある。「オレンジ・クレイト・アート」はE♭で書いたけど、Gで歌ったところ、うまくいったんだ。
●キーにはそれぞれの個性のようなものがあると思いますか?(略)
私には、黒鍵をたくさん使ったキーは、どこかロマンティックで、内省的な感じがする。G♭とF♯には、どこかとてもエキゾティックな香りがある。鮮やかな音ではないんだ。視覚的な印象でキーを捉えているんだ。おそらくみんな、そうなんだと思うよ。そのことに気づいてなかったとしても。
作詞
『ポパイ』の撮影をしていたロバート・アルトマンを思い出すよ。カメラは船の上だ。雲が立ちこめた空が、すごい速さで動いていく。撮影する対象物は別の船の上にある。固定点は何ひとつない。歌詞に取りかかっている時のような気分なんだ。メロディーは苦労しないが、歌詞はそうではない。歌詞は非常に難しい。既知の事実は何ひとつない。絶対的に重要な領域において決断を下すことの連続だ。それでいて、ものすごく抽象的なプロセスだ。それに比較すれば、メロディーはとても簡単だよ。
-
ハリー・ニルソン(88年)
●「孤独のニューヨーカー」は「うわさの男」と似ていますが、それは意識的にそうしたのですか?
ああ。あれは盗むように頼まれて、そうしたんだ。(映画『真夜中のカウボーイ』の)プロデューサーたちから「『うわさの男』みたいな曲を書けるか?」と言われたんだ。彼らはボブ・ディランとジョニ・ミッチェルにも曲を発注していた。ディランは「レイ・レディ・レイ」を書いた。ジョニが何を書いたんだったかは忘れたけど、何かを書いた。ところが、どれも採用されなかった。
僕は盗作にならない程度に、できるだけ「うわさの男」に似せようとした。僕にできる限り、あの雰囲気に近づけようとした。
●『オブリオの不思議な旅』のコンセプトはどこから?
実際の話、あれはLSDをやってた頃なんだ。大昔の話さ。あの頃は、そういうものを試していたんだ。(略)
木の葉や木のすべてにトンガリ(point)があるような感覚に魅せられたのを憶えている。あらゆるものにトンガリがあるようで。僕は思った。「すべてのものにトンガリがあるんだから、僕もトンガリを持たなくちゃ!」と(笑)。
●「アローは友だち」は、犬のことを考えながら書いたのですか?
そう。犬、僕自身の分身……何でもいい。「straighter than narrow」とは、偏狭な考え方のことを指している。この曲に登場するのは、偏見を抱いている人間ばかりだからだ。パトリシア・ハーストは飼い犬にアローという名前をつけたんだそうだ。その話を初めて聞いた時は、興奮したよ。以来、たくさんの人が犬にアローという名前をつけているけどね。
ビートルズ、ジョン・レノン
アップル・レコードの記者会で好きなソングライターを尋ねられ、ジョンが「ニルソン」と答えた。その数分後、今度は好きなグループを尋ねられ、ポールが「ニルソン」と答えたんだ。あの日を境に、僕の人生は変わった。突然、RCAの小さなオフィスに、ニューヨークからジャンジャン電話がかかってきた。「ビートルズが君のことを好きだと言ったのを聞いたか?」。
(略)
[ジョンは]初対面の時からとても気さくで親しげで、まるで何年も前からの知り合いのように接してくれた。愛想が良くて、僕が最新作の『空中バレー』のことを言うと、心底、感激したみたいだった。賞賛の言葉をたくさん並べてくれて、とても魅力的だった。(略)
彼は常にオープンだった。その一方で、人がイメージするジョン・レノンを演じることもできて、その日の気分によって、どちらのジョン・レノンにもなれるようなところがあったんだ。
彼とは本当に気が合った。4人の中で一番親しみを感じた。不思議な話なんだけど、結果的にとても長い付き合いになったリンゴとは、最初は打ち解けられなかったんだ。すぐに打ち解けられたジョンとは違って、取っつきにくい男だったよ。
(略)
[最初は真夜中にジョンから電話があり、「君は最高だ。本当に素晴らしい!」「今度一緒に何かをしようぜ」と言われ、翌週、ポールからも賞賛の電話。そして『ホワイト・アルバム』制作中だったビートルズに招かれ訪英、ジョン宅に宿泊]
一晩中、音楽の話や離婚、結婚、人生……そして名声と富がもたらすことの意味とか、そういうことを話し明かし、気づくと朝になっていて、太陽が昇っていて、カメラを持った連中が家の中にどやどやと入ってきた。ヨーコの映画「Smile」のカメラ・クルーだ。それは、シンシアが家を出て、ヨーコが転がり込んできた日でもあったんだ。(略)
それはジョンが「アイ・アム・ザ・ウォルラス」で着ていたウールのコートだった。裏返しになっていて、僕は「ワイルドだな」とつぶやいた。するとジョンが「着てみろよ」と言って、僕にくれたんだ。僕は「もらうわけにはいかない」と断ろうとしたんだけど、ジョンは「ぜひ君にもらってほしいんだ」と言い張るんだ。
(略)
●4人の中に解散の予感はありましたか? あなたと語り明かした夜、バンドを抜けたいというような話はジョンから出ませんでしたか?
なかったよ。彼の口から出る話は「ビートルズ」の話ばかりだった。僕がアビーロードを訪れた時も、他には誰もいなかった。スタジオにはエンジニアがいたけど、4人はダイニング・スペースのテーブルに、4人だけで座っていた。取り巻きはゼロ。スタジオの外にはファンの子が何人かいたし、入り口には警官が立っていたが、他にはいなかった。4人だけで静かにお茶を飲んでいたんだ。毎日がそんな風にとても普通だった……。
でもスタジオの中に入ると、しばらくここにカンヅメになっていたんだということがわかったよ。ギターとかコードとかがそこら中に散らかっていて、外部者が手をつけることはできない、そんな雰囲気だった。
-
レナード・コーエン(92年)
曲の掟を破る
自由と制約というのは、歌の塔の地下牢に閉じ込められた者が使う贅沢な言い回しに過ぎないよ。実際は、単なるアイディアに過ぎない。私には制約とか自由といった感覚はない。仕事という感覚があるだけだ。(略)
[仕事のおける楽しさは]ちょっとした滋養剤になることはある。精神というのは、筋肉からできているからね。精神内の陰惨な地形を歩いていく時の足取りに、調子というか、テンポを与えてくれる。一種のトーンが加わるんだ。しかしほとんどの場合、助けにはならない。仕事は仕事に過ぎないんだ。(略)
[世間は仕事をさぼる事をよしとするが]
もし、私も仕事で詐欺やイカサマができたなら、そうしていたかもしれない。しかし私は真面目な労働者なんだよ。何ヵ月も朝から晩まで働いて初めて、曲の掟を破れる。そして、そこに曲が存在し得るかどうかがわかるんだ。
今日、私たちが何かをしようと思い立つ時のエネルギー、私たちの心を捉え、夢中にさせるエネルギーというのは、過激な立場から発せられるエネルギーなのではないか、とここしばらく感じてきた。だからこそ、マルコムXのような存在がいる。私たちが注意せずにいられないのは、そういう過激なものだけになってしまっているようだ。私自身、神秘主義的な独裁者になりがちな自分に気づき、そういう過激な立場に向かわないよう自分を抑えなければならないことがあるんだ(笑)。
というわけで、「マンハッタン」はどういう曲なんだっけ? その男は真剣なんだろうか? そいつは何者なんだ? そいつはどういう層の人間に向かって言葉を発しているんだ? それは、先程の過激な立場に興をそそられる人間たちと一致している。
過激的立場になりたい気持ちを向ける先は、そちらのほうがいいよ。生徒を乗せたスクールバスを爆破するよりは。
-
スザンヌ・ヴェガ(92年)
彼女はミルクシェイクを飲む。たまには肉を食べることもある。修行僧のように必要最低限のものしか口にせぬ禁欲的な詩人、というのが彼女の一般的なイメージだが、実際の彼女は案外、世俗的だった。ツアーで訪れたテキサスではショッピングに行きたいと言い出し、レコード会社の重役を驚かせた。「あなたが普通の女の子でほっとしたわ!」と、その女性重役は言ったという。「みんなが私に抱くイメージは、平和主義で、菜食主義者で、仏教徒で、無機質で、壊れやすい……というもの。だけど本当は全然違うのよ」(略)
自らのソングライティングについて語る時の彼女は至って真面目だったが、自分自身について語る時は、驚くほどにユーモラスで陽気だった。曲の多くがそうであるように、どこか陰のある女性を想像していただけに、実物の彼女がとても明るく、インタビュー中も数えきれないほど顔を綻ばせ、笑い転げていたのは、嬉しい誤算だった。
(略)
ギターはすべて独学で、ジョビンの「イパネマの娘」といった当時のヒット曲を収めた譜面集が教科書代わりだった。ところが、人前で大きな声で歌ってみろと言われた時は、恐怖で身の縮む思いだったという。その時の経験は、音楽を諦めようかと思うほどに強烈だった。
(略)
そんな時に聴いたルー・リードが、彼女のソングライティングに対する考え方を一変させた。「もっと実験的になれるかもしれない、と思い姶めたの。サビやメロディーのない曲を書くことだってできる。そう思ったら、すごく楽になったわ」
「ルカ」
あの曲を書いた日曜日、私は朝からルー・リードの『ベルリン』を聴いていたの。あのアルバムと「ルカ」は直線でつながっているのよ。『ベルリン』は、家庭内・夫婦間暴力、あらゆるヴァイオレンスがテーマとして溢れたアルバムだった。すべての曲がメジャーキー。そして、すべてがアコースティック・ギターのみ。私にとって「ルカ」は『ベルリン』のボーナストラックのような曲なの(笑)。あくまでも、私にとって。スタイル的には、あそこに収められていてもおかしくない曲なのよ。