イラク戦争は民主主義を〜 その2

前回のづづき。

イラク戦争は民主主義をもたらしたのか

イラク戦争は民主主義をもたらしたのか

イラクとトルコ

隣国のなかでも、トルコほどイラクとの関係が急速に悪化したところはない。(略)2003年にトルコ議会は、対イラク攻撃の拠点として米軍がトルコを利用することを拒否した。そのときから11年にいたるまで、トルコはイラク北部に関心を集中させてきた。イラクのクルディスターン地域政府が独自の石油政策を進め経済を発展させていったのと呼応するかのように、トルコ企業の利益も拡大した。(略)
[イラククルド人の成功で]トルコ内のクルド少数民族が刺激され、自治拡大の動きが勢いづくかもしれない。そうした事態を阻止すべく、トルコ政府はイラク政府との間に強固な関係を維持し、イラククルド人の野心を押さえ込もうとした。
(略)
トルコ政府は[油田があり戦略的要衝である]キルクークの領有権を主張するトルコマン人を支援することでクルディスターン地域政府の拡張をせき止め、その信用を傷つけることを狙ったのだが、それはイラクの国内問題に対する露骨な干渉ともなる
(略)
[2010年選挙でマーリキーの対立候補をトルコが経済的支援。トルコに亡命したハーシミー副大統領の身柄引き渡しをトルコが拒否。イラクに通告なくトルコ外相がキルクークを訪問、トルコ経由で石油を輸出するためのパイプライン敷設を発表]
アラブの春を受けて、トルコはサウジアラビアのように中東でさらに積極的な役割を演じるようになった。政治的混乱に陥った中東地域で影響力を行使し、アメリカの関心の低下によって生じた間隙を埋めようとしている。またイランが覇権の掌握を狙っていると考えるトルコは、イランとも競合関係にある。

イラククウェートサウジアラビア

イラクがかつてペルシャ湾岸地域を不安定状態に陥れてきたことを考えれば不思議な気もするが、湾岸諸国とイラクの関係は最も波乱が少ない。(略)
湾岸の隣国との関係を改善することにマーリキーが重きを置いているのではないか(略)
中東地域内に展開した「魅力外交」の一環として、クウェートに三億ドルの賠償金を支払うことで同国との合意にこぎ着けた(略)
バグダードで開催されたアラブ連盟首脳会議にクウェートの首長が出席した。列席者のなかでは最高位であり、マーリキーが中東で展開する外交が信任を得ていることをはっきり示す形となった。
 対クウェート関係で成功を収めているのとは対照的に、サウジアラビアとの関係は冷え冷えとしている。両国の間に緊張がたちこめるようになったのは2005年から08年ごろの内戦期である。イラク側の怒りは、内戦初期にサウジアラビアの高位宗教学者が反乱勢力を支持したこと、その後は資金やおびただしい数の戦闘員が同国から送り込まれてきたことに端を発する。サウジアラビア側の憤激の要因は内戦でスンナ派が多数殺害されたことであり、今も怒りは収まっていない。(略)
サウジアラビアイラク観もまた、緊張を高める一因となっている。イラクは体制転換を境にイランの傀儡に成り果てたとみているのである。09年3月には国王がアメリカ政府高官に対し、マーリキーは「イランのエージェント」であり、信用がならないと語ったという。そうしたことから、10年の選挙ではサウジアラビアはマーリキーでなくイヤード・アッラーウィーに資金援助を行い、両国関係がさらに悪化した。

イラクとシリア

マーリキーをはじめとするイラク政府当局者にとって、シリアは反乱勢力の資金源でありバアス党幹部の隠れ場所であった。
(略)
 しかしシリア国内の反体制運動が勢いづき、アサド政権の存続を脅かすまでになると、イラクの立場は変わった。第一の要因はイランである。アサド政権への支援をイラン政府からしきりに促されたため、イラクはアサド政権に石油を輸出し、シリアに向かうイラン貨物機の領空通過を許可し、アサド政権側に自国の金融機関の使用を認めている。アメリカが外交ルートを通じて圧力をかけているにもかかわらず、この政策を改めていない。
 しかしシリアに対するイラクの支援をイランの圧力だけで説明するのは単純にすぎる。かりにシリアの政権が崩壊するようなことになれば、イラクの国内情勢がさらに不安定になることは間違いない。イラクの反乱勢力が反アサド政権側に立ち闘争を活発化させているという有力な情報もある。反乱勢力が勝てば、シリアを拠点にイラクに攻撃を加え、現政権の打倒を狙うだろう。それにアサドが失脚すれば、過激なスンナ派ムスリムが政権を握る可能性が高い。シリアがマーリキーにとって、バアス党員よりも手強い反対勢力の供給源となる恐れがある。さらには、アラブのなかの一同盟国であったシリアを失った場合、イランはイラクに対してさらなる要求を突きつけるものと思われる。マーリキーが築き上げてきた自律的な外交の維持が危ぶまれる。

レンティア国家

 経済は軍事分野を上回る惨状を呈しており、ほとんど進展をみせていない。国庫歳入の多くを石油輸出による収入が占めており、国民から徴税する必要がない。そのため政府は国民から距離を置き自律性を保つことができる。2003年後に復活したのはレンティア国家にほかならず、経済活動の大半を国家が管理している。第4章でも述べたように、05年に120万人だった公務員の数は[08年には]230万人に(略)06年の試算では、労働人口の31%が政府で公務に従事し、08年には35%に達する見通しとされていた。(略)
 国家は再建の途上にあり、いびつに歪んでいる。将来における民主主義の定着に必要な基盤がつくられていない。国民は行政機関からしかるべきサービスを受けることができず、政治家の腐敗を非難している。(略)
しかし政府は国内最強の治安機関を掌握している。公然とあるいは隠密裏に強制力に訴えることができ、自分たちの無能力に向けられた大衆の抗議の声を抑え込もうと、幾度も実力を行使している。これだけでも問題であるのは明白だが、同時にマーリキーが宗派主義的レトリックを使っているため事態はさらに複雑になった。(略)
統一的・ナショナリズム的なイデオロギーによって国民を団結させるのではなく、むしろ分裂を誘発するような言葉を使うことを選択した。自身の支配を維持するために国民の一部にすぎないシーア派をつなぎとめようとしたのだが(略)積極的な支持はおろか、黙諾すらあてにできないのではないか。支配エリートはますます権威主義的となって暴カヘの依存を深め、社会は疎外され、分裂したまま放置される。
 つまり、何万もの民間人が命を落とし何十億ドルもの金が費やされたにもかかわらず、市井の人々の生活は、国家との関係および経済という点についていえば、体制転換以前の状況と何ら変わらないのである。