偶然完全 勝新太郎伝

偶然完全 勝新太郎伝

偶然完全 勝新太郎伝

「不知火検校」

[このままでは勝はBクラス主演俳優に転落だと企画部鈴木晰成]
そこで出てきたのが、『不知火検校』である。
 これは十七代目中村勘三郎のために宇野信夫が書いた歌舞伎芝居だった。鈴木に促された勝は、舞台を見てから原作者の宇野と会った。宇野は勝のことを知らなかったが、勝はよく知っていた。かつて熱心に見た六代目菊五郎の芝居には、宇野の原作が含まれていたのだ。勝は六代目菊五郎の物真似を見せ、三味線を弾いた。ここで勝の物真似が生きた。その巧さに宇野は驚き、他社からも映画化の打診があった中、勝に映画化権を託した。
(略)
 勝は盲学校に行き、盲人の動きを観察した。盲人は、風、音、匂いで全てを判断する。特に風を感じることが重要だった。曲がり角に来ると、風が変わる。その風で方向を知るのだという。
(略)
 器用な勝にとって、この不自由な役柄が幸いしたのかもしれない。勝は目をつぶって演じていたので、自分がどのように映っているのか分からなかった。まるで動物になったようだった。
 [監督の]森一生は、撮影中から勝の演技に踊りの要素が加わったように感じた。それは盲目の人間が持っている独特の動きなのかなと思っていた。この映画で勝の中で変わった何かが、彼を前に押し出していくことになる。

「悪名」

 大映では、かつての溝口組を集めて、やくざ映画を撮影する計画があった。(略)
監督は、溝口組の最後のチーフ助監督だった田中徳三(略)大阪生まれで遊び好きの田中は勝の飲み友だちだった。勝の中に主人公、朝吉の要素があることは認めつつも、いくつか不安も抱えていた。原作では朝吉は20歳前に対して、勝は30歳近くになっていた。そして、河内弁の軽妙なやりとりが映画の重要な部分だった。東京出身の勝にとって、癖のある河内弁は厄介だろうと想像できた。(略)
[田宮二郎は]出演作に恵まれず、俳優は辞めるつもりだという。
 失礼なので直接断りに来ましたという田宮を、田中は一晩かけて説得した。(略)
原作よりも勝が年をとっていることは、逆に侠気を強く印象づけた。また、田宮の都会的な風貌で、貞は原作以上に軽やかな印象となった。二人が、不良とやくざの間で揺れるという設定は新鮮だった。
 上映直後こそ客の入りはそれほどでもなかったが、しばらくすると、地方の映画館主からこんな声が次々と入るようになった。――『悪名』の評判がいい。ぜひ続編を作って欲しい。

座頭市物語

 勝海舟と父・小吉を主人公とした『おとこ鷹』の映画化権収得のため、大映企画部の久保寺生郎は、作家の子母澤寛の元を訪れていた。せっかく来たのだからと、子母澤の他の作品の権利もついでに貰って帰ることになった。
(略)
[脚本の]犬塚稔は、市を助五郎の子分ではなく、旅から旅へと渡り歩く博徒とした。自らはやくざであることを卑下して、按摩としても働いている。吝嗇で、健常者への僻みを内面に抱える暗い男である。
(略)
勝は撮影に入る前、『不知火検校』の原作者、宇野の元を訪ね、六代目菊五郎がどのように盲目の人間を演じていたのか尋ねた。さらに、合気道の始祖、植芝盛平を嵐山の自宅に招いて、教えを受けている。
「息というものは、吸っていると、どんな所から飛んでくるものも、よけることができる。息を吐いた時に無防備になるから事故にあう」
(略)
当初、鈴木は池広一夫を監督に据えるつもりだった。しかし、池広は、『破戒』(市川崑監督)のB班の監督に誘われていた(略)
「今、くだらないやくざ映画を撮るのと、『破戒』のB班を撮るのと、君のこれからの監督人生をやっていく上でどちらがプラスになるのか、一晩じっくり考えてくれ」(略)
翌日、池広は『座頭市物語』を撮りたいと返事した。慌てた市川は、社長に掛け合って池広を引き抜いた。
 池広に代わって監督となったのは、三隅研次だった。
 『悪名』を撮った田中徳三が陽性の男だとすれば、三隅は正反対の男だった。三隅は(略)三年以上、シベリアで抑留された経験があった。厳しい労働の上に、密告や裏切りが横行していた捕虜収容所で過ごしたこと、妾腹という出自が三隅の人格に陰を与えていた。痩せて、ぶっきらぼうな物言いをする、三隅は、冷たい印象を周囲に与えた。その三隅の持ち味が、『座頭市物語』では生きた。

星川清司

[勝プロ第一弾は座頭市第16作]
しかし、勝は座頭市に飽きていた。(略)
「俺は座頭市役者じゃ終わらねぇよ。それだけじゃ終わらないよ」
座頭市を要求されることに反発した。それを聞いた、座頭市の脚本を手がけていた星川清司から、
座頭市というのは、そんなに軽く言うほどの役じゃない。もしかして、生涯、それ以上は巡り合わないかもしれないよ」
とたしなめられたこともあった。

勅使河原宏

 勝が人を介して勅使河原宏に会いたいと連絡を取ったのは、勝プロダクションを立ち上げる少し前のことだった。
(略)
[64年の『砂の女』は]カンヌ映画祭で審査員特別賞を受賞し、勅使河原の名前を一躍世界に知らしめた。
 勅使河原は勝の名前を知っているだけで、映画は一本も見たことがなかった。友人である音楽家武満徹は、座頭市シリーズを欠かさず見ており、立ち回りをよく真似ていた。武満がそれだけ気に入るのだから、よほど楽しい映画なんだろうと想像していたのだ。(略)
 二人は全く違った環境で生まれ育ってきたが、接点もあった。
 勅使河原の背景は、いけばなという伝統的な世界である。勝の持っている話の「間」は、三味線と長唄、古典的な芸能の世界のものだと勅使河原は感じた。
(略)
[同じ役を]勝は緊張がないまま演じていることを自ら恥じており、それを誰かに指摘されることを恐れていた。勝が抱えている、苦しみと孤独を勅使河原は理解した。
 二人は初対面から意気投合し、その日のうちに一緒に映画を作ることを決めた。(略)
[原作は安部公房『燃えつきた地図』。興信所の調査員の「男」が失踪者を探すうち]
都会の迷路に呑み込まれて自己を喪失していくという話で、勝の新境地を開くのにふさわしいと勅使河原は考えた。
 この「男」の役を演じる際、勝に注文をつけた。
 「芝居をせず、生地のままの勝新太郎で演じて欲しい」(略)
 勝は勅使河原に従順だった。
 「俺の芝居は、テシさんにとって、古い芝居かもしれない。画面に古い芝居が映っていたら、カットしてくれ」
(略)
 かつて勝はヒット作の主演になることを目指した。ヒット作が統くと、文芸作品と呼ばれる映画に出演していないことに劣等感を抱くようになった。
 同期の市川雷蔵は、溝口健二という巨匠の下で主演している。(略)三島由紀夫原作の『炎上』で高い評価を受けていた。勝はこの『炎上』の監督、市川崑と『ど根性物語 銭の踊り』で仕事をしてみた。しかし、映画の出来は勝が期待したものではなかった。
 勅使河原は、国内外から注目を集める芸術家であった。まさに勝が求めていた人間だった。
 しかし、撮影が進むにつれて、勝は混乱していった。都市の中での自己喪失という、映画の主題を理解できなかったのだ。
(略)
[興行的には失敗したが]
 勝が『燃えつきた地図』によって得た最大の収穫は、劣等感からの解放だった。
(略)
[脚本を書きたいが] 「ひらがなならば、いくらでも科白が出てくる。ひらがなだったら、いくらでもストーリーが出てくる。漢字じゃないと格好悪いと思ったら出てこない」
 勝が相談すると、勅使河原は、自分のやりやすいように書けばいいんだと教えた。重要なのは形ではなく中身なのだ、と。(略)
[勅使河原の撮影方法は大映と違い]
セットを組み上げてから、「これはいらない」「あれもいらない」とその場で言い出した。(略)
 「これまでの映画というのは、きちっと計算して段取りを組んでから撮影していくというものだった。型があってその通りに進めていくという安全を確保していた。しかし、予め分かっていることを敢えてやるのは、作品の生命力を失わせることになる」
 という勅使河原の考えは、勝がずっと感じていたことだった。(略)
例えば、経験を積んだ時代劇の俳優は、カメラが回る合図を聞いたあと、一度息をふっと吸ってから芝居を始めた。監督、編集の人間は、フィルムに映った最初の一瞬を必ず切り捨てていた。(略)
 (だいたい、あのふっという呼吸はなんなんだ。あれがあるから自然な芝居ができないんじゃないか。あのふっという呼吸をやめて芝居しろと言ったらどうなるんだろう。あの一瞬の間をどんな芝居で埋めるんだろう)
 そんなことを考え出すと、勝自身が監督するしかなかった。(略)
 勅使河原の手法ならば、自分でも監督ができる。勝はその機会を窺っていた。

雷蔵死去

 雷蔵が亡くなったと聞いたとき、勝は頭の中で雷蔵がふっと笑ったような気がした。雷蔵が手鏡を顔に近づけて、指先と毛筆で化粧する姿が勝は好きだった。大映の俳優会館の廊下で、白檀のような香りがすると、少し前に雷蔵が通ったのだと分かった。もうそうした匂いはしないのだと寂しくなった。

子連れ狼

 その頃、若山の主演で人気を博していた『子連れ狼』シリーズの原作権が、ユニオン映画に売却されたという知らせが入った。
 ユニオン映画は、萬屋錦之介主演でテレビドラマを制作するという。勝プロの契約書には、映画、テレビ、舞台の原作権は勝プロに所属すると明記してあった。原作者の小池一夫の事務所の人間が、二重に権利を売却したのだ。
 若山はテレビ原作権を手放す気はなかった。東宝にとっても、『子連れ狼』は確実に客が呼べるシリーズとなっており、契約書を盾に突っぱねるべきだという意見だった。ところが、ユニオン映画の社長に上下座されると、勝は断り切れなかった。勝プロは映画、ユニオン映画はテレビでと棲み分けすることにした。
 収まらないのが若山である。『子連れ狼』の原作権は、若山自ら小池一夫のところに出向き獲得したものだった。怒り狂った若山は勝プロを退社し、自分の会社を設立した。『子連れ狼』の代わりとして、勝が主演する『御用牙』をシリーズ化していたが、客足は伸びなかった。『子連れ狼』を失った74年、東宝は勝プロとの契約を見直し、年間六本契約から一本ごとに契約を交わしていくことにした。

次回につづく。