政府の憲法解釈

政府の憲法解釈

政府の憲法解釈

  • 発売日: 2013/10/12
  • メディア: 単行本

政府による憲法解釈

第二の理由として、特に法令に関しては、我が国には憲法裁判所が設置されておらず、かつ、最高裁その他の裁判所が一般的・抽象的な違憲立法審査権を有さないことから、法令の憲法適合性について裁判所の判断が示される機会が必ずしも多くないことが挙げられる。これに加えて、憲法第9条等に関しては最高裁がいわゆる統治行為論等に依拠して積極的な司法判断を控えてきたことも忘れてはならない。憲法施行から60年余を経る今日まで、最高裁によって違憲と判示された法令の規定は十指に満たないことにかんがみると、いわゆる憲法秩序がもっぱら憲法訴訟を通じて形成されてきたとはいい難い状況である。
 対照的に積極的に憲法各条についての解釈を明示してきたのは政府である。
(略)
なかでも自衛隊の海外活動に関する法律など、高度に政治的で、かつ、憲法適合性が厳しく問われる法律の原案は、ほぼ例外なく内閣によって国会に提出されてきたといってよい。
(略)
こうした立法の実態にかんがみると、法律の憲法適合性を確保するためには、まずは法案作成段階で、政府にその憲法適合性をしっかりと確認することが求められる。政府による誤りのない憲法解釈は、このように違憲の立法を防ぐ上でも重要な意味を持つのである。
(略)
「法律を誠実に執行」する立場にある政府が、このように推敲を重ねて確定した法文の解択を変えるためには、十分に合理的な理由と説得力のある論理が必要であり、法治国家である以上、時々の内閣が恣意的にこれを行うことは許されない。なかでも、国自らが守るべき規範たる憲法の解釈の変則にはとりわけ慎重でなければならず、「国会等における論議の積み重ね」は、政府の憲法解釈に矛盾がないか、一貫性があるかといった点に厳しい目が注がれてきたことを意味している。
 こうしたことから政府の憲法解釈は、国会での議論も少なかった第66条第2項の「文民」の意味についてのものを唯一の例外として、各条項について一貫して揺らぐことがなかった。そしてわが国の法体系は、このようにして「確立され定着して」きた解釈の下にある憲法を頂点として構築されている。
(略)
本書の目的は、政府の憲法解釈を正しく理解してもらうことであって、その是非や当否を論じることにはない。

政府の第9条解釈は

難解であるとか、技巧的であるといった批判を受けることがあるが、政府の第9条に関するすべての論理は、以上に述べた2点、すなわち自衛隊が合憲であること、しかし原則として海外での武力行使は許されないことを土台として構築されており、この2点を前提とする限りにおいては、骨太で分かり易いものであるといえよう。

集団的自衛権

 このように個別的自衛権国際法上も長い伝統を有する概念であるのに対して、集団的自衛権は、国連憲章に現れるまで、国際慣習法上の権利としては論じられたことがないものであった。こうした新たな権利が個別的自衛権と並んで国家の「固有の権利」として位置づけられるに至った背景には、国連憲章第53条において、加盟国が地域的取極に基づいて強制行動をとるためには安全保障理事会の許可を得なければならない旨が定められたことに対して、ラテンアメリカ諸国が強い反発を見せたことがあるとされている。(略)
[新しい概念のため様々な議論があり]日米安保条約の改定をめぐる国会論戦が繰り広げられた昭和30年代半ばの時点では、基地提供など、武力行使以外の交戦当事国への便宜供与や経済的援助をも含む概念かどうか、いわばその外延に関しても必ずしも定説が得られていない状況であった。(略)
国際法学上、今日では、集団的自衛権はもっぱら実力の行使に係る概念であり、基地提供のような便益の供与までを含むものでないことや自国の安全に対する脅威をその発動要件としないことについて、ほとんと異論をみなくなっており

一言でいえば、個別的自衛権が「我が国に対する武力攻撃の発生」を発動の要件とする自国防衛権であるのに対して、集団的自衛権は「外国に対する武力攻撃」があったことを前提とする他国防衛権にほかならない。こうしたことから、政府は近年、集団的自衛権の行使を違憲と解する理由について、我が国の武力行使が必要最小限度の範囲を超えるから、といった表現を避けて、我が国に対する武力攻撃が発生していないからと説明することが通例になっている

第66条第2項(文民条項)

憲法制定時には自衛隊は存在せず、日本にはおよそ武力組織がなかったことから、そもそもシビリアンコントロールについて論じる実益は乏しかったが、第66条2項は、一般には旧職業軍人を排除する趣旨であると解され、政府は、旧職業軍人の経歴を有し、かつ、軍国主義的思想に深く染まった人だけが「文民」に当たらない、と解していた。政府のこの解釈は自衛隊の発足後も維持されて、当初は、自衛官文民であるとしていた。これは、自衛隊は第9条第2項の戦力には当たらないという解釈を前提とした考え方であるとも考えられるが、自衛隊の実力が向上するにつれて、自衛官自衛官の身分を有したまま防衛庁長官等に就任することの妥当性が問われるようになった。このため昭和40年に至り、政府は、現職の自衛官は「文民」には当たらないとする新たな解釈を明らかにした。その経緯は次のように説明されているが、この「文民」の意味は、これまでに政府が憲法解釈を変更した唯一の例といえよう。
(略)
[昭和40年内閣法制局長官<衆・予算委>答弁]
自衛官はやはり制服のままで国務大臣になるというのは、これは憲法の精神から言うと好ましくないんではないか。さらに徹して言えば、自衛官文民にあらずと解すべきだというふうに考えるわけでございます。