プーチニズム (2005年刊)

北オセチア学校占拠事件

イングーシの元大統領ルスラン・アウシェフが包囲された学校内に入った。アウシェフはこれまでチェチェン問題に対してたえず和平交渉を呼びかけ、政治的解決を目指して努力を重ねてきている。そのためにクレムリンから非難され、自発的に大統領選から降りるように強いられた。
(略)
学校占拠直後の一日半のあいだ、「人質解放作戦」の本部では交渉にあたる人物を決定する権利を持っていなかった。彼らはクレムリンの許可を待っており、プーチンの勘気に触れるのを恐れていた。プーチンを怒らせてしまったら、政治家としてのキャリアは終わったものと覚悟しなければならない。明らかに、この懸念のほうが何百人の人質の苦しみより重大だったと見える。人質の死はテロリストのせいにできる。だがプーチンの逆鱗に触れることは政治家としては自殺行為だ。
(略)
北オセチア大統領ザソーホフがアウシェフに話したところによると、プーチンがじきじきに電話をしてきて、学校へ入ったりしたら、刑事告発するぞ、と脅したという。
 ザソーホフは学校内には入らなかった。ロシャーリ医師にしても同様だ。
(略)
 作戦本部の役人たちはみな自分のキャリアは守ったが、子どもたちの救出には失敗した。
(略)
[アウシェフは]テロリストと話し合うために学校内に入った。ベスランの悲劇で何らかの交渉役に就いたのは彼だけだ。
 この努力をしたばかりに、アウシェフはクレムリンに激しく非難され、テロリストと共謀したといういわれのない中傷を受けた。
(略)
アウシェフは学校内におよそ一時間留まり、出てきたときには三人の赤ん坊を両腕に抱いていた。彼と一緒に26人の子どもたちが外に出ることを許された。九月三日午後二時、突入が開始され、銃撃戦は夜遅くまで続いた。
(略)
 ベスラン事件直後、政治的な締め付けはますます苛烈さを増した。プーチンはこの悲劇を国際的なテロ行為であると発表した。チェチェンとのかかわりを否定し、すべてをアルカイーダのせいにした。アウシェフの勇気ある行動は貶められた。クレムリンの指示により、マスメディアは彼を事件の唯一の英雄ではなく、テロリストの重大な共犯者と呼びはじめた。英雄の称号はロシャーリ医師のために取っておかれた。大衆は崇めるべき英雄を必要とするのだから。
(略)
ベスラン後、プーチンのお気に入りのスローガンは、「戦争は戦争だ」というものになった。彼のトップダウン方式の権威主義は強化されなければならない。物事の裏を一番よく知っているのはプーチンであり、プーチンが支配する限りロシアは将来テロリストの悪行から守られるのだ。クレムリンはロシア議会下院に法案を提出した。地方首長を住民の直接投票によって選出するこれまでの方法を廃止する法案だ。プーチンによれば、こうした選出法をしているから、地方首長が無責任な行動に出るのだそうだ。
(略)
 十月二十九日、ロシア議会下院は圧倒的多数の賛成でプーチンの新法を通過させた。新法の下では、プーチンが地方首長を指名し、地方議会は指名された唯一の人物を承認する。もし地元の議会が不遜にも二度にわたってプーチンの指名を拒否するようなことがあれば、抵抗する議会は不信任動議を通過させたものとして、そう、やはりプーチン大統領令により解散される。

「肥溜めにぶち込んで徹底的にやる」ロシア軍

 ロシア軍は常に国家の根幹をなす柱だった。だがそこは、今も昔もまさに有刺鉄線に囲まれた強制収容所そのものだ。ここでは、若者たちは裁判もなく投獄され、将校たちが気まぐれに決めた刑務所並みの規則がまかり通る。ロシア軍の教育の基本的な方法は、「肥溜めにぶち込んで徹底的にやる」ことだ。ちなみにこの言葉を初めて公の場で使ったのはプーチンだ。クレムリンの頂点に立ったとき、ロシア国内の敵について、大統領はこのとおりの言葉を使った。
 大統領にとってはこの状況が好ましいのかもしれない。何しろ彼は中佐という身分にあるし、間違ってもふたりの愛娘がこのような軍隊に入る心配はない。しかし、法に縛られないごろつきのような特権階級の将校連中とは違って、私たち一般人にはこの状況はきわめて好ましくない。とりわけ息子を持つ親、ことに息子が徴兵年齢に達した親の場合には、まさに他人事ではない。(略)彼らは恐れている。息子たちは家を離れたが最後、カムィシンの演習場やチェチェンなどのように、二度とは戻れない場所に行ってしまうのではないか、と。

貧しい隣人が高級スーパーオーナーに

不幸で貧しかった隣人女性ターニャに10年ぶりに再会。担ぎ屋から成り上がり、若いツバメをはべらし贅沢三昧の高級スーパーオーナーになっていた。

「あなたは帝国主義者になったのね。ちょっとばかりしたたかになったみたい」
「そうね、エリツィンがいなくなって金儲けも夢も消えた。今権力の座についているのはしつこい実務派たちよ。私もそのひとり。あなたはプーチンを嫌うけど、私はプーチン派。あの人は幼いころに受けた虐待の仕返しを今になってしている、私には血を分けた兄弟みたいに思えるわ」
「しつこいってどういうこと?」
「賄賂のこと。誰彼かまわず渡さなきゃいけないお金よ。店を続けるために、私は金をばらまく。ありとあらゆる人に金をつかませるのよ。警察署の事務員、消防士、衛生検査官、自治体職員、地元のギャング。私は店をギャングから買ったの」
「ああいう人たちとつきあうのは怖くないの?」
「ううん、私には夢がある。金持ちになりたいの。今のロシアではそれは誰にでも賄賂を渡すってことよ。この税金を払わないと、私は明日にも撃ち殺されて誰かに取って代わられる」
「話を大げさにしてはいないわよね?」
「とんでもない。控え目に言ってるくらいよ」
「役人はどうなの?」
「私が賄賂を握らせてる役人もいるわ。残りはギャングが面倒見てくれてる。私がギャングに金を渡すと、連中がほかのギャングや役人から守ってくれるの。ほんとに便利よ」
(略)
[後日、市議会補欠選挙記者会見に行くと、ターニャが立候補者の中に]
もし議員に当選したならば、ホームレスの権利を守るために戦うと約束した。
「どうして、こんなことする必要があるの? あなたはもう十分お金持ちでしょうに」。記者会見が終わって、私は彼女に訊いた。
「言ったはずよ。私はもっと金持ちになりたいの。理由は簡単。議員に賄賂を払いたくないだけ」
「理由はそれだけ?」
「議会の腐敗がどんなにひどいかあなたは知らないのよ。エリツィン時代の盗人どもなんて及びもつかないわ。もし私が議員になれたら、それでひとり分の税金が減るってものよ」
(略)
[なぜスピーチの最後にプーチンの話をしたのか問うと]
「もし私がプーチンの話をしないと、ここのFSBが明日には店へやって来て、みんな言ってるのに私は言いそびれたと忠告するわ」
「そしたらどうなるの?」
「別に。ただ賄賂を要求されるだけよ」
「何の賄賂?」
「私が言わなかったことを忘れる見返りよ」
「まあ、あなたこんなこと、いやにならない?」
「いいえ、あと二店舗手に入れるのにプーチンの尻にキスしなきゃいけないんだったら、私は喜んでするわ」
「手に入れるって? 買うだけでしょ? お金を払うだけじゃない。そうじゃないの?」
「いいえ、物事のやり方は変わったのよ。店舗を手に入れるためには、自分のお金で買う権利を役人に与えてもらわなきゃいけないの。それがロシア式資本主義ってものよ。私は気に入ってるの。もしそれがいやになったら、どこかほかの国の市民権を買って、そこに落ち着くわ」
私たちは別れた。もちろん、ターニャは当選した。
(略)
彼女は最近電話してきて、自分のことを書いてほしいと言った。私はそのとおりにした。それがこの文章だ。彼女は本が出版される前に読みたがった。読むと、衝撃を受けたようにつぶやいた。「みんな本当のことだわ」。彼女は自分が死ぬまでこの本をロシア国内では出版しないでくれと頼んだ。
「外国はどうなの?」
「外国ならいいわ。この国の金がどれほど危険か知らせたほうがいいのよ」
それでこうして今、あなたはこの本を読んでいる。

エリート集団特殊諜報連隊将校リナート

「いいえ、死ぬのは怖くありません。格好つけてるんじゃなくて」
「捕らえられること?」
「そうですね。もちろん、それは怖い。拷問されるとわかっていますから。実際にこの目で見てきたから。けれども、捕らえられるのはそれほど怖くないんです」
「じゃ何が怖いの?」
「たぶん平和な市民生活が。それについては何も知らない。どうしていいか何もわからないんです」
 リナートは37歳だ。彼が生涯かけてやってきたのは戦争に行くことだけだ。彼の体は傷跡だらけだ。胃と十二指腸に潰瘍があり、神経系はぼろぼろだ。関節の痛みは消えたことがないし、頭を何度か負傷したせいで発作に襲われることがある。
 最近、少佐はそろそろ落ち着いて、戦争から普通の生活に戻る頃合いだと決心した。ところが普通の生活について何も知らないことに気づいた。たとえば、誰が住む場所を提供してくれるのだろう。これまで国のために尽くしてきたことを考えれば、フラットくらい与えてくれても不思議はない。あるいは少々の金でも良かった。
 リナートがそうしたことをペトロフに尋ねはじめたとたん、何も期待してはいけないことがわかった。彼が国のために山中や外国、ロシア本土で使命を果たしているあいだは、国は勲章や昇進で応えてくれる。けれども健康が思わしくなくなって、普通の生活に戻ろうとしても、彼を待っているものは何もなかった。軍のヒエラルキーはただ彼を外の世界に追っ払うだけだった。彼が息子と今住んでいる将校用の宿舎の汚らしい小部屋すら取り上げようとしていた。
(略)
 私の目の前にいるのは国家によって訓練されたプロの殺し屋だった。今、彼のような人はたくさんいる。国は人びとをまた新たな戦争に送り込む。彼らは戦争の最中で何年も生き延びて戻ってくるが、法と秩序に守られた平和な暮らしがどういうものかを知らない。行き着く先は酒に溺れ、ギャングになり、殺し屋となって雇われる。彼らの新しい主人は彼らに大金を与え命じる。国益のためにある人物を殺せ、と。
 国家は? 何もしない。プーチン政権下では、国家は戦争から戻ってきた将校たちの面倒は見ない。国家は、ギャングの世界に、なるべく多くの高度に訓練されたプロの殺し屋が存在するように積極的に仕向けていることになる。
(略)
[希望が通らなかった]リナートはペトロフに挑んだ。「私はあなたがチェチェンでどんな英雄魂を見せたのかを知っています。あなたはこっそりと参謀本部に身を隠していました」。副連隊長で政治部長代理のペトロフは答えた。「これでおまえも終わりだな、少佐。その一言でおまえは無一文だ。宿舎なしで退役処分にしてやる。息子と路頭に迷うがいい」
(略)
軍隊の将校は今や平等ではないふたつのグループに分けられる。一方の現場の将校は実際に戦闘に参加し、己の生命を懸けて山中を駆け巡り、雪や泥の中に何日も身を隠して過ごす。
(略)
もう一方の参謀はどうなのだろう。彼らはすばやく出世する。世の中をうまく泳ぎ切り、フラットも別荘も手に入れる。

人間の尊厳を顧みない

 本当に不思議だ。共産党が倒れてもうずいぶんになると言うのに、昔の習慣がまだそのまま残っている。なかでも根強いのは、人間の尊厳を病的なほどに顧みない習い性だ。とりわけあらゆる障害にもかかわらずわが身を捨てて忠実に働く人、自分の仕事の大義名分を心の底から愛している人がなおざりにされている。国のために誠実に働く人に感謝することを政府は学んでいない。一生懸命働いているか。そうか、よろしい。そのまま続けよ、くたばるまで、心が壊れるまで。当局は日増しに厚顔無恥になっている。国民の中でももっとも優秀な者の心を粉々に打ち砕く。
 狂信者のひたむきさで、彼らは最悪な連中に金を賭ける。
 ロシアにとって共産主義が貧乏くじだったのはたしかだが、現在はそれよりひどい。

愛国心には値段がある

 もちろん、ドローギンはいろいろな意味で聖人のような人物だ。ほかの多くの将校同様、彼は金のためではなく心から望んで国に奉仕している。これほど心根のしっかりした人がいるのは、このような最果ての地くらいだ。
 ジーキイやドローギンのような将校がいつまで我慢できるのかは誰にもわからない。彼ら自身にもわからない。今日の海軍は中高年層の海軍将校に頼っている。若い将校はほとんどいない。若い連中はここまではやって来ない。やって来た少数の若者もすべてを海軍に捧げ、見返りは一切要求しないという考えにはついていけない。あと数年したら海軍にはどういう将校が残っているだろうか。
 「愛国心?」。ルイバチエの海軍中佐が皮肉な微笑みを浮かべる。彼は潜水艦「オムスク」の将校だ。「愛国心には値段がある。清貧を気取るこの馬鹿げたやり方にはそろそろ終わりを告げるべきですよ。自分の両足でしっかりと立たないとね。ジーキイのように片足で人生を歩むわけにはいかないんだから。彼は潜水艦の艦長なのに、いつだって安物のジョギングシューズをはいて、安酒を飲んでいる。艦隊の扱われようは最低でしょう。これに応えるには自分なりの規則をつくらなければならないってことですよ」
(略)
彼によると、同年代の若い将校たちは手に入るものなら何でもかまわず闇で売買しているらしい。(略)
 「今では魚やキャビアを持って人が家にやって来るようになったんです」と彼は誇らしげに言う。「二年前、僕は潜水艦から酒を盗んで売っていた。そのころ、みんなは僕のことを蔑んでましたよ」
 「若い将校にとって、高い生活レベルが海軍に入る主な目的になってきているんです」とドローギン少将は嘆く。

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と半分まできてあまりな内容に暗い気分がさらにどんよりしてきたので、ばっさり飛ばして終わりの方へ。
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チェチェン人弾圧

警官は机の下から大麻を取り出し、言った。「これはおまえのものってことになる。おれたちはチェチェン人を生かしてはおかねえ。こうやってみなブタ箱にぶち込んでやる」
(略)
[警察署に行く車中]警官たちは彼の頭に袋をかぶせ、長いあいだ殴りつづけた。彼らはこう叫んだ。
「おまえらはおれたちを憎んでいるだろうが、こっちも同じだ。おまえらがおれたちを殺すなら、おれたちだってやり返してやるからな」
(略)
「彼らは『おまえはヘロインの取引をしているな』と言った。上官が手に小さな包みを持っていて、『これは今からおまえの物だ』と言うんです。私は手錠を嵌められました。やつらは包みを私のポケットにすべり込ませました。私が抵抗を始めると、やつらは『そうか、じゃあレモン(手榴弾)の導火線を付け足しておこう』と言った。上官はすでに手榴弾を拭いてほかの人の指紋を消していました。彼はそれを私に持たせてメモしはじめた。私はまた叫びました。『あんたたちにこんな権利はないはずだ』。彼らはこう答えました。『われわれは命令されてるんでね。権利がある。もしおまえが言うことを聞かず罪を認めないって言うんなら、おまえの身内も同じ目にあわせるぞ。おまえの家の捜索をして、同じ手榴弾の部品をもう一個見つける。さあ、供述調書に署名するんだ』」

選挙

独裁的で官僚的なソビエト時代の選挙では、人びとは意思を表明するふりをしたが、今回の選挙自体これの現代版にすぎない。私をはじめ昔を覚えている人は多い。ソビエト時代のやり方はこうだった。私たちは投票所に行って、投票用紙を投票箱に入れる。だが用紙に誰の名前を書くかに思い悩む必要はなかった。結果は選挙の前から決まっているからだ。
 今回、人びとはどう反応したか。二〇〇四年三月十四日、人びとはソビエトの悪習が戻ってきたと飛び起きただろうか。いや。彼らはおとなしく投票所に行き、投票箱に投票用紙を投げ入れ、肩をすくめた。「どうにも仕方がないじゃないか」。誰もがソビエトが戻ってきた、そして自分たちがどう考えようと事態は変わらない、と確信していた。
(略)
 投票所に入り、そそくさと投票ごっこをすませて出てくる人びとに私は話を聞いた。彼らは無気力で、プーチンを二期目の大統領に選ぶという行為にまるで無関心だった。「あいつらがおれたちにそうさせたいんだろ? なら、いいじゃないか」。それが大方の意見だった。