海賊ユートピア

序文と訳者解題だけ読んでみた。

序文

ソマリア海賊は陸上の大衆に支持されている

たとえば、今日のソマリアの海賊について考えてみよう。だが、私は直ちに家をとび出して、彼らに合流したいと言っているのではない。むしろ彼らを、確かに興味深い「社会的」様相を孕んだ、(古来多くのイギリス人海賊がロビン・フッドを自称していたように)大衆的ヒーローとして、そして自らの環境を守る者たちとして、擁護する意向なのだ。ソマリア海賊は、ムーア海賊と同じ理由で人殺しを躊躇する。なぜなら人は、屍のために身代金を払わないからだ。他の多くの海賊たちと違って、ソマリア海賊は、実際(同じ氏族とはいえ)陸上の大衆に支持されている。だから彼らは、[ホブズボームのような]マルクス主義的観点からさえも、「社会盗賊」としてみなすことができる。では、アナーキーの視点からはどうか? 私はあるソマリア海賊の発言を聞いたことがある。「われわれは政府というものが好きでなく、われわれにとって必要でもない」「部族的アナーキー」は生きているのではないか、ことにソマリアにおいて? さらに彼らを擁護する最後のポイントは、この海賊たちが、反イスラム主義者であるということだ!
(略)
 海賊行為が(疫病の撲滅の如く)「見事に」駆逐されたはずの世界において、われわれがいまその本物の猛威に再会しているのは、どれほど興味深いことだろう。全地球の恒常的監視活動をもってしても、マラッカ海峡、ナイジェリアの外洋、インド洋、あるいは南シナ海から海賊行為を「駆逐」しえないこと――それをわれわれは発見したのだ。
(略)
資本主義は漏れ出している。ネズミたちも、船を見捨てはじめているだろう。奇々怪々な島々が、突然、水平線の彼方に出没している。それが荒ぶる航海だ。(略)
そこでは金銀財宝が、資本主義者たちの重荷から解放され、最も贅沢な悪徳と美徳のために、惜しげもなく消尽される。

訳者解題

レネゲイド、「蜂起の欲望」

 著者の興味の中心はキリスト教を裏切り、イスラームに寝返った背教者(レネゲイド)たちにある。17世紀はキリスト教を捨てるレネゲイドが数千人規模で発生した時代であった。イスラームキリスト教より新規改宗者を優遇する宗教なので、ムスリムキリスト教に改宗するのではなく、クリスチャンがイスラームに改宗するケースのほうが多かったということは納得ができる。しかしその動機は?
(略)
通説的レネゲイド理解としては、キリスト教世界側からすると、彼らは社会のゴミで、その改宗の動機は強欲などの卑しさ極まりないものであり、彼らの心理なんて考慮するに値しないと考えられてきた。
(略)
17世紀は薔薇十字団に代表されるキリスト教神秘主義の結社がヨーロッパ各地で成立していた。そういった結社の多くがイスラム教のことを、世界の真理を分有する宗教として、肯定的に捉えていた。イスラームが有する秘密の知は、こぞって求められた。いわばこの時代は、オリエンタリズムの時代に先立つイスラーム・ブームの一時代であった。
(略)
[別の動機]
それが当時民衆レベルで流布していた「好色なトルコ」というイメージである。実際イスラム世界は、キリスト教世界に比べて性に寛容な文化圏であった。(略)一般的に性的節制を重んじるキリスト教世界とは真逆の傾向にあった。くわえて、イスラム世界は男性同性愛すら社会的に容認される文化圏であった。つまりそこは、同性愛の抑圧からの逃避の可能性を示唆するところだった。こういったイメージからレネゲイドたちは宗教を裏切ったのだろうと著者は推定する。
(略)
サレーの海賊と同時代のイギリス革命期に生まれた諸結社は、宗教団体であると同時に政治団体でもあった。彼らは聖書の秘教的な解釈、「汎神論的一元論」、神性との直接交感といったことを伝授する一方で、無律法主義や社会的平等主義を標榜し、なによりも現実を変える想像力を信頼していた。明らかに宗教的なものと政治的なものが渾然一体となっていたといってよい(ここまで第二章)。
(略)
いずれにしろ、著者がレネゲイドたちに見出す意義とは、こうした「蜂起の欲望」である。レネゲイドとは、この欲望を抑圧することなく前面に押し出し、社会を捨て去ることさえいとわない少数の「前衛」プロレタリアートだったのである(第二章、第九章)。
 サレーは海賊共和国だったといわれる。なぜならそれは、「民主主義的」だったからである。海賊たちは自らの提督兼市長を選挙で選び、ディーワーンと呼ばれる評議会を作ってその成員も選挙で選び出したといわれている。この政治構造は、著者によればアルジェの政治構造をモデルとしている。(略)
ただ、アルジェがディーワーンとターイファの「二院制」だったのに対して、サレーではディーワーンのみの「一院制」だったということは確かである。それは、もしかすると革命期イギリスの立法構造にすら先行していたものかもしれないと著者はほのめかす。イギリスやフランスの革命の成果は、もしかすると海賊に直接の負債があるのかもしれないと(第三章)。
(略)
アガンベンが描き出す状況は、近代以前の世界の状況を映しとったものそのままであるということである。近代以前には、人権という概念は当然存在しなかった。人々は人権に基づいて生きているのではなく、昔からの慣習に従って生きていた。たとえば、ある民族集団がある地域に昔から暮らしているのは、それが単に所有権や生存権に立脚しているからではなく、昔からそうしてきたからであった。(略)
それは人権のような生得的なものではなく、他者との関係のなかでの責務と権利の連鎖から生じるものだったはずだ。
(略)
[それで]「難民」となるとしたら、慣例を打ち彼るような「例外状況」における暴力しかない。それが1609年のフェリペ三世によるモリスコ追放令であった。
(略)
社会から切り離されているからこそあらゆる因習的なしがらみから自由で、あらゆる実験を行える可能性を残していた。そこからは希望が生まれる。喪失とは希望である。これこそ17世紀の海賊が復讐戦争のなかで発見した真実だったのではないだろうか。

難民とは強き者であった

このように、私的暴力を自己の目的のために用いるという点で海賊の暴力は反社会的である。
 だが少し待って欲しい。私的暴力は、そもそもそんなに無前提に悪といえるのだろうか。私的暴力は、最終的には新たな公共空間の可能性を切り開くものである。公共空間とは、私的な仇と対峙する場である。したがってそこでは必然的に私的暴力が要請される。少なくとも私は、あらゆる暴力の可能性が摘み取られたクリーンな社会よりも、レイシストファシストやセクシストに物理的暴力が加えられるような公共空間のほうが健全だと思うし、また何よりも我々は、たとえそれが私怨からだと言われようが、石原慎太郎東京電力の役員を拉致してちょっとぼこぼこにしてやりたいと思っている。もちろん、それは反社会的な行為だとみなされる。だがこれこそ海賊が示した可能性である。
(略)
自由になった海賊たちは、圧倒的に強かった。その強さは、もはや証明されているはずである。(略)
アーレントアガンベンが取り違えているのはここである。二人は難民を弱き者としてとらえている。それは決定的な間違いである。難民ということばから連想するものとは逆説的に、難民とは強き者であった。少なくともラバト・サレーの海賊は、そうした可能性を示した。弱者が強者となるのである。