ジョン・ケージ 白石美雪

チラ読み。

ジョン・ケージ 混沌ではなくアナーキー

ジョン・ケージ 混沌ではなくアナーキー

信仰

 ケージの宗教的感性は曽祖父も祖父もメソジスト派の牧師だったという家系に源をたどることができる。少年時代には宗教的な儀式への関心が強く、キリスト教会の仕事をしようかと真面目に考えたこともあった。実際には大学に入ると、すっかりその気をなくし、芸術へと関心が移っていくのだが、特定の宗教ではなく、さまざまな宗教への興味は継続し、信仰心は生涯、消えることはなかったといえよう。
 アメリカ最大の教派であるメソジスト派日課に基づく規則正しい生活方法(メソッド)を重んじるところから、その呼び名がつけられた。聖霊の証を重んじるこの宗派が、幼い頃からケージの人間形成に影を落としてきたことは想像に難くない。
 その影響の現れとして次の二つを挙げることができる。一つは神や精霊、聖なるものといった神秘に対する感受性を持っていること、もう一つは厳格な生活態度である。ケージが易占いによる偶然性の手法を作曲ばかりでなく、生活上の決定にも用いた徹底ぶりは、こうした宗教的背景を考えると理解しやすい。
 ケージの師であったシェーンベルクが無調から十二音音楽へと進んできた自らの苦難に満ちた道のりをユダヤ教の信仰と結びつけて考えていたのと同じく、ケージもまた、無意識のうちに育まれた信仰心に支えられて、新しい音楽の実践へと導かれたのである。

デュシャンポロック

レディ・メイドの思想を展開したマルセル・デュシャンは、ケージが深く信奉した師匠というべき存在だった(略)
 抽象表現主義の第一世代に対するケージの立場は、彼らを批判したデュシャンの影響下にあって、幾分、冷淡だった。ジャクソン・ポロックが仕事をするシーンを撮影した映画のために音楽を書いてほしいと、ポロック夫人が頼んできたときもあっさりと断り、フェルドマンのところへ行くように勧めている。ポロックは「たいてい酔っ払っていて、じつは会うのが不愉快な人物だった」そうで、ケージはポロックが往来で自分と同じ側を歩いているのを見ると、わざわざ通りの反対側へ渡ったという。
 実存主義に根差した第一世代の英雄的で大げさな生活態度に対して第二世代の美術家が抱いたのと同じ反感を、ケージも共有していた。その一方で、アラン・カプローやジャスパー・ジョーンズラウシェンバーグら第二世代に対しては親しく関わり、デュシャンの思想を独自の方法で説いていく媒介者の役割を果たすことになる。

キノコはガチw

[50年代に入り『易の音楽』『4分33秒』等で]
一躍有名になる。だが、暮らしぶりがよくなったわけではなかったし、相変わらず単発のアルバイトもしていた。51年のある日、彼は音楽一筋に邁進しようと決心する。もし、それで死んだとしてもいいと思ったという。舞踊関係者からの依頼に加えて、何人かの映像作家や監督が彼の音楽に関心を持ったが、どれほど困っていても注文に合わせて音楽を書くような仕事は断った。自分の作品への出資を募り、両親から援助してもらいながら食い繋ぐ毎日で、決して楽ではなかったにもかかわらず、である。
 ケージはのちにニューヨーク菌類学会を創設するほどキノコについて豊富な知識を持っていたが、それも実際に食べるキノコを自ら採取するため、生死を左右する毒キノコの見分け方を真剣に学んだからだった。こうした厳しい経済状態はおよそ58年頃まで統く。
 しかし、清貧な生活を送りながらも、ケージの創作は発想の宝庫というべき時期を迎えていた。ギャマットからチャートヘと転換し、チャンス・オペレーションズヘと踏み込んだのちに編み出された数々のアイディアが種子となって、58年以降、大きく成長していく。コイン役げとチャートによるチャンス・オペレーションズで作曲する傍ら、ケージは三つのシステムを開発する。点と譜表による〈見たて〉のシステム、チャートを応用した電子音楽(ラジオの音楽やテープ音楽)、そしてチャートと〈見たて〉を統合したシステムである。

《四分三十三秒》

 マクルーハンの主張によれば、「できごと」の同時多発性を直接、捉えることができるのは聴覚である。聴覚はあらゆる方向からの、とくに関連づけられていない「できごと」をそのまま、知覚することができる。このとき想定されているのは最終的に一つの平面へと落とし込まれていく均質化のプロセスではない。これを得意としているのが視覚で、一つの平面に落とし込むことによって、「できごと」は合理的な連関のもとに理解される。それに対して、密度も質感も距離も異なる多様な「できごと」が同時的かつ無関係に共存している多元的な空間は、「耳を澄ます」ことによって初めて、その様相をあらわにするのである。
 しかし、問題は私たちが「聴く」という行為を考えるとき、ア・プリオリに均質化された平面を前提とする思考に慣らされてきた点にある。これは楽譜の変遷をみると明らかだ。近代の五線譜、すなわち計量記譜法はまさに鳴り響く音楽が均質な空間に投げ出されているというイメージを象徴的に描いている。
 当初、鍵盤楽器の演奏譜として生まれた五線譜は演奏家に指の動き、あるいは息づかいなど体の動きを指示するものだったが、やがて他の楽器へと転用され、管弦楽曲も五線譜を重ねたスコアに記譜されるようになるにつれて、楽譜は音楽の鳴り響きが書きとめられたものと考えられるようになった。この傾向は近代になって、とりわけ古典派、ロマン派の音楽でいっそう顕著なものとなる。音楽を学ぶ学生たちはスコアを目で読んで、その楽譜から奏でられる音楽を正確に脳裏でよみがえらせる訓練を積む。
 鳴ると同時に消えていってしまう音響現象をとどめておくことのできる楽譜は、たしかに何十分と続く音楽作品の構築には必要不可欠だった。だが、この作業はやがて視覚化されたことによって生じた均質化のプロセスを忘れさせてしまう。あたかも音楽はまだ音符が書き込まれていない五線譜のように均質に流れる時間の平面で、音と音が統辞的な関係を結びながら構築されていくかのようである。
 こうした認識が徹底するにつれて、楽譜のように均質な平面へと帰着しない音現象は聴こえない、あるいは聴こえていても意識から除外するといった特異な知覚が構成される。楽譜に記された休符は完全な沈黙を意味し、楽譜に記されない息継ぎや衣擦れの音、咳払いなどは音楽とは関係のないものとして知覚されないか、鋭敏な聴衆から音楽を害するものとして不興を買う。この段階に至って、「聴く」という行為が持っていた力、つまり同時多発的に生じている「できごと」を受けとめる能力は大きく削がれてしまったのである。
 ケージは、《四分三十三秒》について、「信じてもらえないかもしれませんが、私は沈黙を一つ一つ繋いで、この曲を作りました」と述べた。この言葉は沈黙が何の傷もない真っ白の紙のようなものだと考えている人にとってはナンセンスである。誰にとっても均質な沈黙という余白があって、そのなかに無意図的なノイズが落ち込んでくるといった、よくある解釈においては、沈黙を繋いでいくという手順は意味を持たない。
 しかし、ケージにとって沈黙はいささかも均質なものではなかった。つまり、そこでは密度も質感も距離も異なる偶発的な音が同時的かつ無関係に共存しているので、耳を傾けるたびに異なった姿をみせる。真っ白の楽譜にはその平面へと帰着しない無数の音現象がそのつど、変化しながら連なっているのである。