アトランティック・レコードを創った男・2

前回のつづき。

 ボビー・ダーリンのアトコとの1年契約が満了に近づいており、エイブラムスンが彼を放出したがっていることを知ると、アーメットはダーリンを自らプロデュースすることにした。(略)
[ウェクスラー談]「スプリッシュ・スプラッシュ」は実に不愉快でくだらない曲だと俺は思ったが、アーメットはあの曲を認めた。だから彼はあの曲を制作し、あの曲がボビー・ダーリンのキャリアの出発点になったんだ」

[「スプリッシュ・スプラッシュ」でボビーがスターになった半年後、アーメットは歌手兼女優ロッテ・レーニャ(クルト・ワイル夫人)と昼食を共に]
「なぜ私の夫の曲を1つも録音していないの?」と尋ねた。アーメットは、「アトランティックではそういうタイプのレコードは作っていない」と答えたが、やってみると約束しろと彼女に迫られた末、「うーん、考えてみます」と答えた。
 数日後、1956年にルイ・アームストロングが作ったヴァージョンの「マック・ザ・ナイフ」を特ってダーリンがアーメットのところに現れ、こうアピールした。「変だと思われるでしょうけど、僕ならすごいヴァージョンが作れると思うんです。やらせてください」(略)
 この曲をやって「ティーンのアイドル」から脱皮したいというダーリンに、アーメットは最初にこう答えた。「何を言っているんだ?キャリアが台無しになるぞ」(略)「スプリッシュ・スプラッシュ」の印税の権利がまだ残っていたダーリンは、その金を元手にセッション費用を自腹で払うとアーメットに頼み込んだ。

Bobby Darin - Splish Splash

[1957年の]「2枚のレコードのおかげで俺たちは競争に戻ることができた」とウェクスラーは後に述べている。「あの2曲はものすごくリスナーを惹きつけ、幅広い人気を得た。聴きたくてたまらなくなる曲で、どこの局もオンエアせずにはいられなかった」その曲の1つはコースターズの「ヤキティ・ヤック」、もう1つが「スプリッシュ・スプラッシュ」だ。「どっちも100万枚以上売れた。卸値で言えば40万ドルか50万ドルの収入を意味する」とウェクスラーは語っている。
 10年にわたって順調に活動を続けてきたアトランティックであったが、経営陣が会社の運転資金のみならず、自分たちの年俸までカヴァーできるようになったのは、演奏時間が2曲合計でたった4分ほどのレコード2放のおかげである。

The Coasters- Yakety Yak

フィル・スペクター

悲惨な環境下で父を亡くしていたスペクターは、ジェリー・リーバーいわく「見放されることをものすごく怖れ」、「一人になることを死ぬほど怖がっていた」そうだ。そういう心理面から(略)長きにわたりアーメットを恩師と崇め、父親代わりとして募ったのだ。
(略)
 共通点がまったくないアーメットとスペクターは、メッズ・メズロー的な内輪のスラングでくだらないおしゃべりに興じ、夜な夜な街を一緒に出歩くようになった。まったく異なるバックグラウンドと、16歳という年齢差にもかかわらず、2人はすぐに切っても切れない仲になった。その後アーメットはスペクターを、個人的なアシスタント兼プロデューサーとして起用する。出世を熱望していた20歳のスペクターにとって、それは生涯最高のチャンスだった。

ビートルズを蹴ったのはウェクスラー

[ビートルズアメリカで100万枚売れてすぐ]アーメットはポール・マーシャルに、「君はアトランティックにはもう必要ない」と通知した。
(略)他の独立系レーベルにビートルズを託したマーシャルの決断は、犯罪に等しい行為だった。(略)
[数年後]『君は私からビートルズを奪った男だ』と皮肉を言ったので、『違う。それは誤解だ』と私は否定したそうだ。実は、その日までアーメットが知らなかったことがあった。それについてマーシャルはこう語っている。「最初に私がビートルズの話を持ち込んだ相手は、ジェリー・ウェクスラーだった。アトランティックでは彼と一番コンタクトを取っていたからだ。私はEMIの総代理人でもあったので、EMIから『キャピトルがビートルズの話を断ったので、何とか助けてくれないか?』と電話がかかってきた。だからアトランティックの友人たちのところへ行って、アーメットとジェリーの秘書だったノーリーン・ウッズにレコードを送ったのだ」(略)
 「数日後、ノーリーン・ウッズから返事があって、『“あいつらは二番煎じだ”とジェリーはけなしています』と言われた。それが真相だ。本当の出来事で、誰にも打ち明けたことはない。まずアトランティックに提案してから、ヴィージェイにビートルズを持っていったのだ」とマーシャルは後に証言している。
 当然ながら、生涯に受けた無数のインタビューの中でも、ジェリー・ウェクスラーはこの件について沈黙を貫いている。自伝の中でも触れていないほどだ。ただし、自伝では次のように述べている。「私はアンチ・ロックンロール派ではない。しかし、そのロックンロールの中にブルースがなければ、存在意義を感じない。だから私はビートルズに興味がなく、ローリング・ストーンズのほうが好きだった。ビートルズにはブルース的要素が一切存在しなかったが、ローリング・ストーンズにはあった。彼らのDNAの中にはブルースが存在したのだ」
(略)
 ウェクスラーの行為をアーメットがまったく知らなかったというのは、2人の行く道が徐々に離れ始めていたことの何よりの証明だ。

レコードビジネスにおけるマフィアの関与

[ジェリー・ウェクスラー談]
マフィアがレコードレーベルを牛耳るための最も簡単な方法は、身分の高い役員が資金を求めてマフィアのところにやってくると、その筋の者が「物言わぬ共同経営者」として会社に居座るというやり方だ。ジョージ・ゴールドナーがレッドバード・レコードでやったことがまさにそれだと気づくと、リーバーとストーラーはレーベルをたった1ドルでゴールドナーに売った。その数カ月後、ゴールドナーはレッドバードの原盤をことごとく売り払い、さらに私腹を肥やしたのだ。
(略)
レーベル側がマフィアに「頼み事」をし、見返りとして何かできるという見込みがあれば、レーベルはマフィアとビジネスでうまく付き合っていけた。しかし、「俺たちはそういうことはしないよう、きわめて慎重だった」
(略)
[バート・バーンズとバング・レコードを設立]
[アトランティックのブートレグ工場を見つけたとき]
バーンズはどうやら、「マフィア数人にバットを持たせて送り込み、プレス工場もそこの経営者も全部まとめて叩き潰す」ことでこの問題を解決しろと提案したらしい。
(略)
 ウェクスラーいわく、バーンズの「権カヘの執着」がなければ、一連の問題はここまでだったかもしれない。だが、アトランティックがバーンズと共に設立した音楽出版社のすべての実権をバーンズが要求すると、アーメットとウェクスラーにそれを拒否されたため、バーンズは契約不履行のかどで2人を訴えた。(略)
アトランティックはバーンズのような有能なヒットメーカーを失いたくなかった。しかしウェクスラーは後にこう語っている。「バング・レコードの没落が始まると、あのマフィアはこんな難癖をつけてきたよ。『お前らはクソだ。俺たちはこれだけお前らのために尽くしてきたのに。お前らは俺たちのものなのに。でも今日のところはバング・レコードだけもらって終わりにしてやる』だってさ」

I Got You Babe - Sonny and Cher

「当時のアトランティックは危機的な状況にあって、300万ドルから700万ドルくらいの契約が宙ぶらりんのままになっていたんだ。しかし、「アイ・ガット・ユー・ベイブ」がものすごい大ヒットになったことで、彼らはABCパラマウントへの売却を見送った。

Buffalo Springfield - For What It's Worth

1966年11月13日の夜、ローレル・キャニオンから車で走っていたスティルスは、ヘルメット姿に警棒で完全武装したロサンゼルス警察の機動隊が、パンドラズ・ボックスというクラブの前から数千人もの抗議集団(その中にはソニー&シェールもいた)を排除しているところに出くわした。(略)
「サンセット・ストリップの反乱は、単なるバーの閉鎖騒ぎだった。ところが、ロサンゼルス警察を仕切っている致命的な馬鹿野郎が、マケドニア軍みたいに完全武装した機動隊を子どもたちの集団にぶつけたんだ」
 「幻覚剤を摂取した」後、スティルスはその日の光景をテーマにした曲をわずか15分で書き上げた。
(略)
セッションの最後になって、「肝心の曲のタイトルがまだ決まっていない」とスティルスが言い出した。そこでグリーンはこう答えた。「いや、決まってるだろう。君は言ってたじゃないか。『どうなるか分からないけどやってみよう(For What It's Worth)」
(略)
[そのタイトルを聞いたアーメットが]「いや、それはよくない。そんなタイトルじゃだめだ。それは歌の中で言えばいい。「おい、何だあの音は( Hey What's That Sound?)」はどうだ」
[さらにアーメットは「あそこに銃を持ったやつがいる」という歌詞を変えろとアドバイス。スティルスはどちらも拒否。]
グリーンとストーンはアーメットの顔を立てるため、アーメットが提案したタイトルをカッコ付きで、スティルスが付けたがったタイトルの前に付け加えた。

合併

[セヴン・アーツとワーナー・ブラザーズの合併実現のためハーシュフィールドはリプリーズ株1/3を保有するフランク・シナトラと交渉]
『君がハグしてあげたら、ジェリーは小便を漏らすかもしれないよ。信じてくれ。この取引が成功したら君はきっと金持ちになれる」と力説した」
 こうして、シナトラのマンションに関係者全員が集まった。(略)
シナトラはウェクスラーのところに歩み寄り、文字どおり彼の肩に腕を回してこう耳打ちした。『ジェリー、君があのアレサ・フランクリンをプロデュースしたそうだね。彼女はすごいよ。1つ質問していいかい?』とね。その時点まで一言も口をきけずにいたジェリーはやっと、『はい、フランク。何でもどうぞ』とだけ口にした。するとフランクは、『私とアレサがデュエットしたらどう思う?』と持ちかけたんだ。その途端、私はジェリーの下着を取り替えなくてはいけないんじゃないかと思ったよ。私もフランクの言葉が信じられず、思わず彼の顔を見た。その瞬間、数日のうちに交渉が成立するだろうと確信した」
 シナトラはアーメットとネスヒに対しても、ジャズの話をして喜ばせた。「これが交渉成立のいきさつだ。昨日のことのようによく覚えているよ。私はフランクを抱きしめて、『君が素晴らしい人だとは知っていたが、これほどまでに素晴らしい人だとは思わなかった』と言った。その後は皆さんもご存じのとおりだ」とハーシュフィールドは証言している。ワーナー・セヴン・アーツがスティーヴ・ロスとキニー・ナショナル・カンパニーに買収されてから2年も経たないうちに、シナトラ[株を売却2500万ドルを手に]
(略)
「ジェリーとネスヒはこの取引に大満足していたが、アーメットは身売りをしたという後悔をなかなか克服できずにいた。
(略)
[人生の安心と安全を得るために売却したウェクスラーだったが、40年後]
「俺が最終的に手にした売却益は400万ドルで、そのうち100万ドルが税金に消え、手元に残ったのは300万ドルだった。そして最初の妻と別れて、残りの半分と家数軒が彼女に行った。で、俺がその後どうしたかって? アーメットはワーナー傘下でビジネスを続け、いい作品がどんどん出た頃には1億ドル以上も売上があったはずだ。(略)
2人はアトランティックを経営していたものの、もはや会社のオーナーではなかった。さらに付け加えると、アトランティックの身売り後もアーメットはきちんとした法人格のもとで、再び儲けることができた。一方、最初にアトランティックの身売りを強硬に推し進めたウェクスラーは、絶好の儲けどころを逃したのだった。

次回につづく。