ベル研究所、クロード・シャノン

クロード・シャノン

[ポーの暗号小説のファンだった]
 シャノンは戦時中の秘密通信に開する研究を、1945年に『暗号の数学理論』と題した114ページの論文にまとめた。(略)
解読不能な暗号とはどのようなものか(シャノンはこれを「理想的」とした)、またその解読不能なシステムが複雑すぎて扱いづらい場合に最も実用的なシステムとはどのようなものかという説得力のある分析も合まれていた。(略)
とりわけ重要な指摘は、言語、特に英語は冗長性や予測可能性が非常に高いことだ。[75〜80%が不要な重複]
(略)
F C T S S T R N G R T H N F C T N
 これは「Fact is stranger than fiction(事実は小説より奇なり)」というメッセージを、少ない文字数で表現できることを示している。つまり内容を一切削ることなしにメッセージを圧縮できるのだ。シャノンはさらに、冗長なのは個々の文字や記号だけではないとも言っている。文章の意味を一切変えずに、いくつかの単語をそっくり削れる場合もある。
(略)
テーマは通信の一般的性質である。暗号化したメッセージと暗号化していないメッセージを送ることには密接なかかわりがある、とシャノンはのちに語っている。「両者はきわめて類似性が高い。一方は情報を隠そうとし、他方はそれを送ろうとするのだ」。
(略)
シャノンが数学的に証明した最も重要な点は、メッセージを意図された目的地に鮮明、正確、確実に伝えることは可能である、ということだ。
 その第一歩は、メッセージに合まれる「情報」について考えることである。技術を検討するうえでは、通信の「意味」を考える必要はない、とシャノンは書いている。別の言い方をすれば、情報の「重要性」は必ずしも考慮する必要はなく、むしろ「不確実性」という面を検討すべきだ、というのだ。情報は受け手に、それまで知らなかったこと、予測できなかったこと、冗長ではないことを提供する。「情報の本質とは、それ以上細分化できない根本的な不確実性であり、それは情報を受け取ることによって解消される」とベル研究所の幹部であったボブ・ラッキーが説明している。
 メッセージを送るというのは、幅広い選択肢の中から一つを選ぶことにほかならない。次にメッセージのどの部分が来るのか、受け手にわからないときほど、多くの情報を送っている。シャノンの調査によると、一部の単語は一定の確率で選択され、一部のメッセージはほかのものより登場頻度が高い。こうした事実から、これらの単語やメッセージに合まれる情報量を正確に計算することができる。
 シャノンが好んで使った例は、たとえば「quality」という単語が「q」で始まることは知っている必要があるが、その次に「u」が来ることを知っている必要はない、ということだ。「q」という文字をすでに受け取っている人に、「u」は新しい情報を何ももたらさない。「q」の後には常に「u」が来るため、「u」は情報の受け手側で補うことができる。

誤り訂正符号

 シャノンの論文には、非常に衝撃的な主張が含まれていた。「あらゆるデジタルメッセージは誤り訂正符号さえ含めておけば、たとえワイヤにどれほどノイズがあろうと実質的に完璧な状態で送ることができる」というのがそれだ。誤り訂正符号のどこが画期的だったかと言えば、本来のメッセージに余分な情報(符号)を追加することで、「いかんともしがたい」と考えられていた伝送中のメッセージの質の劣化を、「いかようにもコントロールできる」ものに変えてしまったところだ。当初は多くの人がありえない話だと思ったが、まもなくシャノンが正しいことが証明された。
(略)
 シャノンは以前書いた暗号に関する論文の中で、冗長な部分を削ることでメッセージを圧縮でき、より効率的に送れることを示した。今回はそれとおよそ正反対のことを示したのだ。つまり、ある状況においてはメッセージの冗長性を高めることで、より正確に送れる場合もある、というのだ。

「究極のマシン」


たとえばシャノンが「究極のマシン」と命名した代物は、彼の作るモノに深い意味があるのか、という問いへのふざけた答えのようにも思われた。それは本箱にスイッチが一つだけ付いた装置で、スイッチを押すと箱のフタが開き、機械式アームが出てきて下の方に伸び、スイッチを切ったらそのまま引っ込み、またフタが閉まるという仕掛けだった。
 1950年代のスピーチでは、自分は必ずしも自動式の機械そのものに興味があるわけではない、と強調しているようだ。機械が他の機械とどのように相互作用するか(たとえば電話交換システムのケース)、また機械が操作する人間とどのように相互作用するのか(チェスマシンのケース)に関心があるのだ、と。後者については心理学的な興味もあったようで、「ゲームをする機械を設計することを通じて、人間の脳が機能する仕組みを解明したい」と語っている。
(略)
[シャノンの機械の]プレーヤーは相手よりうまい手を打つだけでなく、相手を欺くことを求められた(相手をからかうゲームもあった。シャノンが作ったあるゲームでは、相手が何か手を打つたびに、コンピュータが皮肉なコメントをするようになっていた)。シャノンが作ったゲームは無防備なプレーヤーが必ず負ける――すなわちゲームの作り手であるシャノンが必ず勝つ――ようにできていた。
 友人のデビッド・スレピアンは、シャノンが創ったあるコンピュータ・ゲームを覚えている。そこには二つの大きな特徴があった。まずコンピュータは次の手の計算に、異常なほど長い時間(それも毎回時間の長さを変えて)をかけた。対戦相手である人間に、完璧な戦略を立てていると思わせるための演出だ。次の特徴はゲーム盤のデザインにあった。コンピュータのほうがコマを動かせるマスの数が多くなっているのに、緻密な数学的計算によって相手にそれを悟らせないようにできていたのだ。
 「コンピュータと向き合ってゲームをしている人間には、ゲーム盤の片側が反対側より小さいことがわからなかった」とスレピアンは語る。彼もシャノンのコンピュータと何度も対戦したが、一度も勝てなかった。実際、勝てた者は一人もいなかった。この事実はシャノンの興味を引いただけでなく、大いに満足させたようだ。「シャノンの頭の良さを説明するには『その気になれば世界一の詐欺師にもなれた』というのがぴったりだ」

一輪車とジャグリング


彼は「動き」に惹かれた。
 ある年、ベティから一輪車を贈られると、シャノンは早速乗りはじめた。それから自作しはじめた。実際に人間が乗れる一輪車でどれだけ小さなものを作れるか挑戦しようと考えたのだ。
(略)
[子供が喜んだのでジャグリングも始める]
 ほっそりして、敏捷でハンサムだが、常に心ここにあらずといった様子。めったに時間どおりに出社せず、出社したかと思えばたいていは一日中チェスをしたり、おもしろい機械をいじったりしている。しょっちゅう廊下でジャグリングやホッピングをし、他の人間が自分や自分の〈研究〉をどう思おうとまるで気にしない――。1955年頃のシャノンを描写すると、こんな具合になるだろう。彼は自分がおもしろいと思ったことだけをした。科学者とみなされていたが、その気質や感情には明らかに芸術家的なところがあるようだった。