ワンクリック―Amazonの隆盛

前日のつづき。

システムの試験

 発注システムのバグをつぶし、正しく機能する状態にもってゆくため、システムの試験をしたいとベゾスは考えた。そのためには、本を1冊ずつ注文したい。しかし、取次は10冊以上でなければ注文を受けてくれない。ベゾスがのちにスピーチで言ったところによれば、1冊とするかわりに割増しを払うと交渉したが、取次は首を縦に振らなかったらしい。そうこうするうちに、在庫の少ない本が注文に含まれていた場合、取次は在庫としてある分だけを出荷し、出荷した分だけ請求してくることにベゾスは気づく。(略)
買いたいと思う本1冊と[在庫切れが確実な]苔癬本9冊という形で注文をくり返し、試験をおこなった。
 「買おうとした本と一緒に、注文された苔癬本9冊をお届けできなくてすみませんという謝罪が届くのです。この方法でシステムの試験は滞りなく進みました。

見切り発車、ローコスト運営

[サイト立ち上げ三日後]ヤフーのおすすめページで紹介されると本の注文が急増する。1週間で1万2000ドル分以上もの注文が殺到した。処理しきれないほどの量だ。この週にアマゾンが出荷できたのは、わずかに846ドル分だった。翌週も1万5000ドル分近い注文が来たが、出荷は7000ドル強にとどまった。
 実は、公開された時点でサイトはまだ仕上がっていなかった。ベゾスとしては、市場に早く提供して競争相手に先行することが大事で、サイトは利用者が増えるにつれて問題を解決したり改善したりしてゆけばいいと考えていたからだ。公開後に見つかった問題としては、たとえば、注文する本の冊数を入力するボックスが負の数を受け付けるようになっていたことがある。これにはベゾスもびっくりしたらしい。
(略)
 もうひとつの問題は、取次から届いた本の梱包や出荷を担当する人をベゾスが雇っていなかったこと。そのため、立ち上げ直後の何週間か、社員全員が夜中の2時、3時まで梱包、宛名の準備、出荷に追われるはめになった。
 梱包作業用のテーブルも用意されていなかったため、梱包作業はコンクリートの床でおこなうしかなかった。何時間もひざまずいて本の梱包作業をしなければならなかったので、おもわず、「ひざ当てがいるなあ」と隣にいた社員につぶやいてしまったと[ベゾス]
(略)
ラブジョイからは、それよりテーブルを買ってくれと当たり前の要望が出た。
 「いや〜、人生最高の名案だと思いましたね」
 感動したベゾスは、ホーム・センター大手のホーム・デポに行くと、テーブルをいくつか買い込んだそうだ。
 アマゾンは徹底したローコスト運営だった。印刷やコピーは、すべて、1〜2ブロック離れたところにあるプリントマートでおこなう。打ち合わせは近くのカフェだ――皮肉なことに大手書店チェーン、バーンズ&ノーブルの店内のカフェを使っていた。事務用品は社員が自腹で買い、月末にまとめて清算した。顧客からの質問やコメント、苦情の電子メールには、ベゾスを含む全員があたった。

推進力は巨大倉庫

 アマゾンの成功を大きく後押ししたのは、当初、持たないようにしようとベゾスが考えていたものだった――本の流通に使う巨大な倉庫である。
(略)
[取扱量が増え、思いきって方向転換]
 1997年9月、ベゾスは、シアトルの倉庫を70%拡張するとともにデラウェア州ニューキャッスルに物流センターを新設すると発表。倉庫容量の拡大により、アマゾンが在庫として持てる本は30万冊とそれまでの6倍に増加する。(略)この倉庫増強で、新品が売られている本なら、注文を受けた日に95%を出荷できるだけの在庫を持てるようになった。また、取次からではなく出版社から直接本を配送してもらう中抜きも可能になった。ベゾスは本の在庫と流通というプロセスも掌握しようとしていたのだ。
[取次分野を侵食するアマゾンに対抗し大手書籍卸イングラムは、こちらも顧客に直送だとオンライン書店を立ち上げるも失敗。そこでバーンズ&ノーブルを買収しようとしたが、独立系書店の反対、独禁法違反の可能性などで断念]

ベストな場所であるために

[音楽CDに続き、DVD販売に備えるためにインターネット・ムービー・データベース(IMDb)を買収]
 これと並行して1998年7月、ベゾスはさらに何社かを買収し、物品販売以外にも乗り出す。買収企業のひとつがプラネットオール社――アドレス帳とカレンダーをインターネットで提供する会社である。このカレンダーからは、予定を忘れないよう、自分宛に電子メールでリマインダーを送ることもできる。いまならありふれた機能だが、当時は珍しかった――そして、これはすごいとベゾスは見抜いたのだ。
 「(略)知り合いと連絡を取るというとても基本的で大事なことがすごく簡単になるのです(略)」
もうひとつ買収した企業が、価格比較のサイト、ジャングリーである。
(略)
 この買収でベゾスは、販売そのものよりもすばらしいサービスの提供が大事だと示したことになる。
 「商品のすべてを我々が売らなければならないわけではありません。ウェブのどこかで売られているモノを消費者が見つけるお手伝いができればいいのです」
 グーグル登場前のこの時代、自サイトからほかに人々を流すことが世間的評価を高める優れた方策だと考える人はまだほとんどいなかった。
 ベゾスには裏の動機もあった。これらのプログラムはその後zShopsに一本化され、最終的にはアマゾンマーケットプレイスとして、業者でも個人でもさまざまな商品をアマゾンを通じて販売できる場になる(マーケットプレイスについては売上の5%から25%がアマゾンの取り分である)。
(略)
 これはばかげていると社外の人間は――アマゾン社内も一部は――考えた。アマゾンと同じ商品を他社がアマゾンを通じて販売できるようにするなどありえないと。しかし、アマゾンよりも手間が多少はかかるかもしれないが、消費者はインターネット経由で欲しいモノを見つけてしまう――そうベゾスは考えた。そういう他社にもアマゾン経由で販売させれば、アマゾンは、製品を見つけるベストな場所であり続けられる。

キンドル無償化

[キンドル価格推移をグラフ化すると2011年後半にはゼロになることを2010年8月ベゾスに尋ねると]
「あ、気づいたんですね」
 と言うと、あとはにこにこ笑っているだけだった。
 キンドル無償化を可能にするビジネスモデルがあることに気づいたのが、テッククランチのマイケル・アーリントンである。アーリントンによると、アマゾンは、2010年1月、「キンドル購入後、気に入らなければ全額を払い戻す。購入したキンドルはそのまま使ってもらっていい」というオファーを一部顧客に示したという。これは、キンドル無償化の経済性を確かめる実験なのだとアーリントンは考えている。「信頼できる人物の言葉」として、Amazonプライム会員に無償でキンドルを配布することをベゾスは考えているとも記されていた。