呉智英の吉本隆明批判本が雑すぎ!

kingfish.hatenablog.com
上記の続き。
呉智英吉本隆明小林秀雄花田清輝が難解文で自分達をエラソーにみせてる奴等であると雑に論じている件を検証。
一応予備知識としてこちらを(→kingfish.hatenablog.com)先に読んでいただくと、呉のいい加減さがよくわかると思います。

吉本隆明という「共同幻想」

吉本隆明という「共同幻想」

36〜37ページ。問題の部分をデカ字にした。

小林秀雄(一九〇二〜一九八三)は、その名を冠した文学賞が設立されているほど著名な評論家であり、吉本隆明も二〇〇三年に小林秀雄賞を受賞している。
(略)
 私とは違い、吉本隆明は、自分の親の世代に近い小林秀雄をかなり高く評価している。(略)


[「小林秀雄――その方法」から呉が引用した文]
 第二次大戦をくぐりぬけた文学者のうち思想的な負債の概して少なかった文学者に指を屈するとすれば、だいいちに、小林秀雄をあげなければならないとおもう。


 その数行後には「わたしは、戦争中、小林秀雄の熱心な読者であった」とも書いている。
(略)
吉本は、戦中、戦後を通して小林の愛読者であり、ずっと後の『文芸別冊・吉本隆明特集号』(二〇〇四)のインタビューでも小林に言及している。

なんだかたまらなくいやになる文章である。さりげなくまとめているようで、その裏に悪意が満ち満ちているのがたまらなく不快だ。吉本隆明について何も知らない人間が読めば、吉本は小林信者だか弟子筋みたいな奴なんだなと思っても仕方のない、毎度の見事なw印象操作である。
こちら(kingfish.hatenablog.com)を読めば、小林信者だった吉本が批判的なスタンスに変わり、小林の死後、そして吉本自身の老いとともに、穏やかに小林への憧憬を語るようになっていったことがわかると思う。それを呉が知らないわけはない(知らなかったら、1946年生まれの知識人として常識がないだろう。いやたとえ知らなかったとしても批判本を出すなら全集くらいは読んでいるだろう、それでわからなければ、バカなのだ)、知っていてワザとこのように書いているのだ。
右のブログ記事(→「https://d.hatena.ne.jp/i-otodoke/20120418」)に吉本の小林追悼文と文壇外の吉本がなかなか追悼文を書かせてもらえない当時の情況が書かれている。この空気を呉が知らないはずはないのだ、以下繰り返しw。
79歳の吉本がどのような気持ちで小林秀雄賞を受賞したか、「元気な頃なら、冗談じゃないぜと断るとこだけど、今更偏屈になる齢でもないし、香典代わりにもらっとくか」というのが妥当なところじゃなかろうか。
さあそしてデカ字にした部分である。
呉は「小林秀雄の方法」(「小林秀雄――その方法」)から吉本が小林のファンだと書いている部分だけを引用している。しかし、その同じ文章の中で吉本は

美術論にはいっていった小林に、もうついてゆくことができなかったのである。すべてじぶんじしんで解かなければならないと思いきめた。以後、わたしは断片的にか、または戦争期の回想としてしか、小林秀雄を念頭においたことはない。

戦後十五年のあいだに小林秀雄があるいた道と、じぶんがまがりなりにもふみこんだ道との距たりが批判として浮き彫りされてきた

と書いているのである。なのに呉はそこは毎度の見事なw印象操作のためにサクっとスルーして「吉本は、戦中、戦後を通して小林の愛読者であり」なんて書くのだ。そして1978年の「『本居宣長』を読む」で吉本が小林を批判していることもスルーして、いきなり「2004年のインタビューで小林に言及している」とくる。吉本は80歳、小林は20年以上前に死んでいる、小林さんの文章の密度はすごいよと語ったから、なんだというのだね。小林に敬意を抱きつつ、ちゃんと批判もしたし、晩年になって若い頃の憧れを語っているだけだろうに、死後にデタラメな批判本書いてる誰かとはちがうのだよw。吉本は小林の批判的継承者と言うんじゃないんすか、「客観的」wに言ったら。
さてこのようにセコイやり方で読者に吉本は小林信者という印象を植え付けた呉がどうするか。なんと4ページにわたり、小林は難解文で煙に巻いて「よくわからんが、すごい」と読者を感心させてきたという話を展開し、吉本も同じ手口でイエスをフランス語読みにしたりetcで(←この件についてはこちらをお読み下さい kingfish.hatenablog.com)エラソーにみせているのだ

そういう難解な吉本隆明を「よくわからんが、とにかくすごい」と感心してきたのは、作者と読者の「共同幻想」だった。私はそう思う。

とかなんとか自分では気のきいているつもりらしい、アホ丸出しのまとめにたどりつく。
なんなんだ、これは!小林と吉本の文章を比較分析してここに共通点があるとやったりしての結論ならまだわかるが、「吉本は小林ファンだ」→「小林は難解ドーダの人だ」→「つうことは吉本も同様!」という中ニ以下の論理展開。じゃあなにかね、マルクス資本論で「自分は偉大な思想家(ヘーゲル)の弟子である」と書いてる、ヘーゲルは体制擁護派だ、つうことでマルクスも同様だ!なんて主張する奴がいるかね、いたらバカにされるぞ。というわけでいまオレは呉をハゲしくバカにしている。
さらにここから7ページにわたり吉本と花田清輝の論争話をマクラにして花田の難解文話を延々始める呉、もうここまでくるとアッパレ、吉本の文章と比較分析するわけでもなく、200ページ程の本の中で論戦した相手の文章について延々語る呉、何がしたいのだ、何になるの、ページの無駄遣いだよ、吉本とは何の関係もない小林と花田の文章話で全体の1/20消費、何もしない、何もできない呉はいきなりこうまとめる

 そんなふうに成立している知識人世界って、おお、これこそ、人間関係の絶対性ではないか。吉本隆明はこのことを言っていたのか。たぶん違うと思うので、知識人については、章を改めて詳しく論じることにする。

と気が咎めるのかひとりつっこみをみせる呉、ようやく第一章終了。
凄いですね「論争相手が衒学的だから吉本も同様だ!」ですよ、なんか悲しくなってきた。第二章以降も検証していきますが、確認のために吉本を読み返しているとなかなか時間がかかるのであります。第一あまり楽しい作業じゃないのよね、呉智英をけなすのって。
なお呉智英の他意のない文章にお前は因縁つけてるだけだと言われる方がいるかもしれませんが、さりげない印象操作が全編に渡って駆使されているから悪意があると認定しておりますと断っておくw。
残り170ページ、三月中には済ませたいw。
[追記]
第三弾はこちら↓。
https://kingfish.hatenablog.com/entry/20130419kingfish.hatenablog.com


どうしても吉本を難解文でドーダの人だと言いたい呉のために、高橋源一郎橋本治の本の解説で披露した吉本と橋本の共通点という文章を引用しておく。

橋本治『完本 チャンバラ時代劇講座』を読む」

(1)“青くさい”インテリは嫌だ(でもインテリは“青くさく”なっちゃう)。
(2)「私は」「うっかり」「ほんとうのことを言ってしまう」のでこわい (でも言わなきゃいけない時だってある。だって、いつまでも馬鹿のふりはできないもん)。
(3)目の前にあるものを、全部「自前の」論理で解体する(他の「えらい」人を「私の」スタイルでしゃべらせる(略)。
(4)「健康な」「大衆」の味方をする(ということは「見方をする」ということでもあります)。
(5)でも「健康な」「大衆」って現実にはなかなかいないので怒る。あるいは悲しむ。
(6)(1)〜(5)から必然的に「私」の文体は孤独なものになる。
(7)(3)、(4)からは必然的に口語体になる。
(8)論理的で、孤独で、しかも孤独でぶつぶつ言ってばかりいると気が変になるから相手に話しかけなくちゃならず((7)に重なりますね)、かと言って相手が(5)の状態ですから、どうしても長くなる(なかなか返事してくれないから)。
(9)でも(2)の自信もあるから長い長い(8)の叙述をしているうちに、深い喜びと確信のうちに大団円をむかえる(そのことをあと書き、もしくは前書きで思わず告白してしまう)。
(10)ほんとに言葉なんかいやらしい(特に実体を欠いた言葉は)。でもそういう言葉を使う自分も時々嫌になる。けれど、言葉を使わなくちゃしゃべれない。
(略)
(1)から(10)までを兼ね備えたもの書きは橋本治以外にはひとりしか思いつけません。たぶん橋本治は嫌がるでしょうが、その人というのは吉本隆明なのです。
(略)
(7)だけは橋本・吉本でちがうのですが、これがまた両者のこだわりが極端な形で正反対にでているだけで(略)
[橋本が相手にこんこんと説明する口語体つまり人生相談体で]
一方吉本隆明はそういう「呼びかけ」を厳格に禁じていて、それが逆に異常なほど大量の講演という形で現れます。何しろ、直接聴衆の中におりていって、喧嘩することさえ辞さないんですから)、読者へ語りかけることがこれほどメイン・テーマになってる作家はどこにもいないのです。
(略)
(2)また元へ戻っちゃうけど、このタイトルを内容に沿ってつけると「大衆の現在」とか「素人の時代」とかになっちゃうと思います(どちらももちろん吉本氏の御本のタイトルです)。でも絶対そういうタイトルを橋本治はつけません。男の意地ですね。(略)