ネルソン・マンデラ 私自身との対話

マンデラの手紙やインタビューを収録。 

ネルソン・マンデラ 私自身との対話

ネルソン・マンデラ 私自身との対話

 

 政治的行動に過ちはつきものである

過ちを起こさないですむのは、政治家気取りの評論家だけだ。政治的行動に過ちはつきものである。政治闘争の真っ只中で、現実的な緊急の問題に取り組んでいる人間には、熟考する時間などほとんどないし、導いてくれる先例は皆無だ。だから、何度でも間違うことになる。しかし、時が来れば、そして融通性があり、自分の仕事を批判的に吟味する心づもりがあれば、よくある落とし穴を避け、様々な出来事がまわりで鼓動する中、前に進むべき道を見つけるのに必要な経験と洞察力が身につくだろう。

69年の妻への手紙

情熱のない人間、国に対して誇りを持っていない人間、達成したい理想を持たない人間は、屈辱や敗北に苦しむことがありません。(略)
新しい世界を勝ち取るのは腕組みして傍観する者ではなく、闘技場に立ち、嵐に服をずたずたにされ、闘いの過程で重傷を負った者なのです。暗澹たるときでも真実を見限ることなく、あきらめることなく何度も試み、愚弄されても、屈辱を受けても、敗北を喫してもくじけない人に、栄誉は与えられます。歴史の曙から、人類は勇敢で正直な男女を称え、尊敬してきました。それはいとしい人よ、まさにあなたのような人間です。地図にはめったに載っていない村出身の、ごく普通の女性。百姓の目からしてもこの上なく粗末な、掘っ建て小屋の妻。

81年の妻への手紙

 今でもよく夢を見ます。楽しい夢、そうでない夢。聖金曜日の前夜に、私とあなたは深い谷を見下ろす丘の上の小屋にいました。谷では大きな川が、森の端を走っていました。あなたが丘を下って行くのが見えました。いつもより背中を丸めて、いつもより頼りなげな足取りで。2、3歩先にある、何かを探しているかのように、頭を垂れたまま。あなたは川を渡り、私の愛をすべて持ち去りました。残された私は幾分空しく感じ、落ち着きませんでした。あなたが森の川岸近くをあてどもなく歩くのを、私はじっと見ていました。あなたのすぐ上には、あなたの姿とはまったく対照的な男女がいました。明らかに恋愛中で、お互いのことしか目に入っていませんでした。宇宙全体がその場にあるかのようでした。

[実にエエ話だけど、釈放されて27年ぶりに一緒に住めることになったらベッドを共にしてもらえず離婚、うむう]
『自由への長い道』でのモロカ批判について聞かれ

このような伝記の中で、礼にはずれた所見を述べたくない。(略)モロカ博士が傲慢だとか、人々を裏切ってきたとかいう点には触れたくないんだ。(略)
批判というのは、威厳を持ったものでなければならない。正しい事実関係を提示し、現実的で、正直で、そして同時に、ある種の枠組みを守らなければならない。僕たちは、国作りに携わる人間なのだから。

看守たちとの政治議論

看守たちとの政治議論はどのように始まったかと聞かれ

すべての看守が人でなしの、悪党だったという印象を作り出したくありません。(略)中にはとても善良な人がいて、私たちが受けていた扱いについて、断固として自分たちの見解を表明していました。
(略)
看守たちが私たちに質問をしてきたのです。私から看守と政治についての話を始めたことは、決してありませんでした。(略)質問したがっている人に応える方が、効果的なのですよ。(略)距離を保っておく方がよいのです。(略)
「(略)なぜ、罪もない人を攻撃したり、殺したりして、この国にひどい難儀をもたらすんだ?」と聞いてきたら、こう説明するチャンスなのです。「あなたは自分の国の歴史を知りませんね。イギリス人に抑圧されたとき、あなたは私たちとまったく同じことをしました。それが歴史の教訓なのです」。

執拗に権利を主張する

他の囚人の代理を務める許可をどのように得たかと聞かれ

執拗に権利を主張することによってです。当局は受け入れざるを得なかったんですよ。というのは闘う人間は敵にすら尊敬を受けるものだからです。とくに、知的に闘っている場合は。私はこういう風に言うのです。「これは確かに間違っています。どうするつもりですか。私が他の囚人の代理を務める権利があるかどうかにかかわらず、規則違反が行われたのですよ。どうするつもりですか。あなたは役人だ。対処しないといけないでしょう。あなたが自分で対処したくないのなら、本省に手紙を書く許可をください。本省が何もしてくれなかったら、法相に手紙を書きます。法相が何もしてくれなかったら、監獄省内で苦情を申し立てる手段を使い果たしてしまったわけですから、話を刑務所の外に持っていきます」。当局はそれを恐れたのです。私は執拗でした。

なぜ群集を扇動しないか

国民が知りたいのは、私たちがどのように振舞うか、どのように言いたいことを表現するか、なのです。冷静に話せば、交渉にあたって私たちがどのように重要事項に対処するかを、国民は知ることができます。大衆が望むのはしっかりした人間であり、信頼できる話し方で話す人間です。だから、扇動的な演説をしないのです。群衆を扇動することはしたくありません。私たちが何をしているのか、理解してもらいたいのです。聞く人の心に和解の精神を吹き込みたいのです。(略)若い頃はとても急進的で、大げさな言葉を使っていました。そして、誰とでも喧嘩していました。でも今は国民を導かなければなりません。だから、扇動的な演説は不適切なのです。