写真の秘密/ロジェ・グルニエ

写真がテーマのエッセイ集をチラ見。

写真の秘密

写真の秘密

「ロープウエーのなかで」

1914年、ペタン政権はユダヤ人を軍から追放した。わたしの連隊では、そのためにひとりの中尉が発狂して、兵舎の中庭で叫んだり、妙な身ぶりをし始めた。大変な苦労をして彼を押さえつけたのだが、その後、拘束衣を着せられて、精神病院に入院させられたと聞いた。(略)
[二年後、ロープウエーに乗ると]
例のあわれなユダヤ人が私服姿でいるのに、わたしは気づいたのだ。そこで挨拶を交わして、友人たちを紹介した。すると彼はアノラックからカメラを取り出して、われわれの写真を撮りまくり始めた。なんだか永遠に撮りやめないような気がした。われわれは、彼の力メラにはたぶんフィルムが入っていないのだと思った。

「罪の天使」

シルヴィー・ポールは、青みがかった灰色の瞳をしていなければ、ごくありふれた殺人犯であったにちがいない。だが、その悲しげな眼差しは、新聞の粗悪な写真をとおしてでさえ、読者の注意を引かずにはいなかった。
(略)
戦時中は強制収容所に送られ、崩壊したベルリンでは、自分に寄ってくるすべての男を魅了した。シルヴィー・ポールは、この瞳のせいで、犯罪を犯す前に、ジャン=ルイ・ボリーの小説『もろい女、あるいはタマゴの籠』に着想をもたらしたのだ。(略)
[編集長は]彼女が刑期を終えると、わたしに、彼女とコンタクトをとって回想録を買い取るように、必要があれば、それを書くようにと命じたのだった。1962年のことである。(略)
わたしは中庭にひとつだけぽつんとあるベンチに座ってひなたぼっこをしなから、新聞記者ならではの我慢強さでもって、じっと待ち続けた。すると、密使とおぼしき男が現れた。謎めいたところのあるこの人物は、もうしばらくお待ちくださいといった。その一時間後、一台の車がやってきて、小柄で、平凡な感じの女性を下ろした。それがシルヴィー・ポールだった。(略)
彼女はジャンヌ・ペロンの死のことを話し始めた。ごく些細なことも省くことなしに、この悪夢のような事件がゆっくりと展開されたのであるが、それが犯罪なのか、発作的な怒りによる行為なのか、事故なのか、わたしにはどう呼べばいいのかわからない。あたかも記憶なるものが、手で触れることのできない映画であるかのように、すべてが次々と浮かんでくるのだった 殴打、落下するジャンヌ・ペロン、狼狽、不可能な蘇生を期待しながら、死体が横たわる部屋に絶えず、行きつ戻りつすることなど。そして、地下室と、死者が閉じ込められた棺の話も。
 単調で、ややうつろで、ゆっくりしていて、尽きることのない声が、彼女の話に必然性を与えていた

その当時、ライカ社のオーナーのエルンスト・ライツ二世がユダヤ人を助けようとして尽力していたことなど、だれも知らなかった。ライツはユダヤ人を雇い入れると、しばらくして、首にライカをかけさせて、宣伝のためにアメリカ合衆国に送り出していた。そして彼の地に到着すると、彼らは、ニューヨーク支店に身元を引き受けてもらった。エルンスト・ライツは、ナチスのことを「褐色のサル」と呼び、彼らが権力を握るとすぐに、この救出作戦を始めていたが、開戦によって国境が封鎖されてしまい、作戦は中止のやむなきに至った。