パブリック/ジェフ・ジャービス

前日のつづき。
今日も本題から外れたところを引用。
最後の「武闘派シリーウォーク?」動画も見てね。

プライベートとパブリック

16世紀と17世紀において、「パブリック」は国家を指し、国家は王を指した。(略)公的な地位にある男性だけが、公人(パブリック)だった。アメリカ人はよく混乱するが、アメリカで「プライベートスクール」と呼ばれる特権階級のための学校が、イギリスでは「パブリックスクール」と呼ばれるのはそのためだ。つまりパブリックスクールは公人の子弟のためのものだった。また、軍隊で「一兵卒、つまり階級をもたない兵士」を「プライベート」と呼ぶ理由もそこにある
(略)
パトリシア・メイヤー・スパックスは、『プライバシー――18世紀の人間を隠す』でこう説明する。「プライバシーという言葉は、ラテン語の『奪われた』という言葉が起源です。みんながするような仕事に恵まれない、つまり人間の完全で適切な機能を『奪われた』という意味でした」

Privacy: Concealing the Eighteenth-Century Self

Privacy: Concealing the Eighteenth-Century Self

 

世論産業

ジェイムズ・ケアリーにとって、「世論産業」は悪だった。世論調査とは「真の世論が形成されるのを防ぐために世論のふりをしようとするもの」に他ならなかった。世論調査は、僕らの意見を、操作するべき数字へと貶め、会話のニュアンスや複雑さを僕らから奪った。ケアリーは「会話の文化から断絶された報道機関は、市民生活や、まともな政治への脅威になりかねない」と言った。(略)
ジャーナリストは、自分たちをパブリックの上位におき、パブリックから離れることで、報道の対象である政治家や奉仕の対象である市民よりも、自分たちが客観的で、中立的で純粋だと思い込むようになった。

ニューメディアへの敵意

Media at War: Radio's Challenge to the Newspapers, 1924-1939

Media at War: Radio's Challenge to the Newspapers, 1924-1939

 

ラジオの初期には、新聞は好奇心からこのメディアに注目し、これを取り上げた。しかし、しばらくすると彼らもラジオが厄介なものだと気づいたのだった。「若者たちの地下室での暇つぶしだったものが、頼れるメディアになりつつあった」とグウィネス・L・ジャッカウェイは書いている。出版人たちは、ラジオの報道部門は記者や編集者の数が少なく、出版ほど高い報道の水準を保てないと文句をつけた。ラジオが自分たちの売上を食っていると愚痴った。ラジオが彼らの著作権を侵害していると責めた。テレビが新聞を脅かすようになると、同じ話が繰り返された。編集者はテレビレポーターを「寄生虫」と呼び、ホワイトハウスの報道室から締め出そうとした。1980年代に、電話会社がコンテンツビジネス、つまり電話回線をとおして情報サービスを提供する、ウェブの前身となるビジネスに参入すると、新聞は電話会社を責め立てた。今また同じパターンが繰り返されている。古いメディアの巨人はニューメディアを批判し、ブロガーは業界と同じ水準を守れない独断的な素人だと切り捨てた。彼らもまた、エラスムスのように、自分たちの忠実な読者が豊富なコンテンツに惑わされることを恐れている。

ティーパーティ

ティーパーティ>は、新しいツールを使ってパブリックを組織するムーブメントと見られがちだが、それは大切なポイントを見落としている。それはどちらかといえばラジオのトーク番組とFOXニュースの力によってつくられたものだ。結局、ソーシャルメディアではなくマスメディアの落とし子なのだ。

  • オモシロ動画

年末にCNNで流れてたインド・パキスタン国境でのメンチの切り合い。