原発社会からの離脱

チラ読み。
対談本だけど、以下の引用は全て、飯田哲也の発言。

暴走

民主党に交代した直後はよかった。マニフェスト原子力推進ではなかった。そのあと、経産省のなかの原発族と、民主党のなかのエネルギー族という「岩盤」が、民主党のエネルギー政策を完全に食い破って、暴走しはじめた、というのが大きな理由です。それで原子力輸出に一気に突っ走った。上関原発が新規立地のシンボルとなって浮かび上がっているところに、経産省は「原子力立国計画」という、ほとんど妄想のような計画を立てていましたから(略)
民社党は、自民党原子力政策よりもはるかに突出した、非現実的なビジョンを掲げていた。その人たちが民主党の経済産業部会やエネルギー部会を支配していた。だから経済産業大臣直嶋正行さんであり、その後も大畠章宏さんと、旧民社党です。
経済産業省がなぜここまで非合理的な志向だったかというと、じつは省内には合理的な人も少なくないのですが、2000年の電力自由化論争のときに、合理化の陣営が半分パージされて、そのあと2006年の六ヶ所再処理工場が争点となったときに、残りがパージされたわけですよ。それで、電力会社に近く、技術官僚的な「原子力とにかく推進派」が残った。

六ヶ所再処理工場推進の内情

勝俣恒久東京電力社長(当時)は、じつは六ヶ所再処理工場を止めたかったのです。その話を東電企画部が経産省に交渉に行ったときに、当時の人材配置の巡り合わせの悪さがあったのです。当時の事務次官であった村田成二は経済合理派で、六ヶ所再処理工場を当時止めようとした。それでも国策を自ら変えるわけにはいかないから、建て前は「推進」を装うわけです。経産省のキャリアは村田さんの指示でブレーキを踏む方向で動いたけれども、唯一原子力政策課長はアクセルを踏む側だったのです。部下のキャリアの人たちはみんな建て前では推進だけど、裏では止めるように動いた。その状況で、東電企画部が経産省に「六ヶ所をなんとかしたい、このままでは東電の経営が危ない」と相談したところ、原子力政策課長が全部撥ねつけて、退路を断ってしまったのです。(略)いまの武藤栄副社長をはじめとする東電の原子力ムラも「中止させない」と企画部を羽交い絞めにしたふしがあります。(略)
それで企画部も再処理ゴーサインに従った。その代わり、国はなんとか面倒を見ろ、ということで、毎年5000億円の「再処理等積立金」を約束させた。

血みどろの抗争

[日下エネルギー庁長官が「再処理と直接処分の経済性比較は未検討」と国会答弁したが]
実は日下さんの後ろのキャビネットには、直接処分のほうが安くつく報告書があったのです。明らかに虚偽答弁です。のちに、その報告書がメディアに流れ、新聞一面で「秘密文書あった」「虚偽答弁だ」「直接処分のほうが安い」と大々的に報道されました。これで勝負がついたと思ったのです。
それで原子カムラの人びとが危機感をもって反撃に出て、「虚偽答弁をせざるを得なくなった書類管理体制が問題だ」と建て前を掲げつつ、実は原子力政策課に対して査問会をすることになります。(略)「誰が書類を流したんだ?」と犯人捜しをした。
再処理を推し進めた原子力政策課長が飛ばされて一ヵ月後、今度はその意趣返しで改革派の部下全員一人残らず異動になる。
血みどろの争いでした。
再処理推進派の新課長が新たに来て、原子力委員会のもとに設置された策定会議も、極端な「再処理推進派」の委員ばかりになって、その審議会を立ち上げたところで勝負があった。

推進派の論理は、こうです。

「再処理と直接処分だけをそれだけで比較すると直接処分のほうが安い。しかし直接処理しようとすると、いま再処理用に保管している使用済み燃料で糞詰まってしまうから、原発がとまってしまう。原発が止まると、石炭火力発電所を建設しなくてはならない。そのコストを含めると、再処理のほうが安い」
こんなありえない屁理屈で再処理推進に踏み切ったのです。
今やその再処理が止まっているから、まさに六ヶ所村の3000トンプールは満杯です。そのために福島第一原子力発電所の四号炉には、使用済み燃料がプールにいっぱいに入っている状況で、燃料が溶融したわけです。彼らが屁理屈を捏ねた結果、こうした現実になった。