戦前日本の「グローバリズム」

 

「王道楽土」の理想と現実

第二に、満州国は対外経済依存度が高かった。(略)[自給自足をめざし]関東軍は「不当なる資本」を排撃し、「財閥入るべからず」と言い放った。
 ところが実際には、満州国の経済開発には巨額の資本が必要だった。石炭や鉄鉱石は、大陸のそこら辺にころがっていたのではない。長期的な投資による経済開発なしには、国防資源を手に入れることはできなかった。財閥系企業は、入るなといわれなくても、二の足を踏んだ。投資リスクが高すぎたからである。
 関東軍は苛立った。「企業資本家というものは非常に卑怯だ」。財閥が無理ならば、新興の産業資本家でもかまわない。関東軍日産コンツェルン鮎川義介に接近する。
 鮎川が資本を出したのではない。出せるはずもなかった。鮎川は満州国に対してアメリカの資本を導入するための仲介役である。(略)
 石原莞爾は言う。「世界の大勢は世界文化統一の為日米間の最後的決勝戦の近迫しつつあるを示す。我満蒙経略は此の決勝戦の第一歩に外ならず」。ところが対米最終戦争の戦略的拠点は、アメリカに経済的に依存しなくては立ち行かなかった。

チェコスロヴァキアと日本

 国際連盟外交の難関が「小国」にあることは明らかだった。ジュネーヴの日本代表部は手を打つ。日本側が期待したのは、「小国」のなかでもチェコスロヴァキアの外交力だった。
 チェコスロヴァキアと日本との関係は、チェコの建国期にさかのぼる。
[日本を経由してアメリカに亡命した独立運動家マサリクが初代大統領に](略)
 両国の外交関係は国際連盟を舞台に緊密になる。とくに1923年にチェコ非常任理事国の地位に就いたことは、大きな契機となったはずだろう。(略)
 国際連盟において、チェコなどの「小国」が日本に期待したのは、少数民族問題の解決だった。欧州大戦後、東・中欧では民族自決原則に基づいて、つぎつぎと独立国家が生まれた。(略)欧州以外の「大国」の日本は、個別利害にとらわれることなく、公平で客観的な第三者の立場から解決策を提示することができたからである。「小国」は日本を評価するようになる。

松岡洋右の訴え

国際連盟ジュネーヴの総会議場から退場した松岡洋右は、帰国後、ラジオをとおして国民に直接、訴えた。「私は徒らに彼等の認識不足を叫ぶことは出来ない。そういうことをいつまでもいっている人は、自分がヨーロッパの特殊事情の認識を欠いているのであります」。脱退の「立役者」として英雄となったはずの松岡が国民に求めたのは、欧州の複雑な事情に対する理解だった。(略)危機的な状況のなかで、「小国」にとって国際連盟は自国の安全保障の「生命線」である。「小国」を非難するのは当たらない。(略)これは松岡の個人的な考えではない。外務省の基本的な立場と同じである。(略)「今次聯盟の大勢を作れる小国側の態度は格別日本を憎悪し、支那を愛好すと云うに非ず」

ドイツとのちがいもはっきりする。ドイツは国際連盟と同時に軍縮会議からも脱退した。日本は留まった。その他の国際連盟に関連する国際会議にも日本は参加し続ける。(略)
[諸外国との関係修復明らかにした外相]広田弘毅の議会演説は国内外から好感をもって迎えられる。(略)欧米諸国のなかでは、とくにアメリカの新聞論調が広田演説に対して肯定的な評価を与えた。(略)
ジュネーヴ総領事・国際会議帝国事務局次長として国際連盟脱退通告後も現地にとどまった横山正幸(略)が国際連盟有用論を唱える背景には、ジュネーヴの空気の変化があった。横山によれば、国際連盟側では「機会があれば日本に帰って来て貰いたいと思って居る人が少なくない」という。

鳩山一郎

日本のナチスドイツへの評価は芳しくなかったが、政権奪取数年後に変化

鳩山一郎ヒトラーのドイツに傾斜する。「ヒットラーも民族のコーポレイションに努めている、僕はヒットラーがやったことで一番いいと思うのは強制労働だと思う、強制労働というのは、貧乏人も富んだものも、ある年齢に達したならば、兵役義務につかせると同じように一年か二年の強制労働をさせるのだ。それでお互の生活を知り合うのだネ、道路をつくるとか、山野を開墾して田畑にするとか、何十万という青年子女を従事させる、そして、その間に共同奉仕の信念が養われる、この共同奉仕の信念を養うために強制労働をやったことは、ヒットラーが非常にいいところに目をつけたものだ」。
 鳩山が感心したのはこれだけではない。「犯罪者または肺患者には強制的に子孫をふやさぬようにしている」。鳩山は「新興ドイツは実によく庶政一新をやっていますネ、今のようだったらドイツは十年なり二十年の後には非常によくなると思う」と言った。
 なかでも鳩山が注目したのは教育だった。「大戦中に生育した二十五歳前後の女子供はとても仕様がないそうだ、化粧品を沢山使うとか、タバコをのむとか、だらしないとか、兎に角素質が悪い、それで二十歳以下のものにヒットラーは目をつけて、新教育によって祖国を再建しようと努力している」。鳩山にとってこの点でヒトラーのドイツは模範だった。日本も「小学校教育を改善して」、「皆なが子供や教師のために助力するというようにしたらいいと思う」。鳩山はヒトラーのドイツに新しい生活様式を見出した。「皆が真、善、美でありたい」。(略)
評価の修正は、政友会だけでなく、民政党もおこなう。