大塚英志「大学論」

先に書いておくとトータル「大塚キモイ」という結論なので信者の皆さんは読まない方がいいと思います。

大学論──いかに教え、いかに学ぶか (講談社現代新書)

大学論──いかに教え、いかに学ぶか (講談社現代新書)

純文学がダメだというのは同意

「文壇」の文学がぼくにとって気持ち悪かったのは、彼らの小説の技術が彼らの吐き出したものをマッチポンプの如く肥大させていくものとしてある気がしたからだ(略)現在の「文学」はその多くが、そもそも「抑え難いもの」を土台にしていない。その点では普通の人々と変わらないのに、それを「ある」ように見せ(略)むりやり「抑え難いもの」を作家がつくっている
[そして本当に抑え難いものを抱えた人はサブカル方面に向かうと主張。]

自身が「まんが表現学科」教授を務める大学の「アート」系の生徒に向ける視線は

他専攻の学生を見ていて感心するのは彼らの「見せ方」における器用さである。写真を軽くCGで加工し、パネルに引き伸ばし、何か意味あり気なタイトルをつける。(略)[「見せ方」の技術を習得し]現代美術の用語やロジックで自分の作品を理論武装する術を覚える。何だかそれだけで「アート」に見えてくる。
(略)
ぼくの教える「まんがの学生」は、「自分が見られること」についての演出に消極的である。見られたい、見て欲しいのはまんがである。そこが明確な子が多いし、そういう子だけがぼくの許に残るのも確かだ。
 それに対し他の領域の特に「アート」系の学生は、「自分が見られたい」という感情の方が強い。その「見られたい」の中には自身のファッションも含まれる。そのための手段として「表現」があるという印象だ。

中身がないのに無理矢理ドロドロしてみせる「純文学」とカッコつけてるだけの「アート」系、それに比べて大塚センセイ方式は

 そもそもが18歳やそこらで明確に表現したいものの具体的な内実をもっていればまんがの領域に限らずその時点でプロとしてデビューできている。それがまだ不確かなものでしかないから彼らはここに来たのであり、しかし、彼らはそのことを自覚していない。(略)
 「描きたいもの」あるいはもっと明確にいえば彼らが物書きとして「描くべきもの」は彼らの内にいまだ埋まっている。
 それを掘り起こすこと、そして掘り起こしたそれを制御し、「表現」としてアウトプットすること、その二つを行うためには「方法」が必要だというのがぼくの考えだ。
(略)
 このようにして学生の描くという行為に強制的に「構造」を介入させることで、その「構造」はスコップのように彼らの内側を掘り起こしていく。あるいはナイフのように心を切り裂くことさえある。「構造」通りのプロットを作ることで彼らは自らの意に反したストーリーを作らされ、与えられたシナリオによって演出することで、書きたくない心理やカットを描かなくてはいけなくなる。そしてそれが何かを確実に掘り起こし、彼らを揺り動かしていく。「方法」のみを教えることが「描くべきもの」を逆に導き出すことが表現にはあるのだとぼくは思う。
(略)
 一年かけて手に入れた「方法」は、思いのほか切れ味が鋭い。彼ら彼女らの描こうとする「オリジナルの絵コンテ」は(略)それぞれが誰にも言わず秘めているはずの心の内側が読みとれてしまうものになっている。そういう絵コンテを彼らは無意識に描き、そして、身につけた「方法」を駆使してよりよい形に近づけようともがくことで、彼らは自分の内側をさらに深く深く掘り起こしていくことになる。

とまあ実に調子がいい。石森「龍神沼」を映画として撮影させたりする方法や、技術は描き始めて必要になったら覚えればいいという考え方はそれなりに正しいと思うけど、マッチポンプドロドロ「純文学」と大塚メソッド「内側」萌えまんが、どっちも同様にダメじゃ、「駄目なんですか?」、「4番じゃ駄目なんですか?タイガー 」。自著累計700万部というのがその主張の裏付けらしく、もう大塚笙野論争ループ。教えてる奴がこんなキモイ文章書いているようじゃロクなもんじゃないだろうというのが率直な気持ち。
以下、合作のための合宿、AO入試、ツトム死刑執行の日、その他を描いた箇所からキモイところをランダム引用。

自分の担当キャラの作画のつめが甘く、主役クラスのキャラクターから外され、担当替えを命じられてしまう。
 そのくやしさに、不甲斐なさに周囲をはばからず泣く。
 みんなのためにがんばって、こうしたことになるなんて理不尽だろうが、もともと力のある学生なのだから、自分のキャラで力尽きる方が悪い、と本人を突き放す。
 泣き止む。
 背景班でも同級生から、こんな構図もとれないのか、とついいらだって言われた学生が泣いて教室を出ていった、と聞こえてくる。

 突然、トーンの指示をしていた女子が立ち上がる。少し前から原稿を前に手が動かなくなっていた。(略)トイレに駆け込み、戻ってこない。仲のいい女子に見て来いと言う。目を真っ赤にして出てくる。再び原稿に向かうが涙がぼろぼろこぼれる。うまく描けなくてくやしいのが痛いほどわかる。
 研究室にとりあえず連れていく。せきを切ったように泣き出す。合宿組の女子が続々と後を追うように入ってきて泣く。皆、自分の不甲斐なさにくやしくて泣く。一通り女子たちが泣くだけ泣いて教室に戻ると、監督役の男子学生がやってきて突然倒れ込む。本当に立てない。

 一期生に対して行ったAOはアニメと映画と写真を見せて考えさせる、というもので(略)妙に頭でっかちの、つまり現代思想っぽくアニメでも論じてしまいそうな受験生はそれではねられるし、短い面接ではうまく話せない子たちの「ことばになりかけの手前のもの」に耳を傾けることもできる。何となく、この子を中心にクラスを運営するとうまくいくな、と思った受験生もいて

 黙々と他の受験生の作品の頁をめくる。頁をめくる手がとまり見入ったり、あるいは蒼ざめて打ちひしがれている子が幾人も眼に入る。ぼくたちはうなずく。うん、ちゃんと他人の作品を見てへこめるって大事だよね、と思う。そういう子がいつかしっかりと物を描けるようになる。(略)
 それぞれが、あ、あれ描いたのはあの子なんだ、と確かめる。作品を覚え、そしてその人に至る、というのはぼくたちの世界の正しい「他者」との出会い方だ。

そういうふうに人のカタチにちゃんと「萌え」て、それを表現したいと思う子は「こっちサイド」の人間である。

順にやってきて研究室で顔をこわばらせ、時に泣き出す学生たちは、「方法」という自分で手に入れたナイフを図らずも自分に向けてしまって混乱している、とぼくには感じられる。(略)
この「儀式」の後で大抵の学生が、すっとワンステップ上にいく。
 「まんが」らしい「まんが」がちゃんと描けるようになる。
 これが彼ら彼女らに訪れた「二年目の儀式」、いうなれば通過儀礼である。
(略)
そんな時、ああ、おまえたちはもう「こちら側」に来たんだな、とぼくはしみじみ思う。それは「まんが家になれる」という意味では必ずしもないが、しかし、その感覚は「こちら側」としか例えようがない。
 そういう場所が確かに世界にはあるのだ。
 そういう姿を見ているぼくはやはり少しだけ切なくなる。彼ら彼女らは自分たちの「子供の時間」が終わったことに多分、気づいていない。

そして、不意に、そうか、あの89年の夏の日にまだこの子らはこの世にさえいなかったのか、と思うと初めて過ぎていった日々を実感する。
 初めて書くことだが、ぼくたち夫婦には子供がいない。そういう人生を選択した理由の一つは、あの夏の日にある。宮崎勤の事件について流されるように発言し、国選弁護人とともに一審に関わるようになるなかで、この後、自分が子供を持つ人生を送ることは少なくともあの小さな四人の子供に対してだけは筋が通らない気がしたのだ。

うーん、キモイ。大塚尊師と号泣ヘッドギアってかんじ。切羽詰ると泣いちゃう手合いを集めて「青春てステキやん」とシンスケ気分のエイジの明日はどっちだ。