ミンガス/ミンガス

猫本に載ってた水洗トイレで用を足すようにする方法って、ミンガスが元祖だったのか。原文は下記にて。
https://www.mingusmingusmingus.com/Mingus/cat_training.html

チャールズ・ミンガスが推奨する猫のトイレのしつけ方』というパンフレットは、郵便番号10003、ニューヨーク州ニューヨーク市クーパー・ステイションの私書箱に1ドル郵送すれば手に入れることがてきた。

マッセイ・ホール

 ビジネス・マーケットの縁に追いやられ、多くのビバップ・ミュージシャンは、困窮し、幻滅し、麻薬に溺れ、若くして亡くなった。生き残った者たちは用心深くなり、刺々しくなった。たとえばマッセイ・ホールのセッションだ。このコンサートはバド・パウエルが精神病院から退院して間もなく行われた。チャーリー・パーカーが亡くなる二年前だ。ミュージシャンたちは個性をぶつけ合い、神経がささくれだっていた。時代を記録しておかなければならないという義務感に駆られたミンガスがそれをなだめ、なんとか実現にこぎつけたのだ。

ニカ男爵夫人の援助は

ミュージシャンのドラッグ使用を助長したにすぎなかったという話だ。「彼女はクラブ出演のために金を出すこともできたし、コンサートのために金を出すこともできた。彼女のやり方はおかしいよ。どこか間違っている。彼女なら、その気になれば、デューク・エリントンと同じようにバードを世間的な意味で尊敬される存在にさせることもできた」。

学校

 1963年初め、ミンガスは三番街と27丁目の角のロフトを借りた。かかってきた電話には、「こちらはミュージック・アート・アンド・ヘルスです。どちら様でしょうか?」と受け答えた。彼は芸術全般と心身の健康とを合体させた学校を立ち上げようと計画していた。「おれは牧師を知っているし、禅の先生も知っている。チャールズ・ライスという空手の教師もいる。ダンスと奇術を教えてくれるキャサリン・ダンハムもいる」。彼は入口の壁に“ジュース・バーとジュースの自動販売機”を取り付けようと思い巡らした。一番奥にはスタジオを作ろうと考えていた。(略)
 学校が開校していれば、ミンガスの人格のなかの母性的な側面はもっと表に出ていただろう。しかし消防法違反により、彼は床が完成しないうちにロフトから退去させられた。あとから彼に聞いたところによると、警官に賄賂を渡さなかったためらしい。彼は賄賂を払うほど機転が利かなかったのだ。

精神病院が

自分の精神的なトラブルを解決してくれるという素朴な考えに基づき、この時期、ミンガスはベルヴュー病院に身をゆだねた。“キャッチ22”状況さながら、彼はそこから出られなくなった。“人種:黒人、病名:偏執症”という診断が下され、入院患者の叫び声やロボトミー手術への恐怖に怯えながらも、彼はある種の能力を持つ患者(タップ・ダンサー、有名なチェスの棋士、彼自身)を集め、それそれの技術や才能を分かち合うためのプログラムを立ち上げようとした。黒板と部屋を用意してほしいという彼の要求は却下された。「何かを組織したいという強迫観念は偏執症の主要な特微のひとつなんです」と医者は言った。

エリントン

若いころ、彼は大喧嘩のすえ、せっかく手に入れたデューク・エリントン・バンドのベース奏者という憧れの仕事を辞めてしまった。楽屋で起こった人種に関する口論がもとで、トロンボーン奏者兼アレンジャーのファン・ティゾール[と大喧嘩](略)先任メンバーはティゾールだったので、エリントンはミンガスを説得してバンドを辞めてもらった(エリントンはけっしてメンバーをクビにしなかった)。ミンガスが尊敬してやまなかったエリントンは争いごとを好まない性格だった。ミンガスはあるとき、ため息をつきながら「彼はいつも心地いいバンドにしようと心がけていた」とわたしに語ったことがある。

ミンガスのビート論

彼はリズムに対するアプローチについて、次のように語った。「ビートから離れ、ドラムスとは異なった音、異なった響きで、核心に触れることを目指しながら絵を描く。それを続ければ核心が立ち現れ、開かれた心の持ち主ならそれを聴き取ることができる……ど真ん中に留まろうとしたり、ビートに即してやろうとしたりすれば、サウンドは硬直したビートになってしまう」。

ある晩遅く、

わたしはナインス・サークルで彼にばったり会った。25年前のことだ。彼は銀行員風の茶色いスーツにベストという格好で、年代もののワインを飲んでいた。店を閉める時間になり、ミンガスはわたしを家まで送っていくけど、クロークに寄らなきゃいけないから待っていてくれ、と言った。わたしは帽子とか杖とかを預けたのだろうと思っていた。戻ってきた彼は、防水加工された黄色いレインコートを着て、それと揃いの帽子、ブーツに身を固めていた。そして肩から弓と矢筒をぶら下げ、スーツケースを手に持っていた。(略)スーツケースを開けると、そこには予備の矢がたくさん入っていた。