写真的思考

 

チャプター2と3だけ読んだ。

写真的思考 (河出ブックス 8)

写真的思考 (河出ブックス 8)

  • 作者:飯沢 耕太郎
  • 発売日: 2009/12/11
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

「真を写す」

[「光画」ではなく「真を写す」と訳した]
日本人はphotographyを光で描かれた一枚の絵というよりは、本物そっくりの真に迫った図像というふうに理解し、そのように呼び習わしていったのである。(略)
司馬江漢のような西洋文化の信奉者から見れば、西洋画と「和漢の画」を区別する最大のポイントこそ、それが「写真」であるかどうかということなのである。(略)
幕末から明治初期にかけて、写真、油絵、銅版画、石版画などの新しい表現のメディアがほぼ同時期に、いっせいに日本の社会に流入し、感受性の鋭い若者たちの運命を変えてしまうような衝撃をもたらしたのである。この<写真ショック>は、当時の日本人に西洋画と写真の異質性よりは同質性を強く印象づけた。(略)
彼らが絵と写真をほぼ同一のものと考えていたことは、高橋由一のその後の仕事を見てもわかる。(略)[高橋の石版画、油絵の中には]明らかに写真を下絵として利用したものが含まれている。
 絵と写真を比較すれば、構図はもちろん、陰影のつけ方まで写真をそのまま写しとっている。高橋由一にとっては、写真も絵も対象の「真ニ逼リタル」描写として区別できなかったし、その必要もなかったのだろう。彼にとって絵を描くことは、あくまで「形状ノ細微」を捉える実用的な技術であった。高橋がなぜ写真をわざわざ絵に描き替えたかといえば、当時の精度の粗い、小さな白黒写真と比較して、絵の方がより「写真」的であったからだろう。

写真油絵

[横山松三郎がその技術を完成させ弟子の小豆沢亮一が特許を得た]
「写真油絵」とは印画紙の表面の感光乳剤の層だけを薄く剥がし、その裏から油絵具で着色する技法である。現在残されている「写真油絵」の肖像を見ると、百年以上経っているにもかかわらず、生々しい現実感あふれるイメージに驚かされる。絵具の色が皮膚の内側から滲み出てくるような効果によって、迫真性がより増しているのだ。これなどは、まさに写真と油絵が渾然一体となった、幕末から明治初期にかけての日本人の写真観にふさわしい技法といえるだろう。

対象物を欠いた「リアル」、芸術ではなく見世物

彼らはたしかに「写真」=「真を写す」という欲望、ある種のリアリズムに固執し続けていた。しかしそれは、事物を正確に写実することで彼らの美意識を発現する、あるいは出来事の隠された意味を明らかにし、真実を引き出そうとするような近代的なリアリズムとは異なった位相にあるものだったのではないか。
 彼らはむしろそこに描かれたり、撮影されたりしているものが本物そっくりであることに純粋に驚き、感動し、その歓びを共有しようとしていた。極端にいえば、そこにあるイメージが何であるかはほとんど問題ではなく、本物そっくりだが本物ではない偽物がそこにあるという、からくりのようなメカニズムこそ、彼らを魅了し、写真や西洋画に向かわせた原動力だった。それが何をさし示しているかとは無関係に出現してくる空虚な、対象物を欠いた「リアル」――それこそが彼らの作品の奇妙な現実感の正体だったのだ。
 その点では彼らの仕事は〈芸術家〉のそれではなく、ほとんど視覚的なエンターテインメントとしての見世物に近づいていく。(略)
それらは、近代国家成立以後に美術館や画廊において〈芸術〉を鑑賞するのとは、まったく違った受けとられ方をしていたように思える。

横浜写真

[フェリーチェ・ベアトが日本の風景写真に着色しアルバム化して外国人向け土産物として売りまくった]
 ベアトはさらに独創的なアイディアを思いつく。日本人を雇ってスタジオでポーズをとらせ、外国人のエキゾティシズムを刺戟するような演出写真を撮影・販売したのである。客を運ぶ駕籠舁き、仕切りのポーズをとる相撲取り、患者の脈をとる坊主頭の医師、諸肌を脱いで化粧する芸者(略)[この日本風俗の演出写真は大人気に。ベアト離日後は、スティルフリートや日本人写真家らに受け継がれ発展]
明治10年代以降になると、専門の絵師たちによって精妙な彩色を施され、蒔絵をあしらった豪華な表紙のアルバムにおさめられるようになる。写真の図柄のヴァリエーションも増え、演出も凝ったものになっていった。「横浜写真」は重要な輸出品の一つでもあり、アメリカを中心とするその輸出総額は、1896年には24923円に達したという。

モノ

 これらの静物写真は、前世紀のピクチャレスク美学の影響下にある作品とは微妙に違ってきている。何よりも、ピクチャレスクの意識においては、〈見る者〉が世界の中心におり、彼が「見たいように見、切りとりたいように切りとった」イメージが〈額縁〉の中に封じ込められ、きっちりと配置されていた。ところが1920〜30年代のモノを主題とする写真では、人間ではなくオブジェこそが主役の位置を占めているのだ。モノたちが人間のコントロールを離れて自己の存在を主張し、画面に勝手に増殖し、ひそやかに語りあっているような、そんな奇妙な気配すら感じることができる。そこでは世界の中心にいるのは、人間ではなくむしろオブジェなのだ。
 このような転倒が、全ヨーロッパを極限状況に追い込んだ第一次世界大戦による、人間中心的な価値観の危機に起因していることは間違いないだろう。確実なものと思われていた自己と世界との関係が崩壊し、支配していたはずのモノたちが、人間のくびきを逃れて勝手に浮遊し、増殖するような状況があちこちで意識されるようになる。モノが操作可能な道具ではなく、敵意をむき出しにした異物として目に映ってくるような状況といってもよい。