「共犯」の同盟史―日米密約

「共犯」の同盟史―日米密約と自民党政権

「共犯」の同盟史―日米密約と自民党政権

安保改定には保守合同

[重光案を点検した国務省はダレス宛て極秘公電で]
「日本の関心は防衛より、専ら我々を追い出すことに向けられている」と指摘した。(略)
[重光]訪米には幹事長岸、農相河野一郎随行するという異例の布陣が決まっていた。重光に不信感を抱く鳩山が岸らを差し向けたのは明白(略)
 一九五五年八月二十九日から三日間、ワシントンの国務省で開かれた重光・ダレス会談。(略)
 「安保条約締結時、日本に防衛力はなかったが、現在は違う」。そう食い下がる重光を「現在の防衛力では不十分だ」とダレスははね返した。相互防衛のための貢献が危ぶまれるようでは改定どころではないと説き、重ねて問い掛けている。
 「グアムが攻撃された場合、日本は米国を助けるために駆けつけることができますか」
 「できますとも。現体制においても自衛隊を組織することができる」
 海外派兵も可能との見解を示す重光にダレスは皮肉たっぷりだ。「外相の憲法解釈はよく分からない。日本防衛のみに部隊を使えると考えていましたが」
 「米比のような相互条約を持つことは現憲法下でも可能だ」とさらに言い募る重光に、ダレスが放った止めの一言は強烈だった。「日本がそう考えていたとは全くの初耳ですな」
(略)
 岸は安保改定の条件としてダレスが送った「保守合同を急げ」のサインを見逃さなかった。(略)
 帰国すると、岸は保守勢力結集の仕上げに取り掛かる。「年内新党結成」を表明(略)
 社会党が左右統一を果たしてから約一ヵ月後の十一月十五日、自由民主党が誕生する。岸は幹事長に就任した。「五五年体制」が幕を開け、岸はダレスに示した安保改定に至る行程表のスタート地点に立った。

基地という「実質」、事前協議という「体裁」

[ダレス宛公電でダグラス・マッカーサー2世は]
 「海外派兵の要請は新条約の締結を阻むだけです。重要な基地を使い続けられるなら、日本が米国を救いに来るという約束は不可欠ではありません」
 日本が果たせる最大の貢献は基地の提供だとマッカーサーは割り切っていた。(略)
 ただ、その前に片付けなければならない問題があった。日本側が求めている事前協議制度だ。米軍の基地使用を制限する仕組みである事前協議は、日米の対等性の象徴だった。
(略)
軍事行動について日本に口を出されるなど論外と反発する軍部を、マッカーサーは説得にかかった。
 「こちらから動かないと、日本の要求をのまざるを得なくなる。日本が中立化すれば、足場を失います。他のアジア諸国は一斉に北京になびきますよ」
 しぶしぶ同意する海軍提督バーク。「では、核搭載艦船はどうなる」(略)マッカーサーは「マスコミも感づいているが、日本政府は決してこの問題を提起しない」と説明した。
 「正面から核持ち込みの是非を尋ねれば“ノー”が返ってくる。だから聞かないのが最善だ。物事は正しい方向に進んでいます」
 その上で、朝鮮半島有事で日本の基地を使えるよう岸に掛け合うと約束した。すると、陸軍参謀副長が言った。「これで、懸案が片づいたな」
(略)
米側が満足する「現行の制度」とは、核兵器を搭載する米艦船が日本領海を通過・寄港し、核兵器を積んだ米軍機が日本領空に飛来している状態を指している。(略)
 事前協議を骨抜きにする適用除外をめぐる交渉過程を詳述する一連の文書が語るのは、米側が在日米軍基地の使用権という「実質」を死守しようとする一方、あくまで日本側がこだわったのは日米が対等であるという「体裁」だったということだ。

非情

[岸は大野への念書を反故にし]
“宰相の器”を持ち出し「なんといっても池田君が適任だ」と語る非情さを見せた。
 非情だったのは、岸だけではない。池田政権誕生後に書かれた米側文書には「岸はよく持ち堪えた。名誉ある冷戦の犠牲者だ」とある。しかし、安保闘争の最中、政権がみるみる統制力を失っていく事に不安を覚えた在日米大使館は「辞任を言い出すまで混乱は収まらない」と早々と岸を見限っていた。

核貯蔵計画

[1962年米国防省での合同会議]
 口火を切ったのは陸軍参謀長ジョージ・デッカーだった。「沖縄や韓国に貯蔵してある核兵器に容易にアクセスできない状態だ。対処時間を短縮するため、日本側に核貯蔵を持ち掛けたい」
 「日本領土に核兵器を置くことに日本の抵抗は強く、当面変わらないでしょう。日本の指導者は沖縄での核貯蔵には目をつぶっている。それが譲歩の限界だと考えた方がいい」
 国務副次官アレクシス・ジョンソンが疑問の声を挟む。(略)
 かつて束京大空襲で焦土化作戦を指揮した空軍参謀長カーチス・ルメイは、「日本の軍関係者は、米軍がすでに日本国内で核を持っていると思っている。核持ち込みの秘密合意を持ち掛けたらどうだ」と提案した。
 「秘密が漏れたら収拾がつかない」と難色を示すジョンソン
(略)
 当時、沖縄の嘉手納基地では核を積んだ輸送機C130が常時上空を旋回し、有事には板付(福岡)や横田(東京)、三沢(青森)に向かう通称「ハイ・ギア作戦」が存在した。だが、沖縄から最も近い板付でも四時間、三沢へは六時間かかる。対処時間の短縮はとりわけ米空軍にとって死活問題だった。
 「発覚した時、首相は知らなかったと否定できる」と注釈が付いた防衛庁との秘密口頭了解や、核を搭載した米軍機が沖縄と日本の主要基地を巡回する案が検討された(略)
[ケネディ政権特別補佐官カール・ケイセンは2007年にこう証言]
「日本での核貯蔵計画は六三年までに少なくとも二回あった」

「持ち込み」

池田政権に代わった後の六三年に日本側が解釈を知らないことが分かり、ライシャワー大平正芳に「持ち込み」について確認を求めることになった。
 「六〇年には岸首相の明確な理解を得ていなかったが、入港中の核搭載艦船や、核を搭載した航空機の通過に事前協議は適用されないとの米側の立場は正当化された」
 この解釈に従えば、核が自由に往来している沖縄もまた、返還で事前協議制度が適用されても「影響を受けない」とさえ強弁できるとも付け加えている。(略)
核の傘の代償とは、日本政府が基地使用にまつわる苦い解釈をいかにのみ下すかに尽きた。

新たな密約

[1969年沖縄返還に向けての協議]
 前年一月、米海軍の環境調査艦が領海侵犯を理由に北朝鮮に攻撃され、乗組員が死亡した「プエブロ号事件」が発生する。佐世保に寄港していた空母エンタープライズ日本海に向かい、第二次朝鮮戦争の危機がささやかれただけに、外務省側には朝鮮半島有事に絡めば世論の理解を得られるとの読みもあった。だが、自由使用の保証を公式文書に残せるはずもない。(略)
 マイヤーは基地使用で事前協議に必ず「イエス」と答えるよう確約を迫り、新たな密約の必要性さえ匂わせた。追い詰められた愛知が反論する。
 「どんな文書を作っても、社会主義者共産主義者が政権を手にすれば、米政府に基地使用を保証できない。過去九年間、米国が事前協議によって活動を阻害された例はないでしょう。一度も事前協議はなかったのだから」
 事前協議制度はとうに形骸化している。そう自ら認めたようなものだった。それでも日本側は存続にこだわった。(略)
 米側は次々に要求を突きつける。自由使用は沖縄に限らず本土の基地でも必要だ。韓国に加え台湾、ベトナムについても保証してほしい……。朝鮮有事に関する密約で確保した権利を、中国と軍事衝突の可能性がある台湾、米軍が戦闘を続けるベトナムにも広げようとした。新たな密約を回避しようとする日本側の防衛ラインはじりじりと後退を続けた。

米の角栄

そのパーソナリティ、外見ともに戦後日本を率いてきた前任者たちと明らかに違う」(略)
 「古い世代の指導者たちの特徴でもあった、感情的で階層的な感慨に支配された様子はない。米国に対する態度はより現実的だ」
 そしてこう続ける。敗戦後、米国による占領、そして軍事的には裸同然の状態で共産主義の脅威にさらされてきた戦後指導者たちは、米国の強大な力に畏怖と憧憬を抱いてきた、そのために米国を取り巻く状況への客観的判断がないまま、日米関係の維持は重要であると信仰のように唱えてきたのだ。
 だが、田中は違う。彼にとって米国はあくまで巨大な市場であり、「一心同体の兄弟」などと言いながら経済分野での結び付きを除いては明確なアイデアはない。日米関係を「買い手と売り手」の枠組みから見ている。

オマケw:半世紀前の鳩山民主

 通算七年二ヶ月にわたる吉田政権に倦み飽きた国民は、庶民的で明るいイメージの鳩山一郎の登場に熱狂した。衆院を解散して行われた一九五五年二月の総選挙で、日本民主党は「鳩山ブーム」に乗って第一党に躍り出る。
 吉田に対抗して、新政権は政策の柱に「憲法改正」と「自主外交」を据えた。総選挙では左右社会党も躍進し、必要な議席数を確保できなかったため改憲を先送りした鳩山は、吉田も成し遂げられなかった日ソ国交回復に意欲を見せる。
 しかし、在日米大使館は苦々しい思いで鳩山の「独立志向」を見詰めていた。「鳩山は感情的で、国際事情にうとく、大衆の称賛を好む」「新政権は米国の利益を無視し、共産圏に譲歩してばかりいる。日米関係の現状に不満だと分からせてやる必要がある」。大使アリソンは公電で鳩山に対する不快感を露わにしている。
 当時、米軍駐留費負担交渉で日本側が分担の削減を求めたこともあり、日米関係はきしみ始めていた。(略)
「出来もしない約束を振りかざし、政権維持のために国民を騙すのに加担しろというのだ。吉田のやり口と同じで、日本の指導者はせいぜいこの程度」と、その鳩山観は侮蔑に満ちている。