デカルトの哲学

デカルトの哲学

デカルトの哲学

ネグリ特集号初出の「デカルトの赤色存在論」(2009年)だけ読んだ。

 第一に、学者や同志の思い込みに反して、そもそも形而上学は政治的存在論なのである。そのことを示すために、デカルトは格好の事例になる。しかもデカルト形而上学は、中世以来の神学−政治学に対抗し、かつ、ホッブズ流の機械論−絶対主義に対抗するものであって、新しい政治的存在論を立ち上げるものであった。
(略)
ネグリが幾度となく強調するように、すでにルネサンス運動は政治的にも文化的にも敗北していた。また、デカルト研究の主流派が強調していたように、デカルト自身は、初期は別としても、ルネサンスとユマニスムに対して極めて批判的で否定的であった。とするなら、どういうことになるのか。すでに革命運動は敗北していた。また、常にそうであるように、敗北の後に革命運動を批判し否定する思想家は掃いて捨てるほど出ていた。とするなら、デカルトを読んだところで得ることなどあるのだろうか。ネグリはこう主張している。敗北の後でも革命運動の希望と情念を表明する思想家は極めて稀であるし、デカルトはその稀なる思想家の一人である、と。だからこそ、ルネサンスデカルトの関係に改めて取り組まなければならない、と。

さて、デカルトは、ルネサンス的革命運動の敗北の後に、私の理解では、戦争=革命から逃亡してオランダに隠遁した。そして、世界から自らを分離した。あるいは、世界から解雇された。(略)
世界革命の夢が破れてルネサンス世界が閉じられたからである。世界は理性の対象たるものではなくなったからである。(略)
問われるべきは、問い糾されるべきは、逃げたということや隠れたということではない。そうではなくて、厳然たる敗北の事実を何と受けとめるのかということである。
 ネグリは、革命運動敗北後の主要な思潮を大きく二つに分けて捉えている。一つはリベルタン、もう一つは機械論である。
 リベルタンは、懐疑論的な相対主義者である。リベルタンは、革命的なプロジェクトについてはそれが何であっても疑いを投げかけ、何ひとつとして真に受けることはしない。(略)こうしてリベルタンは、政治的には現状容認へ傾いていく。(略)リベルタンは絶対主権の庇護の下にある社交空間内で自らの道徳的智恵を誇り文化的自由を享受しているわけだが、それは革命的プロジェクトに対する疑いを撒き散らす限りにおいてのことだからである。
(略)
新科学の夢と新政治の夢を結合したルネサンス的革命運動の敗北の後に学知に成り上がった機械論にあっては、科学革命と政治革命が結び付くことは金輪際ない。機械論においては自然科学と政治科学は没交渉のまま共存する。機械論は、権力を構成することを放棄する者どもに対して、その権利と権能を構成して保証してやる超越的権力を認証する。こうして機械論は「構成された権力の公共哲学」に成り上がる。
 この状況にあってデカルトが重要であるのは、これら二つの思潮の双方に対して別の立ち位置をとったからである。「悪霊は革命的幻想の一切を潰えさせる。悪霊はユマニスムの希望を潰えさせる。デカルトはそのことは充分に弁えている。後退を受け入れざるをえない。しかし希望の放棄は拒むのだ。人は生きていかなければならない。ひとたび革命が去ったからには、立ち位置をめぐる争いが始まる」。
 第一に、デカルトの懐疑は徹底的である。リベルタンの懐疑のごとく穏和なものではない。デカルトの懐疑は、感覚に信を置かず記憶にも信を置かない。つまり、自然世界からも人間世界からもそのリアリティを剥奪してしまう。世界は夢である。それどころではない。世界は狂っている。デカルトの懐疑は、「狂気」に接する懐疑なのだ。だから、懐疑を進めつつ価値判断を留保して実践的には妥協的に振る舞うといった道は哲学的には閉ざされる。また、デカルトの懐疑は科学の真理性をも疑うものであるからには、科学知を応用してプラグマティックに振る舞うといった道も哲学的には閉ざされる。デカルトは、悪しき霊や欺く神と妥協することがない。

 「われわれは打ち負かされた――17世紀のユマニストはそう自覚している。しかしデカルトには、敗北の自覚があるだけではない。そこには、消すことのできないある確実性が伴われている。すなわち、価値の一切、価値あるものの一切は、いまやかの分離せる存在者の内に存しているという確実性である。この分離せる存在者を基礎にしてこそ、世界は再構築されるはずである。」(略)
デカルト哲学は一つのフィクショナルな理性的イデオロギーである。デカルトがそんな哲学的イデオロギーを構築したのは、「再建の希望」を再発見する仕方を知っていたからである。