コミマサ1955、乙女デザイン

田中小実昌の1950年代初期短編集。

上陸 (河出文庫)

上陸 (河出文庫)

「マスター・サージャンの片目」1955.10

 いつまでながめていても、フライド・チキンのこんがり揚がった色もかわらないし、サラダにはいったイタリアン・オリーヴの黒いつやもきえてなくなるわけではない。頭からバターをたらしているハット・ロールも、いくらにらみつけても、その化の皮がはげるけはいもなさそうだ。まっ白な紙皿にもられたこれらのごちそうは、あたりまえのことのように、すこぶるインノセントにあたしのまえにおかれている。
 大きなグラスにはいったミルクは、いつかその正体をあらわしてむらさき色の毒薬にかわるだろうか?
 あたしがどんなにするどい眼力をもっていても、いっしんふらんのおまじないをしても、これらは紙皿にもられ、机の上にある間はチャーミングなごちそうの姿のままでいるだろう。
(略)
あたしはあわてて頭をふった。こたえがない。頭の存在をしめす反応がない。それどころか、あたしの身体も心もそっくりなくなっているではないか!
 が、あたしはおどろいたり、おそろしがったり、かなしんだりはしなかった。いや、したくても、できなかったのだ。あたし自身がないのに、あたしの恐怖や悲しみがあるはずがない。
(略)
 それにしても、いつからあたしはブランクになったのだろう? そうだ、あたしはなくなってもあたしの歴史はある。あたし自身とその記録とはぜんぜん別のものだが、関係はあるはずだ。あたしの記録写真をひっくりかえしていけば、あたしのブランク化の秘密をしることができるかもしれない。

大正・昭和の乙女デザイン―ロマンチック絵はがき

大正・昭和の乙女デザイン―ロマンチック絵はがき

加藤まさを「さるかにロマンス」
この後、さるとかにのお面を取ってキス。
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高価な楽譜の代わりに楽譜絵葉書

不思議絵。

もろ乙女チック。

セノオ楽譜に熱中した少女たちを育てた「母たちの世代」があるはずなのである。こうして大正期を初期から覆っていた「セノオ楽譜」に育てられた女学生たちが、今度は、大正末期から昭和初期に興った「童謡」を子育てのツールとしていくのは、自然の成り行きだったと思う。
 もう一つ、大事な視点がある。それは、明治期の楽譜出版が全てと言ってよいほどに楽器店の副業にすぎなかったのに対して、大正期に入ると、楽譜や歌詞を売ること自体が前面に出てきた(略)
[楽器は高いが声ならタダ、合唱ブーム]
「女学生に好まれる」ということは、大正末期から昭和初期の出版界、レコード界にとって、重要なファクターだった。もちろん、「女学生」は当時の社会では、いわゆる「お譲様」で、一部の層にすぎなかったが、「そうありたい」と願う多くの若い女性たちに支えられて、「女声唱歌」は大きなマーケットになっていた。(略)
[高価な楽譜の代わりに楽譜絵葉書]

「薫 画」となっている作者不詳絵葉書