ハーンと八雲、マゾッホ、島嶼

ハーンと八雲

ハーンと八雲

民俗学

ハーンは同じ講義の中で、彼が教える大学生たちにも、[ギリシア最大の牧歌詩人]テオクリトスのように、日本の田舎に行って農民の日常生活の詩を研究することをすすめている。そのような仕事なしには、この国では「いかなる偉大な新しい文学も生まれえない」と言う。

 母親ローザがギリシアに帰ってから生んだ弟ジェイムズとは、幼少のときほんの少し会っただけだった。しかしハーンが、アメリカから日本に出発しようとしていた頃、この弟が手紙を書いてきて文通し始めている。ジェイムズもまたアメリカに住んでいたのである。「おまえはあの黒くてきれいな貌を覚えていないのか? 野生の鹿のような大きな茶色い眼が、お前の寝ていた揺りかごのうえからのぞきこんでいたはずだ。声も覚えていないのか?」こんなふうにハーンは母の記憶を、弟といっしょに掘り出そうとする。
(略)
ジェイムズにあてた手紙の中で、自分を捨ててギリシアにもどった母口ーザが、いかにアイルランドでは孤立し、苦しい思いをしていたにちがいないかを説明して、あくまでもローザを弁護している。
 ラフカディオ・ハーンの母系への、また「ギリシア風」への執着は、異様なほど徹底している。ハーンの文学のいたるところに、母性的な存在が繰り返し現れることも事実である。一方で父の記憶はパトリックという名前とともに、ほとんど抹殺されたかのように見える。

この宇宙は道徳的なものなのか?

[チェンバレンへの書簡で]こう語っている。「世界はこんにち唱道されるがごとき民主主義の全期間中うんざりしつづけることになるでしょう。未来の専制政治は、過去のどんなそれよりも酷いものになるでしょう。」
(略)
ハーンの予測はまったく悲観的で、じつはどんな政治にも希望を抱いていない。自分はあらゆる信念のあいだをさまよってきたので、その結果もうどれかの信念や価値を支持することはできなくなった。「保守」と「急進」、「平民」と「貴族」が衝突することは不可避であることも知った。「たとえ民衆の欲求に共感するとしても、やはり人は階級と秩序の美的、道徳的価値を認めるでしょう。あるいはまた自分が貴族に属するとしても、やはり人は、偉大で善良で不幸で、道徳的で不道徳的で、悪意にみち美徳にみちた民衆こそが、未来のすべての希望の真の土壌――すなわち「人間」のうちにある神性の領域なのだということを理解するようになるのです」。書簡の中に表明されたこういう考えは、かなり混沌としていて、それだけ率直だと感じられる。
 こうした彼の政治的意見は、アイルランドでは父方の家系の貴族的な雰囲気の中で育ち、アメリカでは無一物から始めて新聞記者になり、アメリカの「民主主義」と、その「どん底」を観察し、マルティニック島では、まだ後を引いている奴隷制や植民地的状況をじかに目撃した軌跡の結果でもあった。

24歳ハーンによる精密な殺人現場記事

人体というより形の崩れた半焼けの瀝青炭の塊に似て見えた。(略)半焦げの腱によって互いに引吊られ、半ば溶けた肉によって恐ろしい状態で膠状につながりボロボロに崩れかかった人骨の塊と、沸騰した脳髄と、石炭と混ざって煮凝りになった血」。「脳漿はほとんどすべて沸騰してなくなってしまったが、それでも頭蓋の底部にレモン程度の大きさの小さな塊が残っていた。バリバリに焼け焦げて、触るとまだ温かかった。焼け焦げた部分に指を突っ込むと、内側はバナナの果実程度の濃度が感じられ、その黄色い繊維質は検屍官の両手の中で、まるで姐虫が蠢いているように見えた」

マゾッホ

[クレオパトラに求愛するメイアモン]
死ぬほど退屈している女王は、一夜だけあなたを歓迎しましょう、そのあとあなたは毒杯を飲むのです、と告げ、宮殿で豪奢な愛の宴を繰り広げ、メイアモンに陶酔的な一夜を許すのである。夜明けに、約束どおりにメイアモンは、毒杯をあおって死ぬ……。
 こういうゴーティエの物語を、若いハーンはひまをみつけては熱心に翻訳していたのだ。
(略)
美しい女は、ほとんど暴君としてふるまい、恋人の運命を決定する力をもっている。女王クレオパトラの権力よりも、彼女の意志そのものにそういう決定力がそなわっている。
(略)
強大な権力をもつ女性と恋人は、ほとんど母と息子のような関係を結び、愛を契約によって守っている。こうしてこの愛は父権的な存在が介入しえない聖域となる。そういう意味でマゾッホの愛は、ほとんど近親相姦的な愛なのであるが、そこに契約が介入することで、おたがいにはりつめたエロス的、他者的関係を持続するのである。
(略)
マゾッホの愛は、ヨーロッパの歴史に深く浸透していた父権的な構造に対する深い批判を含んでいた。マゾッホは、母と子のエロス的原理を中心におく新しい〈民主主義〉を提唱していたのである。
[ハーンはチェンバレンマゾッホを推奨]

ハーンは幼少のときに見失った母の思い出に固着しただけでなく、彼の感性と思想に正確に対応する愛のかたちを、いつのまにかつくりあげていた。この愛は、家父長的な権力のまったく外にあった。そこでは父権的な存在を遠ざけて、女性と息子のあいだに愛の契約が結ばれた。確かにこの愛の思想は、彼が再構成した日本の怪談や奇談にまで反映されたのである。死と死者との親密さということ以外に、女性(的なもの)が、他界から、他界的存在として訪れて、この世の性愛における支配的構造を転覆させるということが、ハーンの再話の大切なモチーフになっていた。

島嶼

[横浜に着きさっそく江の島]
マルティニック島を離れたあとでも、ハーンはまだ〈島〉にこだわっているようなのだ。鎌倉の名所を訪れたあとで、彼は自分がほんとうに関心のあるのはこういうものだ、と言わんばかりに、見捨てられた墓や仏像を描写している。「どこに行っても、花の香りにまじって、松やにのように芳ばしい、日本の香華の香りが漂っている。どうかすると、四角な柱のかけらのような何やら彫り刻んである石の群れや、久しく打ち捨てられた墓地の無縁になった古い墓石が、乱雑にちらばっているところを通ったり、そうかと思うと、夢見るような阿弥陀仏や、ほのぼのと微笑をたたえている観音の像だのが、寂しくぽつんと立っているそばを通ったりする。何もかもが、古い昔の歳月に色あせつくして、崩れ朽ちたものばかりだ」。
 こうしてハーンは、あいかわらず〈島〉へとむかうのだ。「行くほどに、道はしだいに爪下がりになり、大渓谷の絶壁のような断崖の間を下って、ぐるりと大きく迂回している。そこを曲がると、たちまち峡間から海へと出る」。まったく、ハーンを感動させるために、大したものはいらなかった。いくつもの鳥居、弁天様、ふしぎな貝細工、小さな蛇、そんなもので十分で、あとは「森と海の烈しい香り」に包まれた島の地形のなかで、彼は未知の信仰の空気さえ呼吸している。
(略)
ハーンの出会った出雲地方は、まるで小さな島(島根)の集合という印象を与える。風と潮が島のまわりをたえず流れながらとりまいていて、何ひとつ永遠に固定することがない。
(略)
 マルティニックに比べれば、日本ははるかに巨大な列島といえるが、そもそもハーンは日本に対して、とりわけ最初は、まるで島に対するような視線をもって対したのだ。いわば日本の島嶼性にこだわるようにして、日本紀行を書き、日本の地方の民族誌を記したのである。もちろん〈島〉とは、閉鎖的性格の同義語としての〈島国〉のことではない。〈島〉は、船で移動する人びとの中継地であり、移動するおびただしい流れのなかにあって、決して重厚な記念碑を形成しえなかった。必要以上に事物を固定しない、建築しない、保存しない。多くのものが、名もないままに朽ちていくのだ。ところが海の交通路が発展をやめると、島とは、外部から守られて、そのように目立たない遺物を、いつまでも保存する場所となったのだ。
(略)
 ハーンは松江に赴任しに、太平洋から日本海洽岸にむかって人力車で山を越えていった。彼をとらえた西インド諸島の印象が、まだ消えない。ハーンの出会った日本は、熱帯に隣接しているのだ。「それは火山国だけに見られる変幻自在な独特の風景である。昼なお暗い松と杉の森林と、遠く霞んだ夢のような空と、柔らかな日の光の白さがなかったら、ドミニカ島や、マルティニック鳥の丘のつづら折りの道を、いま自分は登っているのではないか、とふとそんな思いにしばしば襲われた」。この夢のような日本の印象は、ハーンが松江に着く前に立ち寄った伯耆の国の村の盆踊りの光景を見ることで、ますます深まっていった。