風雲!はるき城・1Q84

[注:BOOK1からの引用・ネタバレあり]
昨夏のひょうきん夢列島で自信を深めたタケちゃんはアズミとやっている番組で往年のネタを大披露してこちらは脇汗ぐっしょりなのだが、ハルキの新作も漏れ伝わる情報だけでかなり脇汗。で、じっさい読んでみたら。

1Q84 BOOK 1

1Q84 BOOK 1

  • 第1章

間口を広げるためなのか、最近のバラエティ番組の余計な御世話テロップのような、不必要な文章が。削除しても問題ない箇所を斜体にしてみた。こ、これが、わかりやすいってことなのか。

マイケル・ジャクソンの甲高い声が背景音楽として流れてきた。『ビリー・ジーン』。ストリップ・ショーのステージにでも立っているみたい、と彼女は思った。いいわよ。見たいだけ見ればいい。渋滞に巻き込まれてきっと退屈しているんでしょう。でもね、みなさん、これ以上は脱がないわよ。今日のところはハイヒールとコートだけ。お気の毒さま。
 青豆はショルダーバッグが落ちないようにたすきがけにした。(略)
ミニスカートが腰のあたりまでまくれあがった。かまうものか、と彼女は思った。見たければ勝手に見ればいい。スカートの中の何を見たところで、私という人間が見通せるわけではないのだ。そしてほっそりとした美しい両脚は、青豆が自分の身体の中でいちばん誇らしく思っている部分だった。
 鉄柵の向こう側に降りると、青豆はスカートの裾をなおし

青豆は軽く顎を引き、下唇を噛み、濃い緑色のサングラスの奥から彼らをひととおり品定めした。
 私が誰なのか、これからどこに行って何をしようとしているのか、きっと想像もつかないでしょうね。青豆は唇を動かさずにそう語りかけた。あなたたちはそこに縛りつけられたっきり、どこにも行けない。ろくに前にも進めないし、かといって後ろにも下かれない でも私はそうじゃない。私には済ませなくてはならない仕事がある。果たすべき使命がある、だから私は先に進ませてもらう。
 青豆は最後に、そこにいるみんなに向かって思い切り顔をしかめたかった。

  • 第2章

春樹パワーが健在な頃は、「ファミリー・アフェア」での「渡辺昇」のように、なんということはない名前に支配力があったのだが、「天吾」ってどうよ。「青豆」もあれだけど。まるで「厳冬」社のベストセラーみたいな名前だ(読んだことないけど)。

  • 第5章

裏稼業という設定からして劇画チックな青豆パートなのだが、男からの性的視線に敏感になっている第1章から更にエスカレートして、男性に対し攻撃的な性格描写がかなり下品。春樹空間破綻。「ガープの世界」エキスなのかもしれぬが、主人公をこのように下品に描いてしまってよいのだろうか。

「普通の脳味噌を持って五十年以上生きてきて、人並みに仕事をして、ヨットまで持っていて、それで自分のおちんちんが世間一般の標準より大きいか小さいかも判断できないわけ?」

  • 第6章

リライトする天吾。ようやく春樹っぽくなる。

  • 第10章

小説全体を覆う違和感は比喩の切れのなさなのだが、これはそれ以前の問題だ。なにこれ。ふかえりとセンセイに会いに行く場面。

なんだかこれから結婚の申し込みに、相手の両親に会いに行くみたいな気分だな、と彼は思った。

辺鄙な駅で降りて。
新人応募で出したら、春樹をきどった稚拙な文章とかなんか言われそう。昔のハルキだったらさりげなくキメてるところなのだが(ラ・マンチャとアストン・マーチンはあるとしても、残りの二つが違う)。

人々は空気のきれいな山道を歩くために二俣尾までやってくる。『ラ・マンチャの男』の公演や、ワイルドさが評判のディスコテックや、アストン・マーチンのショールームや、オマール海老のグラタンで有名なフレンチ・レストランを目当てに二俣尾に来る人はまずいない。

  • 第11章

キター!はじめてプラス査定。しかも、青豆パートで。こんな風に書けるのに、何故、第5章のように下品になってしまったのだろう。最初から、こうしてくれたら脇汗ぐっしょりにならずに済んだのに。

 青豆ほど睾丸の蹴り方に習熟している人間は、おそらく数えるほどしかいないはずだ。
(略)
「あれは、じきに世界が終わるんじゃないかというような痛みだ。ほかにうまくたとえようがない。ただの痛みとは違う」、ある男は青豆に説明を求められたとき、熟考したあとでそう言った。
(略)
[核戦争による世界の終末を描いた『渚にて』を観て、睾丸を蹴られる気持ちを推測する青豆]
(略)
私を襲ってくるような無謀なやつらがいたら、そのときは世界の終わりをまざまざと見せてやる、と彼女は決意していた。王国の到来をしっかりと直視させてやる。まっすぐ南半球に送り込んで、カンガルーやらワラビーと一緒に、死の灰をたっぷりとあびせかけてやる。

バカフェミ設定かと思ったら、そうではない。

 青豆は顔を少し赤くして、それから首を振った。「違うと思います。私の考え方はあくまで個人的なものです。フェミニストでもレズビアンでもありません」

  • 第14章

ヤスケン・サンバ?

[新聞の匿名コラムで小松に悪口を書かれたくない]
作家たちは小松とはできるだけ事を構えないように注意していた。雑誌に執筆を依頼されれば、できるだけ断らないようにした。少なくとも何度かに一度は引き受けた。そうしないとコラムで何を書かれるかわかったものではない。
 天吾は小松のそういう計算高い面があまり好きにはなれなかった。文壇を小馬鹿にしておきながら、一方でそのシステムを都合よく利用している。小松には編集者としての優れた勘が具わっていたし、天吾にはずいぶんよくしてくれた。小説を書くことについての彼の忠告はおおむね貴重なものだった。しかし天吾は一定の距離を置いて小松とつきあうように心がけていた。あまり近づきすぎて、下手に深入りしたところで足元の梯子を外されたりしたら、たまったものではない。

  • 第15章

だぶり。
毎日自分の裸をチェックするのが習慣だし、胸を気にしてもいるからそこはだぶってもいいが、陰毛描写はだぶらなくてもいいのじゃないか。

[第9章より]
鏡に裸の全身を映してみた。ほっそりとしたお腹と、引き締まった筋肉。ぱっとしない左右でいびつな乳房と、手入れの悪いサッカー場を思わせる陰毛。

[第15章]
彼女は毎日鏡の前でまったくの裸になり、その事実を細かく確認した。自分の身体に見とれていたわけではない。むしろ逆だった。乳房は大きさが足りないし、おまけに左右非対称だ。陰毛は行進する歩兵部隊に踏みつけられた草むらみたいな生え方をしている。

  • 第24章

な、なんと最終章で奇跡の盛り返し。はじめてハルキの支配力を感じました。せめて後半だけでもこれくらい支配してくれたら……。
ふかえりが伝言テープで「だいじなものはもりのなかにありもりにはリトル・ピープルがいる……」と語り、それまで性欲処理端役にすぎなかった人妻が突如「森の中にある小屋の夢」を語りだし「森」のイメージを増幅。一気に「BOOK2」への期待が膨らむ。
人妻にせがまれ今書いている自分の小説について天吾が語る。

「それは僕自身についての話なんだ。(略)
「それで、私はその話の中に出てくるのかしら?」
「出てこない。僕がいるのはここではない世界だから」
「ここではない世界には私はいない」
「君だけじゃない。ここの世界にいる人は、ここではない世界にはいない」
「ここではない世界は、ここの世界とどう違うのかしら。今自分がどちらの世界にいるか、見分けはつくのかな?」
「見分けはつくよ。僕が書いているんだから」
「私が言っているのは、あなた以外のほかの人々にとってということ。たとえば何かの加減で、私がふとそこの世界に紛れ込んでしまったとしたら」
「たぶん見分けはつくと思う」と天吾は言った。「たとえば、ここではない世界には月が二個あるんだ。だから違いがわかる」

「ここではない世界で、人々はここにいる私たちとだいたい同じようなことをしている。だとしたら、ここではない世界であることの意味はいったいどこにあるのかしら?」
「ここではない世界であることの意味は、ここにある世界の過去を書き換えられることなんだ」と天吾は言った。
「好きなだけ、好きなように過去を書き換えることができる?」
「そう」
「あなたは過去を書き換えたいの?」
「君は過去を書き換えたくないの?」

  • BOOK2

BOOK1最終章の推進力で前半わくわくしながら読むも、富士山を登っているつもりだったのに、どうやら高尾山のようだということに気付く。最初に提示された枠組み以上の飛躍がゼロなのだ。BOOK1だけで終わったら続きはどうなっていると苦情殺到だろうが、だからといってBOOK2に飛躍があるわけではない。BOOK1最終章で昇天していた方が幸せだったかも。

  • 第6章

面白いけど「空気さなぎ」とか「リトル・ピープル」の謎が残るという書評に対し

天吾は首をひねった。「物語としてはとても面白くできているし、最後までぐいぐいと読者を牽引していく」ことに作家がもし成功しているとしたら、その作家を怠慢と呼ぶことは誰にもできないのではないか。
(略)
彼は今では、空気さなぎやリトル・ピープルを自分自身の内部にあるものとして眺めるようになっていた。それらが何を意味するかは、天吾にも正直言ってよくわからない。しかし彼にとってそれはさして重大なことではない。その実在を受け入れられるかどうか、というのが何より大きな意味を持つことだ。そして天吾にはそれらの実在性をすんなりと受け入れることができた。
(略)
『空気さなぎ』は物語として多くの人々を惹きつけている。それは天吾を惹きつけ、小松を惹きつけ、戎野先生をも惹きつけた。そして驚くべき数の読者を惹きつけている。それ以上の何が必要とされるだろう。

別に謎を解明しなくてもいいし、したとしても天吾が言うように世界の混乱がどうにもなるわけでもない、やるべきなのはBOOK1最終章のようなイメージの飛翔なのだが、BOOK2を費やして見せられるのは、ただのちんまりした話である。
なんだかハルキ批判のようだが、涙目脇汗ぐっしょりでハルキ支持のつもり。そもそも長編が破綻しても比喩がキレていたらそれでいいと思っているので、そっちの方の衰退が気になる。
これもヒドイと思った。

[B1・第18章]
自分がどんな文脈で話をしようとしていたかを、一瞬見失ってしまうのだ。強い風が突然吹いて、演奏中の譜面を吹き飛ばしてしまうみたいに。

これくらいのをサクサク散りばめて欲しい。

[B1・第22章]
いったん証明さえできれば、世界の謎は柔らかな牡蠣のように人の手の中に収まってしまうのだ。