話題となった薬ネタより、ジュリーへの熱い思いに驚いた。
ヤクザに拉致され
大阪でのGS大会後全員ヤクザに拉致されクラブで歌えと脅された時
ぼくは黙ってた。泣きそうな顔をしているのもいれば、「歌っちゃおうよ」と言ってるのもいたけれど、キッパリと断ったのが沢田です。ヤクザに、面と向かってこう言った。
「歌えないよ」
偉い。こいつ、度胸あるなあ、と思った。
- ファンに絶対手を出さなかったのは沢田とぼくだけ
PYGをやっていて、改めて気づかされたことがひとつあります。歌に関しては、ぼくは沢田研二と張り合えない、ということ。
客が入らなくても、ファン同士がケンカをしても、沢田はいつも一生懸命歌っていた。
「歌が命だ」
沢田研二は、はっきりそう言った。
タイトルからして田舎くさくて出たくなかった。最初の役名が「坊や」だったので文句を言ったら「マカロニ」に、「これも気に食わない」。ウエスタンハットを被ってるキャラを断固拒否。衣装は自分で決めると『ベビードール』でつくった。音楽も絶対俺がやるロックでやりたいという要求が通ったのがクランクイン一日前。時間がなかったので、シュープリームスの“You Keep Me Hangin' On”をヒントにあのイントロができた。
気がついたら、散々に生活が荒れていた。毎日、朝から大麻を吸い、アルコール依存症になって、何人もの女とつきあっている。『傷だらけの天使』のころ、おれはずっとそんなふうだった。
亨役の第一候補は火野正平だった。水谷豊を推薦したのは萩原。プロデューサーは大して期待しておらず人気が出なければ三、四話辺りで殺すつもりだった。セリフ後に連発していた「バカヤロー」にプロデューサーが難色、アフレコで「バカヤロー」を「アキラ」と「アニキィー」に換えたらウケた。
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前略おふくろ様
倉本からは髪を切ってアドリブ禁止という厳しい注文
このサブには、最初からちょっと言語障害的なところがあるという設定だった。
「あいやいやいや、そら、そ、いや、そりゃないっすよ。半妻さん」
そういうセリフが一字一句、すべてきちんと書いてある。テン、マルで、セリフのどこを区切るか、まで。あの演技、ぼくが勝手にやっていたと思った人もいるようだけど、そうではありません。
役者との世間話で出たネタをよく倉本はそのまま使った。
「おまえさ、きのう電話したら、いなかったじゃないかよ」
倉本さんにそう言われて、
「いや、きのうはひな人形を買いに行ってたんですよ。おれ、娘がいるんで」
「えっ、おまえ、自分でひな人形買いに行くの?どこへ?」
「ひな人形っつったら秋月ですよ」
『八つ墓村』が縁でずっと付き合いのあった渥美清。倍賞と三人で会食後の別れ際
「健ちゃん」
ニコッと笑って言うのです。
「いいねえ、不倫は」
そう言って、いつものようにスーッとその場から消えてしまいました。
死期の近い神代から久々の出演依頼
[20年来のつきあい]
そのクマさんがもうすぐ死ぬ。死ぬとわかっている。その目の前で演技をしろと言われても、演技になんねえよ。
「冷たいな……不義理をして……薄情者」
神代さんの周りの人には、そう言われた。
(そんなんじゃないんだよ!)
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逮捕
当時、どの媒体にも報道されなかった事実がある。ガサが入ったのは、実はあの夜が二度目だった。最初のガサ入れで何も出てこなかったのに、あえて二度目の家宅捜索に踏み切ったわけだ。今度こそ間違いない、という確証が麻取にはあったことになる。
その確証を与えた人間が、ぼくのごく近いところにいた。
ぼくはそのとき、仕事で留守だった。捜査に立ち会ったのは、いしだあゆみ。彼女もまた、麻取の事情聴取を受けている。
(略)
[36ページ後]
あのころはちょっと、女性不信になっていたかもしれない。大麻で捕まって、いしだあゆみとの結婚生活が破綻して。
あれ以来、女をアテにしなくなった。アテにしないことを覚えた。でも、決して恨んではいないよ。
- 一本の傘
代理店に補償金三億円を支払い文無しに、降り出した雨の中ずぶ濡れになって歩いていたら老婦人が傘を貸してくれた。そのときの感激があり、二年後濡れながらバスを待つ袖口がボロボロの老人に傘を差し出す。萩原の義兄の店に傘を返しに来た老人は、なんと土光敏夫だった。「何、そんなに偉い人だったの?」
養育費のために三ヶ月ぬいぐるみショーのバイトをやった。天地真理ショーのバックでも踊った。
- ガッツ石松、ちょっといい話
拘留中、面会の許されない中、ガッツさんがあのノリで、バナナを自分で剥いては刑事さん食べてくださいetcガッツ攻撃で面会時間をゲット。
最初は松田優作の役がショーケン、高倉健の刑事が勝新、若山の親分が藤山寛美!だった。
ある時は原田芳雄に入れ込み、次はショーケンに入れ込んだ松田優作。「探偵物語」の服装は熱狂雷舞のオレをマネしてるよね、ブラック・レインの優作の目は「おれが『影武者』でやった武田勝頼の目だ」etcてな話のあとに
おれ自身は、優作をライバルだと思ったことはない。ライバルだったと言えるとすれば、沢田研二です。しかし、優作は明らかにおれをライバルだと思っていた。
生きているころは、あの野郎、と思っていたけれど、あれほど必死になってぼくのあとを追いかけてきた役者もほかにいない。
- 猪木
倍賞と猪木の仲を裂いたのがショーケンだと思い込んでいた娘の寛子はショーケンに色々とキツイこと(「この人はパパじゃない!」)を言った。猪木が立候補した際には「パパに入れない人は、みんな敵だ!」と怒鳴るので、「ぼくは誰にも内緒で投票所に行ったのです」。あれから十年、出産した寛子が「お母さんと別れたのは、あたしのせい?」「昔、随分ひどいことして、ごめんね」と謝りの電話をかけてきてくれて嬉しかった。
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エピローグ
私はいま、ひとりで暮らしている。仕事もない。あと二年半足らずで還暦を迎える。
昔は、芝居も恋愛も、酒も大麻も、夢中になってやった。とにかくせっかちで、えらく気が短くて、しょっちゅう八つ当たりしたよね。大声を出しちゃ、そこいらにあるものを手づかみにしては投げ散らかしてさ。
いまのおれは、そうやって散らかしたものを、自分で拾わなきゃいけないわけだ。
(略)
毎週日曜はアイロンかけの日だった。変な感じだぜ。ショーケンが正座しちゃってよ、おカマみてえにアイロンかけて。変な感じだよ。そのうちに慣れたけどさ、それでもやっぱり変な感じだったよ。
では最後に意味なく