スタニスラフスキー、チェーホフを語る

前日のつづき。

芸術におけるわが生涯〈中〉 (岩波文庫)

芸術におけるわが生涯〈中〉 (岩波文庫)

ゴーリキーどん底

 私たちの最初のクリミア旅行の折、ある晩テラスに坐って、海の波音を聞きながら、ゴーリキーは暗闇のなかで、その時はまだ夢想していただけの、この自分の戯曲の内容を私に話してくれた。(略)[なんだかんで公演は大成功]
「拍手してる! ほんとだ! 叫んでいる!たいしたことだ!」
 ゴーリキーは時の英雄となった。街々で、劇場で、人々は彼のあとをついて歩いた。(略)
何で私のことを見とれているのです?!私は歌手じゃない……バレリーナじゃない……まったくこれは何という話だ……ええ、これは、ほんとに、正直なところ……」
 しかし彼の滑稽な困惑と遠慮がちにしゃべる独得の態度は、かえっていっそうたくまれたもののようになって、さらに強く崇拝者を彼に惹きつけた。(略)
私の視覚には、ヤルタの防波堤に立って私を見送り、汽船の出発を待っていたときの、彼の美しいポーズが焼きつけられている。荷物に無頓着によりかかり、自分の小さな息子のマクシムカを支えながら、彼は物思わしげに遠方を眺めていた、そして、あとしばらくすれば――彼自身が防波堤をはなれて、どこか遠くへ、自分の夢想を追って飛んで行くかとも、思われた。

以下チェーホフ話となります。
チェーホフ桜の園

[素晴らしいタイトルを思いついたとやってきたチェーホフ]
「どんな?」私は昂奮してきた。
桜の園(ヴィーシニェヴイ・サート)」そういうと彼は喜ばしげに笑いくずれた。(略)
[ありとあらゆる抑揚と音色をつけて「桜の園」を連呼するチェーホフ。必死で考えるも理解できず、ぴんとこないと恐る恐る伝えると気まずい空気に。だが一週間後勝ち誇ったように現れたチェーホフ]
「聞いてください、桜の園(ヴィーシニェヴイ・サート)じゃなくて、桜の園(ヴィーシニョーヴイ・サート)です[ニュアンスとしては「桜の丘」と「桜が丘」の違い]」彼はこう言うと笑いくずれた。
 最初私はいったい何の話なのかさえわからなかったが、しかしアントン・パーヴロヴィチは「ヴィシニョーヴイ」(桜の)という言葉の「ヨー」というやわらかな音に力をこめて、なおも戯曲の題を味わいつづけていた(略)
今度は私も繊細さを理解した。「ヴィーシニェヴ・サート」――これは収入をもたらす実業的な、商業的な園である。そういう園は今も必要だ。しかし「ヴィシニョーヴイ・サート」は収入をもたらさない、それはそのうちに、その花咲く純白のうちに、いにしえの貴族生活の詩情をたたえている。そういう園は気紛れのために、甘やかされた耽美家のために育ち、花咲く。それを絶やすのは惜しいけれど、そうしなければならない、なぜなら国の経済的発展の過程がそれを要求するからである。

削除

[別に脚本家に台詞を削りたいと言ったら]
「ちぢめたまえ! だが、あなたが歴史の前に責任をもっていることを忘れないでいただきたいですな」
 それとは逆に、私たちがアントン・パーヴロヴィチに一場面をそっくり――『桜の園』の第二幕の終りを――捨てるよう、あえて提案したときには、彼は実に悲しげになり、私たちがそのとき彼に与えた心痛から蒼白になったが、しかし、ちょっと考えて我に返ると、こう答えた。
 「ちぢめてください!」
 そしてそれっきり、このことに関してはひとつの非難も私たちに浴びせなかった。

静謐

私は光や聴覚の舞台的手段を悪用するくせがついてしまった。
 「お聞きなさい!」 チェーホフは誰かに、しかし私に聞えるようにして、話していた。「私は新しい戯曲を書きますよ、そしてそれはこんなふうに始まるんです、「何とすばらしいことだろう、何と静かなことだろう! 鳥も、犬も、郭公も、ふくろうも、うぐいすも、時計も、鈴も、こおろぎも、何の音も聞えない」」
 もちろん、それは私へ向けられたあてこすりだった。

正しい贈り物

[高価な贈り物をして叱られたので、どんなものならとチェーホフに問うと]
「鼠捕り」と彼は、ちょっと考えてから、真面目に答えた。「お聞きなさい、鼠は根絶やしにしなければいけません」そこで彼は自分から笑い出してしまった。――「ところで画家のコロヴィンがすばらしい贈り物を持ってきてくれましたよ!すばらしいのを!」
「どんな?」と私は興味をひかれた。
「釣竿」
 こうしてチェーホフに贈られた他のすべての贈物は彼を満足させず、あるものはその月並さで彼を怒らせさえした。
「だめですよ、お聞きなさい、作家に銀のペンと古風なインク壷を贈ったりしても」
「じゃあいったい何を贈らなければいけないんですか?」
「灌腸器。私は医者ですからね、いいですか。でなければ靴下。私の妻は私の面倒を見てくれないんですよ。彼女は女優です。私は破れた靴下をはいているんですよ。いいですか、ねえ、右足の指が出てしまうよ、と彼女に言うでしょう。左足におはきなさい
な、って言うんです。私にはそうはできませんよ!」

陰鬱ではなく快活

 今日までなお、チェーホフは日常生活の、灰色の人たちの詩人であり、彼の戯曲はロシア生活の悲しい一ページであり、わが国の精神的な沈滞を実証するものだという意見が存している。すべての新しい企てを麻痺させる不満、エネルギーを圧殺する絶望、伝統のスラヴ的憂愁が育つための十分すぎる余地。これが彼の舞台的作品のモチーフだというのである。
 しかしなぜ、チェーホフのこういう性格づけは、故人についての私のイメージや思い出とあまりにもはげしく矛盾するのだろうか? 私が彼を知ったのは病気の悪かった時期であったにもかかわらず、私は陰鬱な彼よりも、むしろ快活な、微笑している彼を、はるかにしばしば目にしている。病気のチェーホフがいたところには、ほとんどいつものように、冗談が、警句が、いたずらさえもが支配していた。

日露戦争

 雰囲気が濃密となり、事態が革命に近づいて行くにつれて、彼はますます果断になって行った。彼が描いた多くの人々と同じように、彼を意志の弱い、不決断な人間と考える者はまちがっている。私はすでに、彼が一度ならず私たちをその不屈さと、決然たる態度と、決断とで驚かせたことを語った。
 「おそろしいことです! しかしこれがなくてはならないのです。日本人が私たちを今の場所からつき動かしてくれるがいいのです」 ロシアに硝煙が臭いはじめたとき、チェーホフは昂奮して、しかしきっぱりと確信ありげに、私に言った。

最後はスタニスラフスキーのやっちまったなー

[空き劇場が安く借りられると知り、つい契約。支出は十倍に。スタジオのあらゆる部門が膨張。暴走した音楽部門は]
夏の朝日の昇るときに、静寂のうちに聞く牧人の風笛の音(略)どんなオーケストラ楽器が、たとえ近似的にでも、それを再現できるだろうか? オーボエクラリネット? すべてこれらは工場の音であって、そのうちには自然は感ぜられない。盲人が詩篇や神の人アレクシウスの歌をうたうのに伴奏につかう、ドムラやリーラなど、そのほかにもさまざまな民族楽器、古代楽器が選び分けられた。オーケストラにない特殊な音をもっているカフカースの楽器が思い出された。全ロシアにわたって遠征を行い、民衆出の世にかくれた楽人と俳優からなる全一座をまとめ上げ、オーケストラを編成し、音楽を革新する……等々が決定された。
 (略)天才的な風笛吹きの牧人(略)
古代物語詩やお伽噺を歌うように物語る、語り手や民謡歌いも発見された。まったく独得のカデンツァと声音の変化、変調によって、死者をなげき悲しむ、哭女もいた。

やりすぎの負債と革命騒ぎでスタジオを閉鎖してドイツへ。そこで皇帝に気に入られてウマー。