スタニスラフスキー自伝

1863年に生まれ農奴制から革命の時代へ。子供時代の光景もロシアってかんじでよかったが割愛。

芸術におけるわが生涯〈上〉 (岩波文庫)

芸術におけるわが生涯〈上〉 (岩波文庫)

発見

悪人を演ずるときは、――そのよいところを探せ。
老人を演ずるときは、――彼の若いところを探せ、若者を演ずるときは、――彼の老いたところを探せ

ばたばたしてるだけでちっとも面白くないと演出家にダメ出しされて進退きわまった著者。線を一本足してオモロ顔完成で喜劇演技にも開眼という話がかなり大袈裟に描写されててワロタ。

メーキャップに加えた一本の線が、顔に何か生き生きとした喜劇的な表情を与え、――たちまち、私のうちで、何かが、どこかがひっくりかえったようになったのである。ぼんやりしていたことが明らかになった。基盤のなかったものがそれをえた。信じられなかったものが、もう信じられた。この不可解な、奇蹟的な、創造的な飛躍を誰が説明してくれよう!何物かが内部で熟し、蕾のようにふくらんでいたが、ついに――その機が到来したのだ。ある偶然の一触――それによって蕾ははじけ、若々しい鮮やかな花びらが顔をのぞかせ、輝かしい太陽の光のなかでひろがってゆく。それと同じように、私の場合にも、或る偶然な絵具の一筆、壷にはまったメーキャップのある一線によって、まるで蕾がはじけるように、役はその花びらを、輝かしい、あたたかい脚光の前にひろげはじめたのだ。[以下さらに続く]

トルストイ

やがて食堂に、長いひげをはやし、フェルトの長靴と、腰のところを革帯でしめた灰色の短衣を身につけた老人がはいってきた。(略)
鋭く、人を刺すようでもあり、また柔らかく、太陽のようでもある眼であった。トルストイが人を見つめはじめると、彼はじっと動かず、注意を集中するようになり、探るようにその人の内部に浸透し、そして彼のうちにかくされた、よきもの、悪しきもののすべてを吸い出しでもするようであった。(略)
[別の瞬間には]愛すべき笑いに満たされ、彼の眼は陽気に、いたずらっぽくなり、濃い眉のかげから出て、輝くのであった。(略)
[大人も子供もからかって肉を差し出す]
この有名な菜食主義者は肉のほんの一かけらを切りとり、それを噛みはじめる、そしてやっとのことでそれを呑みこむと、ナイフとフォークをおいた。
 「屍体は食べられない! これは毒ですよ! 肉をすてなさい、そうすればはじめて、よい精神状態とは、新鮮な頭とは何かがお分りだろう!」
 自分のおはこにはいって、レフ・ニコラーエヴィチは、今では読者によく知られている菜食主義の教義を展開しはじめるのだった。
(略)
赤い空を背景にした林檎の木は人生におけるこれこれのことをあらわし、これこれのよろこびもしくは悲しみを予言しており、また月空にうかんだ暗い樅の木はまったくそれと別のことを意味している。雲のない空を背景に鳥もしくは雷雲がとぶことは、新しい前兆を意味している、等々。トルストイの記憶力はおどろくべきものであった。彼は数かぎりもないこの種の前兆をかぞえあげ、しかもその内容からいったらつまらないこれらの物語を、何かの内的な力で、大きな緊張と興味をもって、聞きいらせるのだった。

芸術におけるわが生涯〈中〉 (岩波文庫)

芸術におけるわが生涯〈中〉 (岩波文庫)

オセロ演出

オセロが、暴動のしずめられたばかりの島に到着したことを忘れてはならない。火花ひとつで――ふたたびすべてが燃え上がったであろう。トルコ人は征服者を白い眼で見ている。(略)
イアーゴは、蜂起の火の手が燃え上がるためには火花ひとつで十分なことを知っている。(略)
ふたたび暴動を起こしたキプロスの群集は、前舞台で一つに合する二本の街路にそって、すでに娼家をめざして忍びより、日の浅い征服者を襲い、これをみなごろしにしようとしている。半月刀が、短刀が、棒が、トルコ人の頭上に突きだし、輝いている。ヴェネツィア人は攻撃にそなえて前舞台に――観客に背を向けて――立ち並んだ。ついに、忍びよってきた二団の群衆は、両面からヴェネツィア人めがけて殺到し、戦闘が開始された、すると、その闘いのまっただなかへ、巨大な広幅の剣をさげた怖れを知らぬオセロが割って入り、その剣で群衆を二つに断ち割るようにする。いよいよここ、死の炉のただなかで、オセロの戦闘能力と大胆さがその真価をあらわせるようになる。イアーゴの悪魔のような企みもその真価をあらわす。

明日につづく。