文系院生ブルース

金沢からの手紙―ウラ日本的社会事評

金沢からの手紙―ウラ日本的社会事評

『「ひょっとしたら、ずっと就職できないかもしれないな」、と結構リアルに感じていた(略)遅れたきた院生だった』仲正昌樹がいかにして「二流大学」教授になったかという序文がホームレス予備軍の部外者には面白かったので。
美人論、ストーカー、煙草と猫猫先生もスパーク。

遅れてきた青年

[教養部解体のどさくさで法学部に分属になったドイツ語教師の後任として採用、法学部から見れば]
「余計なもの」が紛れ込んできた、としか見えていなかったろう。最初の教授会に出た時、私(当時、34才)と同年令以下の東大や京大などの旧帝大出身の助教授達が皆ちゃんとしたスーツを着て、霞が関のお役人のような“丁重な言葉遣い”をしているのを見て、軽いカルチャー・ショックを感じた――因みに、その人たちのほとんどは既にどこか別のところに栄転している。
(略)
法学部所属ではない語学教師たちから(略)時には、「ドイツ語教育の専門家に来て欲しかったのだけど、法学部も中途半端な人事をするものですね」、と悪気なさげに失礼極まりないことを言われたりもした。

文系院生ブルース

最初に述べたように、私は標準より七年遅れた院生であるが、「遅れ」てしまった主たる理由は、新興宗教団体である統一教会に十一年半もいたことにある。
(略)
学会の中で自分の存在を知ってもらって、それを就職やメディアヘの露出に繋げるには、仲介してくれる各種の人脈の存在が決定的に重要である。
(略)
最低限の基準(略)を一応クリアしている人間の間での熾烈な競争には、かなり学会・教室内政治的な要素が働く。一定の政治的理由から持ち上げてもらうと、今度はいろんな研究会で報告してください、有名な雑誌にそのテーマで何か書いて下さいというお誘いを受けるようになるので、何をやったらウケルのか、何となく分かるようになる。それで実際に、立派になっていく、というか、立派に見えるようになるから、面白いものである。
(略)
 多分、文系の学問では、注目されるようになって始めて、思考の整理の仕方とか表現方法が洗練されて、一人前になるということがあるのだろうが、その最初の「注目されるきっかけ」を得るのが無茶苦茶大変なのである。多くの文系院生は、たとえ最低限の基準をクリアしていても、「注目されるきっかけ」のないまま、あるいは、「きっかけ」が「次」に繋がらないまま朽ちていく。

美人は有利だ

 知り合いのフェミニストや女性研究者・院生たちから全面的に嫌われることを承知で言うと、文系の学問における「注目度」と「実力発揮」の相関関係という側面から見て、やはり「美人は有利」だと思う。(略)美人の方が、「見られ」なれているし、どうしたら「更に注目される」のか感覚的によく分かっているようなのである。男女を問わず(略)「見られ慣れている」人は、受け答えがうまい。
(略)
 「見られ慣れている」人の場合、それが「論文」にも反映されることが多い。これは、分からない人にはいくら言っても分からないと思うが、人目を意識しながら、自分をより優美に見せられる人であれば、そういう気分のまま、他人の目を意識して文章を書けることが多いので、“自然”と他人に注目されやすいスタイルの論文になる。学者のキャラと論文のスタイルは意外と対応している。

年齢制限があるので

私のように29才で院生になったものには、あまり時間が残されていない。(略)
 最初から最後まで面倒を見てくれる指導教官や、それに相当する存在がいればそれにこしたとはないが、有名大学の教師だからといって、そういう力を持っているとは限らない。十年前にはそういう力を持っていても、今ではまったく無力ということもあるので要注意である。無論、そういうことはこれから院生になろうとしている学生には物凄く分かりにくい。(略)
 私の場合、指導教官は私が院生になるちょっと前まではドイツ思想史の業界ではそれなりの有力者[だったが、ドイツ語?業界の斜陽で就職斡旋能力低下](略)
博士論文は、一年短縮で、院に入ってから四年で書き上げたが、それでも就職はすんなり決まらない。
 それで苛苛している内に、指導教官との仲が悪くなっていって、大喧嘩騒ぎも起こしていたが、文句ばかりを言っていても仕方ない。あまり専門と関係のないものも含めて、いろんな文章を書いて、あちこちに投稿し、“業績”を作りながら、公募に出すようにした。
[どうにかキムサワ大学に就職。そのまま田舎に埋もれる選択肢もあったが](略)
先に述べたような「地元でも無視」に露骨に直面してしまったので、院生時代にもまして、いろんなところでいろんなテーマに関して、好き勝手な内容の文章を書き続けた

さてここからは文学界連載の本文より。

ストーカー

法理論的に問題になるのは、「歪んだ恋愛感情」であることを、公権力が認定してもいいのか、ということだ。既に明白に「犯罪」に帰結していれば、警察が介入するのは当然であるが、それ“以前”の段階で、「心の中」を探って、「あなたの心は危ない!」という評価をすることは、近代法の大原則に反するのではないかと考えられる。
 (略)[規制対象になる行為は]普通の「片思い」においてなされる行為とも重なっている。健全な片思い/歪んだ片思いの区別を公権力が行なう(略)そういう法律が既にできてしまっている。そして、私たちの多くは、そういう法律が必要だと思っている。つまり、公権力が「心の中」に入り込んでくることを間接的に望んでいるのである。

煙草と2chとタワシ/ピラ松エリ

「私」はいまだかつて煙草というものを吸ったことがないので、寝煙草してしまうほど煙草に執着する人間の心境は、ネットに一日中釘付けになって、2ちゃんねるに人の悪口や汚いイラストを書き続けている人間の心境よりも更に想像しにくい。ついでに言うと、友人と言うべきものがいないし、恋愛体験というのもほとんどないので、大勢の友人・知人を招いて、派手な結婚披露宴を開く人の心境も想像できない。