カートはいま天国にいるよ

三冊まとめて。

国のない男

国のない男

カートはいま天国にいるよ

(略)われわれ人間主義者はできるだけ控えめで、公平で、誇り高くあろうと心がけるが、死後の世界で報われるとか罰を受けるといったことはいっさい考えない。わたしの兄姉は死後の世界なんかないと思っていたし、わたしの両親も祖父母も、そんなものはないと思っていた。自分たちが生きている、それだけで十分だと考えていた。
(略)
アイザック・アシモフの追悼会をしたとき、わたしはスピーチのなかで、「アイザックはいま天国にいるよ」と言った。これは人間主義者の聴衆の前で言うには最高におかしいコメントだったらしい。会場は大爆笑で、静かになるのに二、三分かかったくらいだ。もしわたしが死ぬとしたら、どうかこう言ってほしい。「カートはいま天国にいるよ」これがわたしの大好きなジョークだ。(略)

ユートピアと「新世界」』(菊池理夫)だけ読んだ。

アメリゴ・ヴェスプッチの「新世界」

は実在のアメリカだったのであろうか。モアがコロンブスよりもヴェスプッチを選んだ理由として、後者が黄金や宗教のためでなく、ただ「公平な観察の眼と心」をもった「科学的な人間」であったことを指摘する人もいる。しかし、ヴェスプッチのアメリカを「フィクション」とみなす者もいる。トドロフによれば、「新大陸」にアメリゴの名が与えられたのは、基本的には「アメリゴが主役を演じている報告のほうが、コロンブスの書簡……よりうまく書けている」からである。つまり、ヴェスプッチはルネサンスヒューマニストとして、古典の知識もあり、とりわけ修辞学に優れ、「文学資質」があり、コロンブスの航海記と異なり、つねに読者を楽しませるために書いているからである。
(略)
モアがヴェスプッチの航海をフィクションであると知っていたという指摘もあるが、そうかどうかは確定できないようである。

サルマナザールのデタラメ書

トドロフがヴェスプッチの著作と比較している、ジョージ・サルマナザールの『フォルモーサ国の歴史と地理に関する記述』について考えたい。これは1704年にロンドンで出版され、当時としてはかなりのベストセラーとなり、各国語に訳されたものである。その内容は、フォルモーサ(台湾)人であるサルマナザールが彼の経歴と当時ほとんど知られていなかった台湾の政体、宗教、風俗、言語などを図も混えて細かく描写したものである。しかし、サルマナザールとは、南フランスあたりで生まれたらしいが、最初は日本人を自称していたペテン師であり、これもかなり胡散臭いウィリアム・イネスという牧師の忠告によって、日本人よりも知られていない台湾人と名乗り、イギリスで人気者になった「虚構に賭けた男」である。彼の著作はもちろん「デタラメにしてはよくできた『デタラメの書』だった」。
(略)
 しかし、サルマナザールの作品をユートピア作品とみなす人がいる。フォルモーサ国ではその刑罰が極端に苛酷である。例えば、目上の者を叩いた者は手足の切断、聖職者を叩いた者は生き埋め、国王や役人を叩いた者は犬による八つ裂きの刑となり、このような刑罰によって「すべての住民は深い平和を享受する」。

よせやぃ。

よせやぃ。

毎度金太郎飴状態の中から「この話はしてなかった」というところ。

宗教的解放と人間的解放は違う

 いまもヨーロッパでは、日本でいうと被差別部落の問題みたいにゴソゴソ引っ掛かっているユダヤ人問題というのがあるんですが、たとえば「ユダヤ人問題もユダヤ教の問題で結局は宗教の問題だ。宗教の問題はキリスト教の問題もイスラム教の問題もある。唯物論を貫徹しようと思えば、みんなすっ飛ばしてしまえばいいじゃないか。みんな一様に否定してしまえばいいじゃないか」というのが当時の急進的な人です。(略)
 でもマルクスは、それはだめだと言っている。なぜかといえば「宗教的なものから解放されたとしても、それは人間的解放とは違う。別問題だ。そんなのを解放したって、なんということはない」というのがマルクスの考え方です。マルクスが当時の人たちとしきりに論争していることはそういう問題ですね。急進的な人は簡単だから「唯物論イデオロギーとしていいんだから、宗教なんて何教であろうと、みんな否定してすっ飛ばしてしまえばいいじゃないか」と言う。だけど「そんなものが究極の否定と関係があるように思うのは間違いだ。宗教的解放はそれで遂げられるかもしれないけど、人間的解放はそれとは違う」というのがマルクスの当時の主張です。
 むしろ当時の急進的な人を代表するのは『キリスト教の本質』を書いたフォイエルバッハなんですね。あの人は宗教否定ということを理念としてはっきりさせた、当時のそういう人たちの模範的な人です。でもマルクスはそうじゃないですよ。その前に自然哲学があって、「宗教的解放なんか人間が解放されるわけでも何でもない。人間的な解放というのは、そういう簡単なものではないんだよ」ということを言っている。それが『ドイツ・イデオロギー』の論争の本当の根本的なところです。

  • 明日に向けてとろける脳髄

衝撃コントで幕を開けて三タテ。

小笠原とは今季1試合の対戦で、9回を1点に抑えられている。メンバー発表後、ベンチ裏の資料室へと出向いた篠塚打撃コーチは「むちゃくちゃだなあ。小笠原だからって“ハイ、やめた”というわけにはいかないだろ」。ミーティングでの小笠原対策は「やってねえよ」。気持ちを落ち着けるためか、手にミルク味のあめを持っていた。

これだけ強くてもマスコミを無視すると落合竜は不人気でダメだとかなんとかマスゴミときたら。
難病死子供絡みで「64」をスタメン表を書き込んで以来ロッキーズ連勝、このあいだの試合のスコアも「6-4」と、ちょっと“オカルト風味”いい話を国営放送でやっていたのだが、wikiを見たらこんなことが。

プロスポーツチームとしてはかなり異色の存在で、チームとしてキリスト教信仰を重視しており、ロッカールームやトレーニングルームからは俗世的な雑誌は排され、スポーツ雑誌等の他に聖書が置かれている。

李炳圭」で検索して朝鮮日報に辿り着いたら、「元「レッドソックス」チェ・ヨンイン挑発フェロモン」という見出しで韓国美人が、だっつーの(←あえてリンクはつけません)。明日ゆうか似の「骰子K」が炎上したらシヌ。前回だって調子はよかったんだよなあ。出会い頭の一発と二球続けて内角にびしっと決めたのをボール宣告では(略)。心配のあまりろくに観てない九索ドラマの実況板チェック

さんまってさ
丸山弁護士に似てるよな


塚本の唇は何でいつも赤いんだ?
セクシーじゃねえかよ


もしかして塚本は死んでる役?

ああ、またくだらないことで時間を。