ユートピアの終焉・その2

流血の惨劇発生、でも意外と早く痛みが引いたので前回のつづきを始めてはみたがやはり不自由なので省略モードで。

夢の終焉―ユートピア時代の回顧 (りぶらりあ選書)

夢の終焉―ユートピア時代の回顧 (りぶらりあ選書)

人造人間のみがユートピアにふさわしい

 ラ・メトリが散々な仕打ちを受けたのは、物質は無機物と有機物を問わずあらゆるものを自ら組織形成する、とかれが初めて主張したからである。かれはいう、人間は複雑な機械にほかならない、死と生のあいだに境はない、神は存在しない、死後の生は存在しない、道徳への生得の素質は存在しない、なによりも、なにかの行為のゆえに良心のやましさをもつなどはナンセンスである、と。学者の世界もこれには呆気にとられた。
 (略)人間は機械であり、機械は人間である。(略)人造人間のユートピアは、精神は物質にほかならないという思想と同時に誕生する。(略)人造人間のみがユートピアにふさわしい理想的人間であるという危険なユートピア思想が発展する。

受動性の哲学

今日までずっと無視されてきたのは、かれの「受動性の哲学」である。「ここは、周りを見ても永遠の物質のほかはなにも見えない。諸君はここで、すべての生き物が完全な死滅を待ち望んでいることを醒めた気持ちで認めるであろう。そして最後には道徳律の巨木も諸君にとっては無価値かつ無意味に思われてくるであろう」と、ラ・メトリは『哲学著作集』(1751年)の序文でいう。
 ここでトマス・ホッブズの国家はある意味でその役割を終えたことになる。ラ・メトリにとってもホッブズにとっても、確かに人間は危険で陰険な動物である。しかしラ・メトリはこの事実からホッブズと同じ結論を出さない。反対にラ・メトリは、善悪の本能を制限するあらゆる道徳律と刑法から人間を解放することを要求する。この背後には、リヴァイアサンユートピアとはまったく異なったユートピア、すなわち自国の市民の生活にはできる限り干渉しない一国家のユートピアがある。
 「不干渉の原理」をラ・メトリは世界(と自然)に全体として適用したいと考える。ラ・メトリの考えを突き詰めていけば、世界の静観者としての、受動的不可知論者としての人間という理想は、狼としての人間のイメージと対立している。これは極東の哲学を思わせる観念である。

下記の記述のように9章以降はユートピアというより面白人物伝のようになっていってそれはどうなのかってカンジだが、話としては面白い。

十八世紀から十九世紀に転換するころ手を伸ばせば届きそうだったユートピアは、ますます遥か遠くに消えていった。(略)そして最後に辛うじて残ったのが大いなる栄達の夢、自分の腕一本で出世するセルフメイド・マンの夢であった。

大量観光事業は禁酒運動から

今後の会合には禁酒主義者をミドランド地方から汽車に乗せ、そのために鉄道会社に掛け合って大量割引きさせようと、歩いている途中で不意に思いついたという。こうして団体旅行が誕生した。この思い付きを得た男の名をトマス・クックという。(略)
[1841年]クックは初めての団体旅行に漕ぎ着けた。570名の禁酒主義者が朝早くから大歓声を浴びながら、列車に増結された無蓋貨車に乗り込み、楽団といっしょにアル中撲滅の横断幕を掲げて、立ちん坊のままレスターから11マイル離れたラフバラヘ向かった。(略)
 トマス・クックは鉄道運賃の値切りに曲芸を発揮したが、会社の設立が目的ではなかった。ほとんど手数料ゼロで、しかも純粋の理想主義から旅行を組織したのだった。しかしゼロから、純粋な思想から世界企業が誕生したという神話の背後には、クック父子のピューリタン的で冷酷なごり押し仕事が潜んでいる。一ペニーでもしつこく値引き交渉したり、策を弄しては出し抜いたり出し抜かれたりした。

ブルックナー

メキシコ内乱のあらゆる報道記事を憑かれたように追いかけ、内乱のさなかにベニト・フアレスに射殺された傀儡皇帝マクシミリアンの死体を見るためにあらゆる手立てをつくし(略)
死という人間の大団円を見たり、死の定めを背負った犯罪者を見たりするのがかれにはたまらない魅力なのだ。(略)
ピアニストにしてお気に入りの弟子、アウグスト・シュトラダルは、陪審裁判所の審理と処刑のニュースをこう報告している。「ブルックナーは神経質な貪欲さで貪るように読んだ。……なにか刺激的な事件が載った新聞を半ダースもかれに届けなければならないこともあった。……殺人犯の陪審裁判とか死刑執行とかいうことになると、ブルックナーはもう何日も前からそわそわして眠れなかった。たとえばあの悪名高い女性殺しフーゴー・シェンクの裁判が始まったとき、ブルックナーはわたしに、自分も審理に同席できるよう、そしてできることなら死刑執行にも立ち会えるように(略)……そこでわたしは先生を陪審裁判所法廷に案内した。……ブルックナーはひどく興奮していて、……もっとよく殺人犯が見えるようにと、たびたび椅子から飛び上がって静粛を乱し、とうとう廷吏がわたしたちのところにやって来て、先生に沈黙するよう命じた。

原子力都市

 ユートピア的メンタリティーを示す実例は、ロシアのシベリアにある原子力都市クラスノヤルスク26の住民である。この場所が計画され建設されたのは、まだ50年代のことだった。人口約20万のこの大都市はどんな地図にも見つからない。都市は周囲を何重もの安全ベルトで囲まれていて、資格証明書がなければだれも境界を通ることができない。クラスノヤルスク26は閉ざされた都市である。その中心部は立ち入り禁止区域で、ここに世界最大の原子力工場のひとつがある。(略)スターリン主義バロック様式が町並みを占めている。住宅は大きいし、生活の程度は高い。いささか混沌とした国内情勢について住民はほとんどなにも感じない。生活状況をたずねられた人びとは、閉ざされた都市に住んでいることを喜んでいる。よその土地の犯罪とか物騒な状況などを考えると、ぞっとするという。その代わり、大多数の住民は移動の自由の制限と原子力施設の危険性に甘んじている。

  • 噛まれて候

日暮れ時、通りがかった店先で犬がさびしげにしていたので、初接近して手を出したらいきなり噛まれた。生まれてはじめて噛まれたYO。いつもかまっている犬でもそれなりに気をつけているのだが、今日は油断していたというか、相手が寡黙なテロリストだったのか、右手母指球をがっつり噛まれた。掌に血をためつつ、10分後に帰宅。噛み傷はピンポイントだからか血は止まってた。ズキズキした痛みは二時間経ったら消えたYO、人間て強いね。このまま医者に行かずに済むのか、奥から化膿してくるのか。当分は不自由しそうであります。