《カム・トゥゲザー》と月面着陸

前日のつづき。

ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実

ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実

アビイ・ロード》セッション

アビイ・ロード》のレコーディングでは、だれもが口をつぐんでいるような感じだった。できるだけ波風を立てないように、おそるおそる歩いていたといえばいいだろうか。ポールは口出しを控えていたし、ジョンの辛辣さも薄れていた。(略)リンゴは相変わらずリンゴだったけれど、「オレはスターだ」的な態度が、少し目につくようになっていた。
 たぶん、最大の変化を見せたのはジョージ・ハリスンだろう。今までよりもはるかに自信に満ち、物怖じしなくなっていた。

 ジョージの場合、ミュージシャンとしての成長ぶりは、ほかのメンバーに比べて直線的だったと思う。レコーディングをはじめたころの彼は、とりたてて上手いギタリストではなかったが、着実に腕を上げつづけ、最終的には決してあなどれない技量の持ち主になった。インド音楽に目覚め、何種類ものポリリズム(そして西洋音楽よりもずっと複雑な音階)を駆使したサウンドに親しんだおかげで、もはやヨーロッパやアメリカからの影響とは無縁なスタイルを築きあげることができたのだ。ギターに対する彼のアプローチは、どの点から見ても東洋的で、それがビートルズ末期のレコーディングを大きく特徴づける、独特なサウンドをかたちづくったのである。

「オレのビスケットを一枚食ったんだぞ!」

スコットランドで自動車事故を起こしたジョン夫妻。ジョンは事故車をオブジェにしてやろうとレッカーしてくるくらいに元気だったが、ヨーコはまだ調子が悪いとスタジオにベッドを持ち込む。薄物のナイトガウンと傷隠しのティアラのヨーコが物憂げにベッドに横たわっているという恐ろしい光景。そして、ヤンヤーヤ、マクビティ事件が。

[互いの軽食には手を出さないのビートルズの不文律w。上の調整室でビートルズがプレイバックを聞いていると、ヨーコが自分のビスケに手を出したのをジョージ目撃]
「あのクソ女!」
 全員がぎょっとした顔になった。だが彼がヨーコのことをいっているのは、火を見るよりも明らかだった。
 「オレのビスケットを一枚食ったんだぞ!」とジョージがつづけた。いっさい譲る気配はない。あのビスケットは私有物であり、何人も近づくことは許されない、というのが彼の考えだった。
 ジョンは反撃しようとしたが、これはどう見ても彼の妻(略)のほうが分が悪かった。なぜなら彼も、食べ物に対してはまったく同じ態度を取っていたからだ。
 実のところこの口論は、ビスケットというよりもベッドに関するものだったと思う。みんな、ほとほと嫌気がさしていたのだ。ジョージがいわんとしていたのは、「もしヨーコがベッドを出て、オレのビスケットを盗み取れるぐらい健康なら、そもそもあのしょうもないベッドに寝てる理由なんてないんじゃないか」ということだったのである。

《カム・トゥゲザー》と月面着陸

 最初にアコースティック・ギターの弾き語りで聞かされたときは、最終的にアルバムに収められるヴァージョンよりも、ずっとテンポが速かった。もっとテンポを落として「スワンプ」っぽいサウンドにしてはどうかと提案したのはポールで、ジョンもそのアイデアを、文句ひとついわずに受け入れた――建設的な批判には、いつも寛容だったのだ。
(略)
ポールに対するジョンの態度も、かなりぶしつけだった――〈カム・トゥゲザー〉の大きな特徴となるエレクトリック・ピアノのリフと、急降下するベース・ラインを考えだしたのは、彼だったにもかかわらず。しかもジョンはそのピアノを、自分で弾くといって聞かなかった。ポールの肩越しにのぞきこんで、彼のパートを覚えてしまったのだ。(略)
[さらにバッキング・ヴォーカルまで一人でやってしまう]
「ジョン、ぼくはこの曲でなにをすればいいんだ?」となかば怒ったような口調で問いただした。
気圧されたジョンは、「心配するな、あとでオーヴァーダビングする」と答えた。
ポールは少し傷ついた顔になり、次いで怒りをあらわにした。
 一瞬、ぼくは彼が感情を爆発させるのではないかと思った。だが彼は自制し、肩をすくめると、そのままスタジオを出ていった。
(略)
 ぼくらが〈カム・トゥゲザー〉の作業をしていたのは、おりしもアポロ11号が月に着陸しようとしていたころのことだった。深夜にセッションが終了すると、ぼくは大急ぎで家に帰り、新しく買ったカラーテレビで、ニール・アームストロングの歴史的な最初の一歩を見た――残念ながら、月からの中継は白黒だったけれど。

《ジ・エンド》

ジョンがギターバトルを提案、ポールはさらにライブでやろうと。雰囲気を台無しにしないよう、ジョンはついてこようとしたヨーコを押し止め、三人だけでスタジオへ。

ポールが最初のソロを弾くと宣言し、これは彼の曲だったため、ほかのふたりもうなずいた。いつも競争心旺盛なジョンは、エンディングにうってつけのアイデアがあるといいだし、彼が最後に弾くことになった。[こうしてジョージは真ん中に]
(略)
[三人は]まるで少年時代のように、いっしょに音楽をプレイする喜びにひたっていた。肩からギターを下げ、勝つのはオレだといわんばかりの表情を浮かべ(略)
驚いたことに彼らは、ごく簡単にリハーサルを済ませると、このソロを最初のテイクでものにしてしまった。(略)全員、満面に笑みをたたえていた。
 なんとも心温まる瞬間で(略)三人がコントロール・ルームに戻ってくると、ぼくはひとりひとりにおめでとうをいった。とりわけジョージのプレイに圧倒されたので、彼がドアから入ってきたとき、「今のはほんとにすごかったですよ」と声をかけた。ジョージはちょっと驚いたような顔になり、けれどもぼくにうなずきかけて、「ありがとう」といってくれた。個人的なレヴェルで彼と心が通ったと実感できた、数少ない瞬間のひとつだ。
 もしかしたらソロを弾いていたとき、いっしょにプレイするのはこれが最後になると彼らにはわかっていたのかもしれない。(略)
 ぼくにとって、このセッションはまちがいなく、1969年の夏のハイライトだったし、いまだに三人のギター・ソロを聞くと、決まって笑顔を浮かべてしまう。

もしも《アビイ・ロード》が《エヴェレスト》だったら

何週間も前からビートルズの四人は、新しいアルバムのタイトルについて、活発に議論を戦わせていた。案は山のように出ていたが――《フォー・イン・ザ・バー》〔「四拍子」と「バーの四人」のふたつの意味をかけている〕や《オール・グッド・チルドレン・ゴー・トゥ・ヘヴン》〔子どものはやし歌の一節で、〈シー・ケイム・イン・スルー・ザ・バスルーム・ウィンドー》の歌詞にも流用されている〕――なかでもいちばん有力なのが、当時のぼくが吸っていたタバコの銘柄にちなんだ《エヴェレスト》というタイトルだった。(略)
巨峰の前で、いや場合によってはその頂上でポーズを取るビートルズ
 ヂベット行きのアイデアは二週間ほどなかば真剣に検討され、ポールは日増しに盛り上がっていたが、逆にリンゴはどんどん盛り下がっていた(略)
[ジョンとジョージも結局リンゴ側につく]
「エヴェレスト行きがボツってことになったら、ぼくら、どこに行けばいいんだ?」ある日の午後、ポールが憤懣やるかたない様子で訊いた。
 ジョンとジョージは面食らったような顔になった。するとリンゴが口をはさんだ。
 「だったら外で写真を撮って、《アビイ・ロード》ってタイトルにすればいいだろ」と彼は冗談のつもりでいった。
 信じようと信じまいと、アルバムのタイトルはこうして決められた。アビイ・ロードのお偉方たちは、長年にわたり、スタジオに対する彼らの愛情がこのタイトルの由来になったと主張してきたが、実際にはなんの関係もない。むしろ、あの当時の彼らはこの場所を嫌っていた。単純に、できるだけ近場で済ませたかったというだけの話なのだ。

うん、たしかに酔ってるな

[エンジニア仲間四人パブで痛飲]
ぼくのささやかなチームは、真夜中ごろ、路上でタクシーを拾おうとしていた。すると白のメルセデスが目の前で急停車し、ドライバーが窓を降ろした。ジョージ・ハリスンだ。彼は不安定にゆれ動くぼくらをしげしげとながめた。
 そして表情をいっさい変えずに、「うん、たしかに酔ってるな」
 それだけいうと彼は窓を上げ、そのまま走り去った。なんとも「モンティ・パイソン」的なエピソードである。

《バンド・オン・ザ・ラン》

ナイジェリアのEMIスタジオで録音。ある晩クラブにフェラ・クティ政治犯として投獄されたりもしてる)を聴きに行って全員感動してると。

 休憩中に、数人のミュージシャンがぼくらを訪ねてきた。ミュージシャン同士の交流[かと思っていたら](略)
訪問客は怒りに燃え、敵意をむき出しにしていた。
 「おまえら、オレたちの国でなにをしてるんだ?」彼らのひとりが口を開いた。「どうせオレたちの音楽とリズムを盗みに来たんだろう。とっとと自分たちの国に帰ったらどうだ?」
(略)
[ラジオでもフェラが同様発言。誤解をとくためフェラをスタジオに招くことに]
ある日の午後、むっつりした表情のフェラが、ヤクザめいた取り巻きを引き連れて登場し、コントロール・ルームの奥の席にどっかと腰を下ろした。ビクビクものでテープを装着し、作業中の曲を何曲か聞かせる。なんともホッとしたことに、彼はぼくらがアフリカのリズムを盗んでいないことを納得してくれた。実際の話、あのアルバムに、アフリカからの影響は皆無だった。

というわけで94年MM掲載の極太ガンジャで決めポーズのフェラ・クティの勇姿を添えてサヨウナラ。