NGOはネオリベのトロイの木馬

NGOは「グローバルなネオリベラリズムのトロイの馬」

 必要に迫られた個人の多くは、自らの権利を追求する財政的資源を持たないものだから、こうした理想を表明する唯一の手段は、代わりに利益を追求してくれる代弁者集団を形成することだ。そうした集団やNGOの興隆も人権言説と同様、1980年あたりからネオリベラルな転換とともに目だって増えてきた傾向である。NGOも多くの場合、国家が社会的寄与活動から撤退した空白に乗りこんできたのであって、それがNGOによる民営化プロセスとも言えるものとなり、さらに国家の社会的活動からの撤退を加速することになった。よってNGOは「グローバルなネオリベラリズムのトロイの馬」としても機能するのだ。さらに言えば、NGOは民主的な組織ではなく、エリート主義で説明責任がなく、定義上、いかに善良な意図があろうともそれが保護したり助けようとする人々とはかけ離れた存在である。NGOが何を目的としているかを隠して行動することはしょっちゅうで、国家や階級権力と直接交渉して影響を及ぼそうとすることを好む。顧客の利益を代弁するよりもそれをコントロールし、自ら語ることのできない者たちになりかわって語ろうとし、そうした者たちの利害を定義してしまおうとさえする(まるで普通の人々にはその能力がないかのように)のがNGOなのだが、その位置の法的正当性はつねに疑われてしかるべきだ。たとえばそうした非政府組織の活動によって、普遍的な人権の問題として幼年労働が撤廃されたとして、生存のためにそうした労働の不可欠な経済がおびやかされるということがありうるし、経済的に別の選択肢がないために、幼年労働の代わりに売春に追いやられるかもしれない(かくして他の代弁者集団がこんどは売春の撤廃をもとめることになる)。「権利をめぐるおしゃべり」の前提とされている普遍性と、NGOや代弁者集団の普遍的原則への献身なるものは、現地の特殊な現実と政治経済的な日々の営みにそぐわないことも多いのだ。

IMFネオリベ化のきっかけ

貸付はUSドル建てなので、アメリカでの利率が少しでも、あるいは急激に上がりでもすれば、借りた国々は容易に返済不能におちいり、ニューヨークの投資銀行は多くの損失を抱えることになってしまう。こうしたことの最初の試練が、ヴォルカー・ショック後の1982年から84年にかけてメキシコが債務不履行になったときに起きた。政権最初の一年、IMFを支援することから手を引くことを真面目に考えていたレーガン政権は、アメリカ合州国財務省IMFとの力を糾合して、借金の支払いを繰り延べし構造改革に取り組むことで困難を解決する方法を見いだす。そのためにはもちろんIMFケインズ主義から通貨政策の理論的枠組みに転換することが必要だった(これがすばやく果たされたことで、IMFは経済理論における新たな通貨政策の正統派として、グローバル権力の中心となる)。借金の返済計画を変更する見返りに、メキシコは組織的構造改革をせまられ、福祉予算の削減、労働法制の緩和と民営化を行わされ、それが後に「構造調整」として知られるようになる。こうしてメキシコは部分的とはいえネオリベラルな国家装置の一員として加わらざるをえなくなり、かくしてIMFが世界中でネオリベラルな政策を促進するだけでなく、しばしば強制的に押し付ける鍵となる機関として伸しあがるきっかけが作られたのである。

リベラリズムネオリベラリズムとの決定的な違い

 メキシコの事例がここで提示しているのは、リベラリズムネオリベラリズムとの決定的な違いのひとつだ。前者において貸し手は誤った投資判断から生まれた損失を引き受けるが、後者の場合、借り手が国家と他の強国によって借金の返済にかかわるコストをすべて引き受けることを強制され、それは現地の人々の生活や福祉にどんな影響が出ようともお構いなしに行われる。もしそれが外国の企業にタダ同然で国の資産を売り渡すことであったとしても、仕方がない。グローバルなレベルで金融市場の再編が行われたことによって、ネオリベラリズムのシステムは基本的に完成されたと言える。デュメニルとレヴィが示すように、この結果、アメリカ合州国の富裕階級は世界中からきわめて高い利益を還元してもらえることになったのだ。