わかったふりして、立花隆

書評本かと思いパスしかけるも、前半は書庫ビルw内を探訪しつつの想い出話に花が咲き、銭勘定&ノンフィクション恨み節に興味を惹かれ。

ぼくの中ではずっと、文筆の世界におけるノンフィクションの格下意識が抜けませんでした。ぼくだけじゃなくて、古い世代の出版人一般の意識の中には、今でもそういうところがあるんじゃないかな。作品の評価においても、作家の評価においても。早い話、原稿料ひとつとっても、小説家の先生の原稿料とノンフィクションのルポライターのトップクラスの人の原稿料をくらべると、ちょっと前まで天と地とはいわないまでも相当にちがったものがあった。今ではその格差が相当ちぢまったけど、昔はめちゃくちゃちがった。ぼくが文春にいた頃、文筆家で「先生」呼ばわりされるのは、小説家だけだった。ノンフィクション作家で、「先生」と呼ばれるようになったのは、晩年の大宅壮一ぐらいじゃないかな。「週刊文春」のトップ屋出身だった梶山季之なんか、人気作家になっても、文春社内では、「先生」と呼ぶ人は誰一人いなかった。ぼくのちょっと上の世代の編集者からは、せいぜいが仲間扱いで多くは目下扱いだった。女性週刊誌のトップ屋だった草柳大蔵にしてもそうじゃないかな。「先生」になるのはずっと後、本を何冊も出してからですよ。

原稿料

ぼくが文春を辞めて、はじめて原稿料をもらうようになった頃、匿名原稿だとせいぜい四百字一枚二百円台です。ぼくが文春を辞める頃の給料が約二万円ですから、百枚書いて給料分だった。辞めたときの退職金が四万円で、辞めた週はまだ取材途中の原稿があって、辞めた後で仕上げたんだけど、その分は原稿料が一銭も出なかった。そんな扱いだったんです。辞めてしばらくして署名で書くようになったけど、それでも一枚三百円台です。小説家の先生の場合、小説でなくてもルポでも雑文でも、大家でなくても、ケタが遣う金額が出ていた。原稿料以外の取材費でも、我々は基本的にアゴアシ(食事代と交通費)と日当だけですが、作家の先生を派遣してルポを書いてもらうとなると、これまたケタちがいの取材費が出た。大家になると、担当編集者がお付きでいって、取材のアレンジなど全部面倒を見た。

週刊誌登場により小説から特集記事に

 こういう状況が急速に変わっていったのは、週刊誌の登場によってです。週刊誌には、連載小説もありましたが、連載小説だけでは売れない。それより魅力ある特集記事がどれだけならぶかのほうがずっと大事です。特集記事はチーム取材で作ります。特集記事のよしあしは書き手の筆力にもよるが、なによりもチームの取材力がものをいう。いい取材には金がかかるということで、各社取材に金をかけるようになった。ベージ単価で、大小説家の連載小説より、ずっと金がかかった大型企画の特集記事が出てくるようになる。それだけ金をかけても、それが大きく売り上げ増進に寄与し、コスト的にも十分引き合うという時代がやってくるわけです。
 その延長線上に生まれたのが、「文藝春秋」の「田中角栄研究」(1974年11月号)だったわけです。
(略)
担当編集者も執筆者であるぼくも「週刊文春」出身で、取材記者も大半がそうでした。それは費用もかかりましたが、十万部単位の売り上げ増進をもたらしたので、営業的にも大成功をおさめた。あの記事の制作コストは全部で約百万円ですが、これは雑誌記事の取材費として前代未聞でした。
(略)
 あのあたりで、大きな事件があると作家の先生に何か書いてもらうという日本の雑誌社特有の習性がなくなった。事件ものは、自社の取材班と社内ライターないし、プロのライターでやるという体制に完全に変わった。

わかったふりして、ハハンハン。
半可通で、いーーーんです。
半可通にすぎないという自覚も必要だけどw。
オマエモナー、隆。

早読みと早書きの間を結ぶ能力として、もうひとつ大切なのは、「早呑みこみ」です。資料をゆっくり読んで、事情をすっかりつかんでから取材するのでは遅すぎます。だいたいわかったところで、いかにも事情に通じている風をよそおって、取材に行かなければならない。取材で聞く話の中に、よくわからないことが出てきても、フンフンといかにもわかったような顔をして話を聞きつづける。わからないところは、あとで大あわてで調べる。次の人を取材するときには、大あわてで調べた生煮えの知識を、さも前から知っていたかのごとくよそおって相手にぶつけ、さらに取材を深めていく。こういう、「半可通能力」を身につけなければならないわけです。
(略)
半可通になることはジャーナリズムの世界でどうしても身につけなければならない能力です。しかし、それで満足してはいけない。しかし、半可通でいれば仕事ができてしまうのがジャーナリズムの世界です。そういう状況に身も心もスポイルされて、半可通で大口を叩くことだけをもってよしとする鼻特ちならない人間がジャーナリズムの世界には多すぎます。
 「自分が半可通にすぎない」という自覚があればまだいいんですが、その自覚が全くない連中が多いんです。半可通の世界の向こう側にいる「全可通」の人間に対するリスペクトもなければ、自分も全可通の人間に少しでも近づきたいという志もない。

週刊文春」の「ピンク・コーナー」のお色気ジョークから、「ヤングレディ」のアンカーマンまで

「ヤングレディ」でも、自分で書いた「泣かせ」の文章に自分が感情移入してしまって、書きながら涙を流したことすらある。
(略)
ぼくがアンカーマンをしているときに、下に取材記者としてついた人の中に、(略)梨元勝がいたし、(略)鎌田慧もいた。(略)谷口源太郎なんかもそうです。
(略)
アンカーの仕事は、基本的に〆切日だけです。〆切日の夕方行って、朝までに原稿を仕上げる。それで結構な原稿料が貰えるから時間効率はものすごくいい。これなら学生生活と両立します。はじめは文春と講談社のカルチャーのちがいにとまどいましたが、職人仕事の要領に慣れると、楽にお金が稼げるので、だんだんこれが主要な収入源になりました。
(略)
なにしろ、文春を辞めたら、給料が全くなくなった上に、学費まで払わなければならない身分になったわけです。一応奨学金はもらっていたものの、生活費プラス学費プラス「読みたい本の本代」を稼ぐのが大変だったんです。

リクルート

大学生のときに、リクルートの前身である「大学広告」という会社でアルバイトをかなり長期間やっていたんです。(略)
文春を辞めて、収入が激減して困っていた頃、またリクルートに出入りして、昔のよしみでいろんな仕事をもらった。主としてリクルートが毎年作って学生に配っていた学生向けの企業紹介本「リクルートブック」の原稿書きです。一種のコピーライター的仕事ですね。求人会社がどういう会社で、どういう将来展望があり、どういう学生を求めているのかといったことを、資料をもとに四、五ページにまとめていくわけです。
 広告業界の仕事ですから、ジャーナリズムの仕事よりはいい収入になりました。
(略)
そういう付き合いが長くあったから、ぼくは江副さんをよく知ってるし、いまでも悪い感情は持っていません。

『過激派集団』

ここにある『過激派集団』という妙な本には五千円というとんでもない定価がついています(当時普通の本はせいぜい五百円だった)。この本は、古本屋で手に入れたものですが、編集も発行も公安資料調査会という実体不明の団体になっています。戦前の内務官僚トップだったA級戦犯被指定者・安倍源基が序文を書いていることから見て、公安警察筋が作った本であることほまちがいない。このような本が一般の書店に出まわったことはなく、これはこの価格からいっても日本中の公安警察に公費で購入させて公安警察官たちに読ませた資料と思われます。1967年から72年にかけて起きたあらゆる過激派事件の全貌が詳しく解説されています。公安警察にしか得られないような現場のウラ情報がいろいろ出ています。

共産党慰安婦問題w

 山下智恵子『幻の塔 ハウスキーパー熊沢光子の場合』(BOC出版部)は95年に出た比較的新しい本ですが、共産党幹部のハウスキーパーについて書かれた本です。ハウスキーパーというのは、共産党が地下に潜る幹部に付ける女性で、身の回りの世話から下半身の面倒まで見た存在なんです。熊沢光子は大泉兼蔵という中央委員のハウスキーパーになるんですが、大泉ともう一人の中央委員である小畑達夫というのがスパイの嫌疑をかけられる。
(略)
共産党シンパの女性にとって、幹部のハウスキーパーになるということはすごく名誉なことだったから、熊沢は大泉に身も心も捧げて一所懸命に尽くした。(略)で、リンチにかけられているうちに、大泉は自分が特高のスパイであることを自白する。小畑は何も自白しないうちに死んでしまう。宮本たちは小畑が死んだことに動転して、大泉をさらにぎゅうぎゅうやるんだけれども、殺すところまではいかない。一方、熊沢は死をもって身の潔白を証明しようと、大泉と一緒に死ぬつもりでいた。そうこうしているうちに大泉は必死で外に逃げ出して、戦後までずっと生きるわけ。ところが、熊沢光子は自分がそうとは知らずにスパイだった大泉に一時は身も心も捧げていたことを痛切に侮やんで自殺してしまうんです。そういう悲劇的な女性のことを書いた本なんです。
[この大泉、獄中の埴谷雄高の妻に自分のハウスキーパーになれと迫ったそう]

事実や科学が大好きな隆はわりと単純な人のようだ。「エロ、恥ずかしがることないじゃない、オープンでいいじゃない」というエロ健全派なのか、反権力エロなのかわからぬが、ともかくエロネタが好きのよう。

いや、「スコラ」の記事で鮮烈に覚えているカラーグラビアの特集があって、AV男優の加藤鷹とかいうのがいるじゃない。彼は指ひとつであらゆる女性に潮を吹かせてしまうという驚くべきテクニックを持っているんです。その技のはじめから終わりまで、丹念な分解写真に撮ってこまかく解説したものがのったことがあるんです。それは驚きでしたね。ほんとに潮が吹くんですよ。ピューッと飛んだり、ブシュブシュッとふぶいたり、吹き方はいろいろですが、あ、ほんとに吹くんだと思いました。

ああ、なんて、厨房ライクなノリ。事実に素直に感動します。題材がプロレスだからと井田真木子の受賞に断固反対した隆、でも潮吹きには感動。今は亡きクロネコさんの流血カットテクニックにも感動してくれないかい。介抱するふりしてドピュッピュッ。案外オオニタ流血には感動するタイプかもしれない。あ、ほんとの血なんだと思いました。