前日のつづき。今日はわりと下世話。
- 作者: 大森彌
- 出版社/メーカー: 東京大学出版会
- 発売日: 2006/09/01
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日中事変が始まった昭和12年に、戦争で相当損耗があるだろうということで、どの省も幹部候補生を、昭和15年以降、倍の人数とった。この諸君は相当戦争に行ったが、戦争に行っても死なないんですよ。おかしいですね。戦争中は比較的ラクなところにおったとはいえるが、インパール、ニューギニアに行っても、シベリアに抑留されても損耗せずに帰って来る。内地に残った連中の損耗率と戦地へ行った損耗率と同じくらい。大体一割くらいしか減らなかった。それでここへきて行詰まってしまった。仕方がないんで、部長、次長、参事官、審議官というヘンなものをつくったでしょう。全部そのためなんです。それが上のやつを突出すわけです。だから上のやつは長居できなくなって、公団、公社をつくらなければならん、というところまできたんです。
(1969.5.26毎日新聞/今井一男・松岡英夫対談)
内閣法制局は、
一般の人にはほとんど知られていない行政機関であるが、霞が閣では「うるさい」あるいは「恐い」存在といわれる。内閣としての最終的な法律判断を下す機関とされているからである。法律案は各省庁の所管課が作成するが、国会上程の前の閣議にかけるためには内閣法制局の審査を受けなければならない。
(略)
実際に法律案が国会で可決されて法律になるには関係者への根回しが必要である。(略)
内閣法制局の審査の見通しがつくと、各府省庁に法律案を送って意見や質問を求める。分担管理の縄張りを少しでも荒らすような内容であれば他省庁からクレイムがつく。異議が出れば省庁間の話し合いになるが、その場を合議といい、駆け引きが行われた後に手打ちが行われる。この手打ちのことを覚書交換という。(略)
最近では公式の文書として覚書を作成すると情報公開法で開示させられるおそれがあるため覚書とは呼ばずにメモの形で「合意書を調停する」などということが多くなったという。(略)霞が関ルールでは、この覚書に違反することはできないことになっている。(略)
その不透明さが問題となり、1998年3月、内閣官房長官は、「覚書」をできるだけ速やかに公表するよう各省庁に指示している。
国会対策
国会開会中に、自分の課に関係する質問があると議員への質問取りと答弁作成のために「当たり」がなくともすべての議員の質問が出尽くすまで役所で待機しなければならない。(略)
[議員から質問通告が来ると]
所管課の担当者(課長補佐クラス)が議員会館など議員のところに出向き質問内容をうかがう。(略)この質問取りの首尾、不首尾により課長補佐の力量が問われたりする。所管課にとって最も望ましいのは議員が質問を取り下げてくれることだという。
議員が早めに質問を明示すれば早く帰れるのに
国会議員からの質問取りが終了すると「これで本日の国会連絡を終わります」という庁内放送が流れる。これを戦時中の「空襲解除」をもじって「国会解除」と呼んでいる。何もなければ終電前くらいには解除になるが、長引けば午前0時を過ぎてから「国会解除」のコールが流れ、待機していた職員が一斉にタクシーで帰る。このためだけではないが、霞が関の官僚が一年間に使うタクシー代は年間約60億円と推計されている(略)
全省庁、全部局、全課の待機は十年一日のごとく続けられている。例えば質問する議員の側で前前日の夜までには質問要旨と要求大臣名を明示し、前日正午までには必ず質問レクを行うことにすれば待機残業はかなりなくなるはずである。しかし、こうした点に国会議員は無頓着である。
国会答弁における「過切な言葉」
「前向きに」は「遠い将来にはなんとかなるかもしれないという、やや明るい希望を相手に持たせる言い方」、「鋭意」は「明るい見通しはないが、自分の努力だけは印象づけたいときに使う」、「十分」は「時間をたっぶりかせぎたいということ」、「努める」は「結果的には責任を取らないこと」、「配慮する」は「机の上に積んでおくこと」、「検討する」は「検討するだけで実際にはなにもしないこと」、「見守る」は「人にやらせて自分はなにもしないこと」、「お聞きする」は「聞くだけでなにもしないこと」、「慎重に」は「ほぼどうしようもないが、断りきれないとき使うが、実際にはなにも行われないこと」などである。
(2004.8.7/朝日新聞)
憲法第65条問題
[1996年菅直人が]「憲法第65条の行政権の中に自治体の行政権は含まれるのか、含まれないのか」と質問したのに対し、その「行政権の範囲」について法制局長官はこう答えた。「憲法第65条の『行政権は、内閣に属する』というその意味は、行政権は原則として内閣に属するんだ、逆に言いますと、地方公共団体に属する地方行政執行権を除いた意味における行政の主体は、最高行政機関としての内閣である、それが三権分立の一翼を担うんだという意味に解されております」と。
これは、国の行政機関に過ぎない中央省庁が自治体の行政をほぼ全域にわたって統制する現状が憲法第65条にいう「行政権」の範囲を超えており、憲法上の疑義があることをうかがわせる解釈である。その意味で、この見解は、憲法第92条に謳われた「地方自治の本旨」を覚醒させる意味合いを持つものといえよう。