エレクトロショック

カーリー・サイモンの「ワイ」とあって、よくよく考えると「Why」のこと。お前は欧米かっ!と言おうとしたらホントに訳者は欧米だった。そんなわけで訳は日本語としてちょっとヘンなところも。

エレクトロ・ショック

エレクトロ・ショック

マッド・マイク

[モータウンに「フォー・ガールズ・オンリー」という名前でボーイズ・バンドとして売り出されそうになって拒否、スタジオ・ミュージシャンとして契約、一方ジェフ・ミルズも苦戦中]
俺たちふたりは、ニガーのゲームに入ることを拒むパブリック・エネミーが好きだった。見ろよ、俺たち黒人は、アメリカではミュージック・ビジネスで成功するために、必ず変装したり、メイキャップしたり、スパンコールを着たり、道化てみせなければならなかったんだ。俺はスポーツマンと労働者の家系からきている。つまり、俺の家はこういったくだらないニガーのショーには反対だったんだぜ!」「ピカピカの洋服、ヒモが身につけるすべてのものを拒絶する環境で育てられたんだぜ。ゲットーで生きるってことは、ピンプのように行動することではないからな。俺は家族からひとつの価値観を教え込まれた――労働だよ。ヒモ、売春婦、売人、モデルなんかじゃねえ。俺は成長しながら、こういう連中に対してとても厳しくなった――俺が“ショーボート・ニガー”と呼ぶようにな。連中は俺にとってたんなる肉弾に過ぎなかった。そして、だからこそパブリック・エネミーみたいなバンドにはすぐにピンときちまったんだ。ヤツらにはとても強いパワー、とても強い効力があったからな!ヤツらのロゴは、真んなかにシルエットがある標的だよな。ヤツらが白人のエスタブリッシュメントに訴えていたのは、つまり――『このシルエットは俺で、そして俺は快感と標的のど真んなかにいる。金玉があるのなら撃ってみやがれ!』このせいでヤツらは裁判で訴えられたんだ。

モータウン創設者の偉大さ。

ただのゼニゲバじゃないのよと。

マイク・バンクス「俺の親の世代にとってベリー・ゴーディは希望のシンボルだったんだ。俺にとって〈モータウンミュージアム〉はそれを象徴している。なかに入ると、いまの俺の戦いが60年代と同じだってことがわかるんだ。しかも、ゴーディは俺たちが現在使っているテクノロジーを持たずに勝ったんだぜ。(略)
べリー・ゴーディはまだ黒人が人権のために闘っていた頃に〈モータウン〉の音楽で世界に侵入したんだぜ。それはコミュニティのプライドってもんだ。だが、彼のシステムではミュージシャンは注目されず、苦しんでいた。彼らに起きたことは俺たちには起こらないぜ。俺は経営者とミュージシャンのあいだに立ってるからな。
ベリー・ゴーディはとても優れたビジネスマンだった。そして彼は立ち向かわなければいけなかった。たとえばドラッグをやっていたアーティストが稼いだ金を彼の母親に渡すとかな……俺は成功したときの裏面もわかるよ。この町で成功すると、おまえと一緒に仕事をしたがる3000人の失業者がおまえを追ってくる。そんなの不可能だっていうのにな!」

街を離れる訳

ケヴィン・サンダーソンを非難する人がいる。『ケヴィンは身を売った。白人居住区に移住しやがってよ』って言うんだ。だが彼は他に選択肢がなかったんだよ。それを『ノー』と言えなかった。なぜなら、たとえば『子供が食べるものがない』とか、苦しんでいるヤツがケヴィンに500ドルを要求しに来ると、ケヴィンは金を与えていたよ。ここじゃそんな調子だから、もしケヴィンが郊外にでも引っ越していなければ、彼は自分の家族の生活費さえ出せなくなっていただろうよ。ベリー・ゴーディはこのプレッシャーと同じようなジレンマのなかに生きていたんだ。1972年に彼はハリウッドに移ることを決めた。映画をプロデュースしたかったわけだが、〈モータウン〉で儲けた金を欲しがっていた人たちからくるプレッシャーもこの決断に関係しているんだ。同じプレッシャーのなかで生きているからわかるよ。

サブマージ設立

マイク・バンクスはURから得られたすべての利益をコミュニティ(地区の諸団体、託児所など)、そしてレーベル・オフィスの建設に投資した。
「〈サブマージ〉の工事の経験からはいろいろと学んだよ。一緒に手を汚してくれると当てにしていたヤツらは結局工事には来なかった。サポートしてくれたのは、従兄弟と数人の友だちだけだった---で、手伝ってくれたヤツらのほとんどがドラッグをやっているんだ。今回の経験をするまで、俺はそんな彼らのことを考えるとやるせない気持ちだった。ある日、工事を最後までやり遂げる金がないことに気がついた。俺は彼らに言ったんだ。『みんな聞いてくれ、終わりだ、続けられない、一銭もないんだ』従兄弟のクリフが俺に言った。『金のためにここにいると思ってるのか? これっぽっちの賃金のために! 俺たちはこの建物が完成するところを見たいだけだ!』俺は動転した。ドラッグによって連中が引き受けている問題を思えば、俺が工事で困るなんて大したもんじゃない。そのとき俺は、人をつまんないことで判断してはいけないと思ったよ。
「〈サブマージ〉の建物は俺たちのレコードを買ってくれた人たちに捧げる。儲けた金はここに投資されている。まわりの人たちに自分が持っているものを伝えたい。工場でロボットのように働くよりは、作りたいと思っている人たちがここに制作しに来られるようにしたい。〈サブマージ〉では、みんなが役割とその正当性を持つことができる。学んで、そして伝えるんだよ。要するに『父さんはここで30年間働いたんだ。で、馬鹿野郎、レコードってのはこう包まないといけないんだ!父さんが見せてやるように』っていうことをね。

ガルニエのデトロイト訪問記

タクシーとの会話がはじまる。「ここに何しに来たんだ?」と訊いてくる。僕は考えて、答えた---「人に会いに……ここには前から来たかったんだよ、あのね……知りたいことがいっぱいあるんだ」沈黙。相手は、そして口のなかでこの言葉を味わうかのようにだらだらした声で「前から」を何回も繰り返し、そっと言う---「デトロイトを理解するために来たのか、それでは……」
僕は告げた---「通り道で見ないといけないものがあるんだ。ここから数マイル先にある」
「心配するな。この分はチャージしない」
「マイ・プレジャー……」
どこから来ているのかはわからないけれど、外から押し寄せるようにベースのヴァイブレーションが聴こえる。タクシーは夜のなかを走る。光るネオンが見える。バプティスト教会と、悪天候によって破壊された家々は酒の小売店と隣り合せに並んでいる。もっと遠くにはクラック・ハウス。(略)
風景は突然変わり、そしてタクシーはスピードを落とす。T型フォード車のライトが照らすと、穴が開いた建物の壁に色とりどりの壁画が描かれていた。色が薄くなったレンガの建物の壁の巨大な布には、こう書かれてある---「これからハイデルバーグ・プロジェクトの平和地帯に入ります」
壁に、地面に、見捨てられた車の骨組みに、反暴力とリスペクトの主張が丸い文字で描かれている。運転手は僕のほうを向くと---「ここは休戦地帯だよ。ここはデトロイトでは唯一いろんな人が互いに挨拶をして、一緒に祈ったりしてるところなんだ。ギャングもこの周辺を避けるほどにね!デトロイトもな、暴力はあるけど、しかし希望もある……」
そしてタクシーはまたエンジンをかけて、同じように廃墟となった風景を通り、ダウンタウンヘと戻った。死、ドラッグ、暴力、孤独を感じる。町は、あたかも外出禁止令が出されているかのようだ。

デトロイトにシーンはなかった

デトロイトは重大な文化的失敗だ。ここでは、過去にあったものは削られている。50年代の黄金時代の遺産であるイタリア系の劇場は駐車場へと変貌した。コンサート会場は同じままだ。グリーク・タウンのバプティスト教会まで行かないとダウンタウンには本屋すらない。そして、ここでは音楽は話題にすらなっていない。
帰国して、ヨーロッパではよく伝えられているデトロイトに関する偏見を繰り返し聞かされた。デトロイトのシーンに関する非常識な偏見をまた聞かされる。ファック・ザット・シット!デトロイトにはシーンと呼べるようなものは残っていない! シーンがあるなら、ナイトライフもないといけない。そして、組織、クラブ、ネットワークとかも。反応があって広がる欲望とかも。しかし、ここではすべてが傷を負っているんだ。
行く前に、僕はこの町の夢を見ていた。乱雑な町だと想像していた。まさにそうだった。絶望しながらも未来へのエキサイティングなヴィジョンがある。許し難い暴力がデトロイト・テクノの主役たちと関係を強く結んでいると思っていた。けれどそこで僕は間違っていた。みんな同じ理想を持ってやっているんだと想像したけれど、しかしそのなかの多くは。“デトロイト”のラベルを商売としていた。僕はがっかりした。

あと少しマンチェ話があるのだけど、メンドーなので明日につづく。