坂東眞砂子もビョーキだよ

kingfish.hatenablog.comでバカフェミ全開じゃねえかと書いた坂東眞砂子の話。
呉智英さんは動物愛護管理法のビョーキ精神を指摘してそれに比べりゃ、坂東眞砂子はそれなりにちゃんとした主張をしていると書いていたが、そうだろうか、坂東眞砂子もじゅうぶんビョーキバカフェミだと思うけど。

[まさこぉぉぉ!(バトーの声で/大塚明夫)]
以下の文は朝日新聞(1959/10/18)朝刊に掲載された文章である(前日のつづきで、大岡昇平全集15巻収録の文章から)。

大岡昇平全集〈15〉評論〈2〉

大岡昇平全集〈15〉評論〈2〉

『芝生と犬と』
(略)
この辺は大磯の町の東のはずれで、犬、ネコの子を捨てに来る人が多い。バンガローや貨別荘で一夏おもちゃにされたうえ、捨てられる犬もいる。そのうち風雨にたえ、町役場の野犬狩りをのがれて生き残ったやつが、付近の松林平原にバッコしている。(略)
[ノンビリ育った柴犬まがいの飼い犬が野犬ウェルカムな態度、そのうち二匹の子犬が我が家に定着]
一匹はしば犬まがいのオス、一匹はおよそえたいの知れない白い雑種のメスである。先日箱根の帰りに寄った横山泰三がメスの方を「ブリューゲルの犬」といったのはけだし適評。おそろしくやせているうえに、悪童に石でもぶつけられたのか、後足がビッコである。
しかし表情になんともいえず可愛らしいところがあるので、だんだん家人や子供がひきつけられ、つい縁先でビスケットをやったりする。野犬狩りにかかってはあわれであるから、朝の間だけつないだりすると、野犬の悲しさは、つながれるのがかえってうれしいらしく、おとなしく軒下を守っているのも、あわれさを加える。
ところが子供だとばかり思っていた犬の、腹がだんだん大きくなってきたのに驚いた。この雑犬から、また子供が生れるのでは、いかなる超雑種が出現するか、考えるだけでもゾッとする。子供はどうせ捨てなければならないが、ブリューゲルの子では、どうせ幸福な生活は送れないであろう。ビッコの親だって同じことである。可哀そうだが、いまのうちに保健所へ連れて行って薬殺してもらった方が、みんなのためだ、と理性的な主人は提案してみたが、さてその保健所まで連れて行き手がない。(略)
[結局家族に押し切られ正式に飼い犬とし、獣医のところへ]
「子供は産めないかも知れませんね。第一親がまだ生後十ヵ月ぐらいで、ほんとは産んじゃいけないんですよ。しかしなかなか可愛い顔をしてるじゃありませんか。こんなのは案外いい子を産むもんです。お宅の犬がパパなんじゃありませんか」
お医者さんはなかなかうまいことをいう。子供は一匹を母体のために残し、あとは薬殺してくれるという。
もう一匹のしば犬のオスの方も、わが家の駄犬のご落胤かも知れないが、放浪中にかみつく癖がついてしまっているから、やがて危険になる。しかしだれも保健所へ連れて行き手がない。

40年前ならほのぼのエッセイで済んだろうけど、今ならクレーム殺到?。

  • 無責任にエサをあげないで!
  • 捨てるとは!
  • なんでも保健所かよ!
  • ビッコ!

でもともかく40年前は、かわいいからついエサをあげちゃって、子供ができると面倒になってという、人間のわがままが普通に許されていたのである。マサコに猫捨て宣言してもらわなくても、この文章でじゅうぶん今の動物愛護のビョーキぶりは指摘できるのである。ショッキングな物言いをしなければ世間に物申せない眞砂子もかなりビョーキなのである。
以下さらしあげ。
呉智英さんは動物愛護管理法のビョーキ精神を指摘するが、避妊から「生き物にとって、生きる意欲、活力、発展、成長といった豊穣性に通じる源だと」までいっちゃう眞砂子の中絶反対バカフェミ精神はビョーキではないのでしょうか。

日経のエッセイに書いたことは、「人は他の生き物に対して、避妊手術を行う権利などない。生まれた子を殺す権利もない」でした。
あのエッセイは現代社会の多くの問題を孕んだものだと思っています。そのひとつは、愛玩物として生き物を「所有」する人間の傲慢さです。
人である、獣の主人である、可愛がってやるから、という理由のもとに、自然から獣を引きはがし、さらに、存在意義の根幹となっている生殖機能を奪いとり、それが正しいのだ、と晴れ晴れした顔でいってもいいものでしょうか。
生殖機能とは、ただ身体器官のみのことではないと思います。それは生き物にとって、生きる意欲、活力、発展、成長といった豊穣性に通じる源だと、私は考えています。

タヒチで「自分で鶏を殺して、捌いて、料理して、食べるようになっ」た眞砂子

自分で殺せないで、鶏の肉を食べるなんて、おかしい。なんとか鶏を殺せたのは、そんな意識のためだった。
最近、私は、自分の手で殺せる範囲の獣の肉を食べる、という食事の指針を作った。そう決めないと、生きていくために他の生き物を殺して食べるという行為に対して、自分で納得できないからだ。

えー、まだ途中ですが、明日追加訂正するですよ。