due process of law 日本国憲法50年と私

日本国憲法50年と私

日本国憲法50年と私

パラっとめくって、奥平康弘「ある憲法追憶」だけを。メモ代わりなので長文引用スマソ。
GHQ関係者による憲法制定秘話というTV企画で来日したケイディス大佐

そのとき一緒に来日したベアーテ・シロタ・ゴードンの憲法制定作業へのかかわり具合は、現代日本フェミニストたちの強い関心の的になり、彼女の果した役割はフェミニストたちのあいだで高い評価を受けはじめていた。そんなこともあって、当時の日本マスコミの扱いは、どちらかというとケイディスを脇役にした観がある。しかし、1945−46年当時の憲法改正作業状況に即していえば、ゴードン(略)がいたるところで述懐しているように、民政局内にあっては、ケイディスは他に並ぶ者なき最高責任者であり主役そのものであったのであり、ベアーテはあえていえば下っ端役者でしかなかった。それがいまや、50年後の日本マスメディアは主客転倒して、ケイディスをベアーテの脇に配したのである。(略)
かつてGHQ民政局を牛耳り、日本関係者をキリキリ舞いさせたケイディスが、いま日本マスメディアの前で、微笑を以て控え目な役割を演じていて、けっして不満気でないのに、むしろ感心した。

なぜマッカサー草案には最初から“due process of law”(「適正な手続」)条項が抜け落ちていたか

ぼくの疑問は、なぜ一体マッカーサー草案は、市民的な諸自由の保障に関するアメリ憲法の諸コンセプトの導入に熱心でありながら、他方で、ぽろりと“due process of law”のほうは落してしまったのか、という点にある。この“落し”は、ケイディスたちにとって意図的であったのか、それとも単なる不注意であったのか?(略)
[著者の推論]
ケイディスをはじめとした憲法作業関係者らは多くニューディラーであって、彼らの多くは、前世紀末から1930年代後半まで合衆国最高裁判所が“due process of law”条項をいわば悪用して、数々の社会改良的な諸法を、“due process of law”(と裁判官が解するもの)に違反するがゆえに違憲無効としてブロックしたのは、たいへん間違っていたと考えた。こうした保守的な司法“積極”主義が日本で再現されてはならないのであって、そのために保守反動的な司法陣が拠り所にするはずの“due process of law”条項は、日本国憲法のなかに体現されるべきでない、という立場をケイディスたちは採った

ケイディスの回答。葬られた“procedural due process”(法が執行されるばあいの手続)

いま述べたように、彼らは司法権の横暴を抑えることをねらって、“due process of law”条項を切り棄てたのだが、しかし、そのとき彼らの念頭にあったのは、アメリカ法でいわゆる“substantive due process”コンセプト、すなわち、法の内容(=実体)が“due”(適正)であるべきだという考え方、なのであった。しかるに、“due process”コンセプトには、これと相対的に独立して、“procedural due process”というのがあるのである。これは、法の内容ではなくて、法が執行されるばあいの手続に向けられた観念である。つまり、権力行使により市民の権利自由を制限しようとするばあいには、相手側に対し適正な情報を与え、相手側の言い分を聴く機会を保障すべきだといったことを含意するコンセプトである。
ケイディスたち占領軍関係者らは、先にみたように、“substantive due process"を排除するために、“due process of law”条項をばっさり切り棄てたのであったが、そのことの結果として、“procedural due process”コンセプトのほうもそれと一緒に葬り去られてしまったのである。というのは、戦前日本にあっては、市民的な諸自由の憲法保障というコンセプトがおよそ成立する余地がなかったのと同様に、“procedural due process”コンセプトもまた、全き未知の世界に属していた。したがってこのコンセプトが、新憲法において有無をいわさぬ形で文面上表現されるのでないかぎりは、すなわち憲法的な支柱を欠いたのでは、日本の土壌のなかでは発芽生長することがむずかしかったのである。

二年後再会し“due process”の話になり

ケイディスのほうから、1992年の日本最高裁判所の、いわゆる成田新空港規制法第三条の合憲判決(略)の指摘があって、びっくりした。彼には彼相応の日本法制情報源があるらしいのである。占領時代、彼らは日本最高裁が、アメリカのそれがそうしたように、司法積極主義によって保守的に強力になるのを惧れたが、それは結局単なる杞憂に終った。日本最高裁がむしろかなり程度のはげしい司法消極主義に傾いて保守化し、きわめて少しの機能しかはたらかないものになってしまうであろうことは、ケイディスたちの予想の全く外にあったのである(裁判所改革にたずさわった前記オプラーも、日本司法審査の極端な消極主義に遺憾の意を表明しているのは、周知のことに属する)。