アメリカが土下座する「25時」


明日収監されるヤクの売人が「ムショに行ったら男前で華奢な白人のオレは絶対カマ掘られるどうしよー」とブルーになってる話。人をヤク中にした金での豪勢な暮らし、それでいいとは思ってなかったけど、後悔先に立たず。オレをサツに売ったのは誰だと悶々。

あからさまに9・11跡地も出てはくるのだが、あくまで売人の話ですよと逃げられるように描いている。なぜか。
「金とか武力が意味をなさないテロという段階に直面して、へなちょこ白人はカマ掘られるしかないわけで、もうここはペンタゴンでもなんでも自爆させて正直すまなんだああと土下座してテロだけは勘弁してもらうしかないだろ」と言ってる映画なので、そりゃあくまで「ブルーになってる売人」の映画として流通させないと困るのである。
ブサ男だったら目つけられないからと友人に顔をボコボコにしてもらう(殴る友人は慟哭)シーンで圧力を高めて、父親の車で刑務所に向かう途中「アメリカの再生と夢」を描いていく。このまま刑務所に行かず、逃げろと父は語ります。西へ行け、無人の砂漠の中で己を知れ、かつてのアメリカの男たちのように地道に働き、ほとぼりがさめたら恋人を呼び寄せ家族をつくれ、とかなりベタな夢が語られます。テロに直面して、今更引き返せないし、この先どうしたらいいかもわからない、坐りしょんべん状態に対する、夢の回答。じゃあ、昔のアメリカはそんなに素敵だったのか?アメリカが貧乏になればいいのか?とか色々つっこめばつっこめるのだけれど、割とそこは映画として普通に感動できる映像になっている(さすがに主人公カップルがフケメイクで大家族シーンはあれだったけど)。
自国民が殺されて復讐しないのかという空気の中で異を唱えるには、「ブッシュこそアメリカの敵とつながっているのだ」というマイケル・ムーア式小股掬いがわりと無難な方法なのだが、この映画は思いっきり正面突破、しかも映画としてよくできてる。洋画が耐えられなくて、昔の日本映画・時代劇ばかり観ている人間がちゃんと観れたよ。凄いね、監督だれだよと思ったら、えーっ、スパイク・リー。どうしちゃったんだ、リー。いきがってばかりのチンピラだと思っていたのですけど、正直すまなんだああ。